第二章
土曜日のお買い物



 叫んだり逃げ出したり気絶したりで忙しかった入居初日から二日ほど経ちまして、現在は玄関を挟んで大吾と睨み合っております。……あ、くん付けじゃなくなったのは大吾本人からのお願いで、ですね。
 おはようございます。204号室住人、日向孝一です。もう昼ですけど。
「昼飯はもう食ったか?」
「うん」
「じゃあ行くぞ」
「………うん」
 不安だなあ……
 さて、では不安を抱えてどこに行くのかと言いますと、「清さん」こと楽清一郎さんの部屋、102号室です。


 事の起こりは本日の朝。
 起床直後、カーテンを開けてみると天気が随分良かったので、着替えた後にベランダへ出てみました。すると眼下に広がるのはあまくに荘の裏庭になるわけですが、そこには僕と同じく雲一つなく気持ちの良い空に誘われたのか、管理人である家守さんが伸びをしていました。
 その格好は入居の日と同じくシャツ一枚にホットパンツで、暦の上では春とは言え、見るからに肌寒そうでした。と言うか、見てるこっちが寒いです。
「おはようございます」と声を掛ければあちらも「おはよーこーちゃん」と返してくれ、そこから派生した話の中に、こんなものがありました。
「ここのみんなにはね、それぞれお仕事してもらってるんだよ」
 詳しく聞いてみれば、栞さんは庭と使われてない部屋(つまり103、104号室)の掃除担当。成美さんは買い物担当。清さんは経理担当。そして大吾は動物の世話が担当なんだそうです。
 動物と聞いて思い浮かぶのは、裏庭に居を構える大きな秋田県のジョン。しかしどうやら彼だけではないらしく、「世話は毎日だからさ、もし暇ならだいちゃんの仕事、見に行ってみたら? 面白いと思うよ」との事。
 するとここで、噂をすればなんとやら。二つ隣の部屋から大吾が出てきて、しかも話が耳に入っていたらしく、開口一番「オレは構わねーけどな、また気絶とかすんじゃねーぞ。面倒だからな」と脅しを掛けてきた。
「どういう事? その動物も幽霊って意味?」と尋ねてみれば、「それもそーだけど、まあバケモンがいるとでも思っとけ」だそうで。
 気絶するなって言うなら、今この場で詳しく教えてくれてもいいじゃない。ケチ。
 その後も話し声に釣られて出てきた成美さんがちょっとした事で大吾と言い合いを始めたり、その言い合いに釣られて出て来た栞さんが寝巻きのままだったり、更にその後出て来た清さんが栞さんにその事を指摘すると、栞さんが真っ赤になって部屋に駆け込んだり、それを見た清さんが楽しそうに「んっふっふっふ」と笑ったりしましたが―――


 そういう事があって、現在102号室前。この奥に大吾の言う「バケモノ」が……
「清サーン。来ましたよー」
「お! やっとおでましかよ!」
 大吾が呼び鈴を鳴らすと、明らかに清さんとは違う声で返事が。……あれ? 清さん、いるんですよね?
 朝はちゃんといたしなあ、と全員が集合した今朝の裏庭を思い出していると、ドアが開く。そして現れたのは、耳に届いた声に反して清さんその人。
「ご苦労様。おや、日向君もご一緒ですか。んっふっふっふ。彼等に会うのは初めてですよね?」
 彼等? って、一匹じゃないんですか? そんな、一匹だと思ってた今までだって結構ビビッちゃってたのに。
「じゃ、お邪魔しまーす」
「お、邪魔します……」
 大吾の背から顔を出して部屋の中を覗くと、
「よお! おめえが新入りか! NICE TO MEET YOU! 俺様が土曜日担当! サタデー様だ!」
 ……四枚の赤い花びらがあって、その中心に口があると思い描いてください。そんなのが目の前に今、いらっしゃいます。そしてその顔(?)から下はウネウネと蠢くトゲ付きのつるの様な物でびっしり。内部がどうなっているかは分かりかねます。もしかしたらあれがそのまま足なのかもしれません。大きさは……そうですね、170センチぴったりの僕のヘソ辺り
「どわああああああ!」
 なんとか一通りの情報整理を終えたところで逃げ出そうとすると、背後では清さんが通せんぼ。しかも大吾に襟を掴まれて足が空回りし、ギャグ漫画みたいなことになる。
 数回そのまま足を空回りさせてようやく逃げられないと悟り、観念して足を止め振り返る。すると、何かのゲームの植物系モンスターみたいなそれはつるをウネウネと動かしてにじり寄って来て、なぜか歯が生えた大きな口で喋り始めた。
「まあまあそんなにビビるなよ。牙は生えてっけど肉食じゃねえんだぜ? まあもっとも俺様だって幽霊だし? 何も食わなくたって死にゃあしないんだけど? HAHAHA! ほら、オモチャでDANCING FLOWERってのあるじゃん? 似たようなもんだと思ってくれて結構だゼ!」
 ダンシングフラワーはそんなやたら良い発音の英語は使いません。って言うかそもそも喋りません。音がした時にカチャカチャウィンウィンいいながらクネクネするだけです。なのになんですかその音もなく忍び寄る足? は。口を閉じて背後から近寄られたら絶対気付けませんよ。あなたは忍者ですか植物なのに。
「は、はじめまして。日向孝一です」
 多分口がヒクヒクしているであろうギリギリな愛想笑いを浮かべて、一応初対面の挨拶。これだけ喋れるんだったら最早ペットじゃなくて同居人じゃないですか清さん?
 するとサタデーさんは、とんがっていてかつ真っ白な歯……と言うか牙を見せ付けてニィっと口を歪ませる。顔のパーツは口のみだけど、笑っているという事はよく分かった。
「あぁあぁ名前は清一郎から聞いたゼ孝一くんよ。俺様達に会うのは初めてなんだよな?」
 達、と言うのは他の曜日の動物達ってことだろうか。
「あ、はい」
「他の奴等にもヨロシクな。STRANGEなヤツが大半だが、BADなヤツらじゃないからよ」
「はい。よろしくお願いします」
 すると、つるが一本こちらに伸びてきた。もしかして握手かな? と思い、こちらも手を伸ばす。手か足か区別つかないうえに、トゲだらけで痛そうだけど。
 そして手とつるが触れそうになったその時、急につるが加速して伸ばした手に絡みついた!
「なな!?」
 なんてあたふたしてる間にサタデーさんがつるを伝って腕を登り始め、肩の上で花部分がストップ。しかもそれまでの一瞬の間に、全身つるでがんじがらめにされてしまった。トゲだらけなのに痛くないのが不思議だなあ、あとつるって伸縮自在なのかなあ、なんてのんびりした感想を持てるようになるのはしばらく後の話で。
「カテエなカテエなカッチコチだな〜。『ヨロシク〜!』でいいんだよ〜。YOUNG MENっぽく行こうゼ〜。中年オッサンの社交辞令じゃねえんだからよ〜」
 言いたいことは分かりました。が、全身ぞわぞわしてそれどころじゃ……トゲが、トゲがくすぐったい。何と言う絶妙な締め付けの緩さ!
「オラオラ柔らかく行こうゼ〜」
 イメージしてください。全身をくまなく、かつ同時にくすぐられたという状況を。
「ギャハハハハハハァアアハハハハハ! やややめっヘハハハハハ!」
「オレもはじめて会った時やられたなあ。理由なんか無しに問答無用で」
「私はされませんでしたよ? 中年オッサンだからですかね? んっふっふっふ」
「助げハハハハハ!」


 二分後。
「一丁上がり! COMPLETEだゼ!」
「ぜへっ……へへへっ……」
 植物に体の隅々まで汚され、僕は放心状態で倒れていた。なんだか自分を見下ろしてるような気がするけど気のせいだろうな。あはは。
「大丈夫ですか? 日向君」
「初めて会ったのがコイツってのがツイてなかったな」
 大吾が連れて来たんじゃないか。
 そんな文句はともかくなんとか立ち直ってテーブルの傍に腰を落ち着けていると、
「ではでは大吾よぉ、WORK TIMEだゼ〜」
 サタデーがそう言って大吾ににじり寄った。
 あ、そっか。ここに来たのは大吾の仕事のためなんだったっけ。別に僕が植物に虐められるために来たわけじゃないんだよね。挨拶はまあしといた方が良かったんだろうけどさ。
「へいへい」
 僕と一緒に座っていた大吾が面倒臭そうに立ち上がり、流しのほうへ歩いていく。仕事って確か喜坂さんによると……
「土曜日は大きな花みたいな姿で、だから水をあげないと駄目なの」
 なるほどね。でもサタデーの場合、どこに水あげたらいいんだろう? 土に埋まってるわけじゃないし。
「しかし清一郎よぉ、孝一がここに来た日に俺様達のこと紹介してくれてもGOODだったんじゃねえの? こいつがここに来たのって何日か前なんだろ?」
 大吾の背中を見送ると、つるをまるで腰のようにくねっと捻ってサタデーが清さんのほうを向いた。足で手で腰で大変だな、あのつる。
「いやあ事情があって急いでいたもので……それにあの日はサーズデイさんでしたからねぇ。一緒に行くかどうかお伺いを立てようにもさっぱりでして」
「あーつまりTWO DAYS AGOだったワケだな? そいつぁ仕方ない。あいつじゃなぁ」
 口をへの字に曲げて、つるで「やれやれ」の形を作りながらテーブルを挟んで僕の向かい側に位置する。うん、反応が実にアメリカンだサタデー。そう言えばさっきよりちょっとだけ身長が低くなってる気がするけど、もしかしてテーブルの下ではちゃんと座ってる? 
「木曜日は何の姿なんですか?」
 変な興味は置いといて、清さんにそのサーズデイの事を訊いてみる。さっきの二人、と言うか一人と一輪の会話じゃあ気難しそうな感じだけど。
「マリモだよ」
 こっちを向いた清さんが口を開くよりも早く、コップ片手に戻ってきた動物の世話係が答えた。
 マリモ……って言うと、あの丸い藻? また植物? ん、藻って植物でいいんだよね?
「ほらよ、水」
「THANK YOU!」
 ちょいと考え込んでる間にサタデーの隣に腰掛けた大吾の手から百パーセント植物性のつるにコップが渡される。そしてそれを口に運び、人間が飲むのと全く同じ要領で一気飲み。
 そんな馬鹿な。
「んぐっ、んぐっ、んぐっ………ップハー! 生き返るねぇ〜!」
「生き返れよ」
「HAHAHA! 無茶言うなよボブ!」
「ボブって誰だよ」
「ムッキムキの黒人でスキンヘッドの」
「んでな、そのマリモに目と口がついたのがサーズデイだ。マスコットみたいなやつでな」
「無視すんなよ〜! 植物は寂しいと枯れちまうんだゼ〜!?」
「もしそうなら今頃世界中砂漠になっちまってるっつーの」
「だからほら、砂漠化進んでるじゃんかよ。HEARTの貧しい人間が増えてる証拠だって」
「で、サーズデイはこいつみたいにやかましくはないんだが基本『ぷかぷか』とか『ぷくぷく』とかしか言わねえんだよ。効果音じゃねえぞ? 口でそう言ってんの」
「OH……俺様内部で砂漠化進行中だゼ……」
 掛け合いの中にまだ見ぬサーズデイさんの情報を混ぜ込みながら、二人はじゃれ合う。ややこしいのでもう一人と数えます。彼等が何の姿をしていようとも。
「えっと、じゃあこれから一週間毎日顔出したほうがいいのかな。挨拶とかしときたいし」
 こころなしかしおれた様に見えなくも無い事は無いような気がするサタデーに尋ねてみる。すると花びらとつるがピンと伸び、白い牙を見せ付ける様な笑顔がくるりとこちらを向いた。
「俺様達はMEMORY共有してるから挨拶なら今回だけでも充分だが、会いに来てくれるなら歓迎しちゃうゼ? 全員の顔を覚えてもらったほうがTALKもしやすいだろうしな」
 記憶の共有……へえ、なんかかっこいい響きだなぁ。ってことはつまり毎回名乗らなくてももう向こうは全員僕を知ってるって事か。難しそうだな、こっちは初対面なのにあっちは僕の事を知ってるって。
「何なら曜日毎の姿を教えてあげましょうか?」
 と清さんがメガネをクイッ。するとサタデーがつるを一本、清さんに向けて突き出した。人間で言う指差しなんだろうな、恐らく。
「ちょっと待った清一郎! そいつぁ初めて会った時のお楽しみだゼ〜!」
「そうですか? ふむ、それもおもしろそうですねぇ。では日向君、これから一週間頑張ってください。んっふっふっふ」
 頑張れってまた脅すような言い方しなくても。
「はあ。で、ちょっと気になったことがあるんですけど」
「何ですか?」
「今日の大吾の仕事って、サタデーに水あげることだったんですよね?」
 見たまんまの事を確認する僕に当然、と清さんが頷く。
「そうですね。もちろん曜日によって違いますが」
「さっき言ったサーズデイなら水換えとかな」
 大吾もサタデーが言ってた「初めて会った時のお楽しみ」に同意らしく、知らない曜日担当の話はしない。でもまあそれはいいとして、
「大吾に水汲ませなくてもサタデーなら自分で水汲めるんじゃないですか?」
 さっきから植物とは思えないほど器用にウネウネしてるし。
 するとサタデーが口を開く。それを見て「ここにいる全員が錯乱して殴り合うくらい息臭かったりするのかな」なんてつい思ったりもするけど、まあいいか。今のところそんな事無いし。歯綺麗だし。
「そりゃあOF COURSEだが、それがコイツの仕事だからよ〜。いやでもぶっちゃけ水飲む必要すらないんだゼ? 死にゃしねえし」
 おお、お仕事完全否定ですか。と思ったら大吾は意外に落ち着いた様子。
「どーせ仕事サボったってやることねえしな。どこかに勤めてるわけでも学校に通うわけでもなし」
「と口ではこう言いますが、実のところ面倒見がいいんですよ怒橋君は。さっきだって『アイツ等の世話押し付けられた』とか言ってたのにこれですからねぇ。んっふっふっふ」
「そっ、そんなんじゃないですよ清サン!」
 大吾くん、大慌て。おやおやこれは可愛らしい。
 そして慌てたところにサタデーが追い討ち。つるで大吾の肩をペンペンと叩き、
「まあまあ照れんなって。毎日毎日来てくれてるのは事実なんだしよ〜。感謝してるゼ。THANK YOU VERY MUCH! 他のヤツラもそう言ってるゼ?」
 口は笑ってるけど真面目な感謝の言葉らしい。それに対して大吾は、照れ隠しにぶすっとした表情を取り繕う。
「ぐぬっ……フ、フン! お前らが何と言おうと知ったこっちゃねえな!」
 うわ〜、いい反応。僕の中で大吾の株価急上昇中。
「さってと。大吾からかうのはこの辺にして日光浴日光浴。今日も良いWEATHERだゼ〜」
 そううそぶきながらすっと立ち上がり……ああ、やっぱり座ってたんだ。そして腰を振るようにクネクネしながら裏庭への窓のほうへと向かう気のいい謎植物。そして窓につるを掛けると、口がくりっとこっちを向いた。
「明日もヨロシク頼むゼ!」
 それだけ言い残して窓を開き、裏庭へと踊り出る。あまりのクネクネさに本当に踊ってるように見えるんだよね、これが。わざとやってるのかも知れないけど。
「では怒橋君、日向君。ご苦労様でした。んっふっふっふ」
『お邪魔しました』


 清さんの部屋を出て、二階への階段を上る。大吾はこのまま部屋に戻るんだろうか? なんとなくついて歩いてるけど。
「今日の仕事はこれで終わりなの?」
「いんや。あとジョンの世話だ。散歩とか毛繕いとか。まあ今からやるわけじゃねえし、それにまで付き合ってもらう気はねえからよ。他のヤツの仕事も見て回ったらどうだ? 暇潰しくらいにゃなるだろうしな」
 他の人の仕事と言うと、栞さんが掃除で成美さんが買い物で清さんはここの財政管理だっけ。うーん、どれも見て回るようなものじゃない気がするけど……
 なんて思っていると階段を上がって一つめの部屋、201号室の前で大吾が立ち止まった。ここ、成美さんの部屋だよ? 大吾はもう一つ向こう。なんて言わなくても僕より長くここに住んでる大吾はもちろん分かってるわけで。そう言えばみんなここに住んでどれくらいになるんだろう?
「おーい、成美ー。ちょっといいかー?」
 とドアをガンガン叩く大吾。その叩かれてビリビリ振動するドアの横には今時付いてない所もそう無いであろうあのボタン。
「チャイム鳴らせば?」
「電池切れ中なんだと」
 あ、そう。……自分の部屋のも確認しといたほうがいいかな? ついこの間まで使われてなかった部屋だからどうなってるか分からないし。と気になって二階一番奥の204号室――つまり自分の部屋のほうを見ていると、目の前のドアが開いた。
「何の用だ? ん、日向も一緒か」
 正面よりやや視線を下向きにした所から、この部屋の主が僕達二人を見上げていた。
「まあ立ち話もなんだ。何なら上がっても構わないぞ」
「いや、オレは別にここでもいいんだけどよ。長話でもねえし」
「遠慮するな。中に入ったからって損する事もないだろう? 麦茶ぐらいなら出してやれるしな」
 そのお誘いに大吾はむう、と少し考えると、
「まあ無理に断る理由もねえけど」
 ということで大吾と一緒に僕も中へ。外見と精神年齢に著しく差がある成美さんの部屋は一体どんな感じなんだろう?
 居間へと通された後、テーブルの傍に座って不自然に見えない程度に辺りを見回してみると、
「何もない部屋だが、まあゆっくりしてくれ」
 本人がそう言う通り、がらんとした部屋だった。引っ越したばかりで最低限の物しかない僕の部屋よりも更に何も無い。そのせいで、部屋の構造は同じなのにやけに広く感じられた。
「可愛げのねえ部屋だろ? アイツらしいっちゃ、らしいんだけどな」
 成美さんがお茶を汲みに行くと、大吾が後ろにごろんと寝転がる。そうするとますます広く感じられた。ただでさえ大きめな大吾が足伸ばして寝転がっているからだろうか。
「可愛げが無くて悪かったなー。それなら喜坂の部屋にでも上がらせてもえー」
 台所のほうから冷蔵庫が開く音と、お返事。そしてそれを聞いた大吾は声のしたほうを向きながら苦笑い。
「聞こえてたかあの地獄耳が」
 ああ大吾に同意しなくて良かった。いや、もうちょっと間があったら多分してたけど。だって本当に何も……壁時計と、このテーブルと、座椅子と、えーっと……あ、ゴミ箱見っけ。うん、ここから確認できるのはそれだけ。必要最低限と言うか何と言うか。
「逆にこの部屋が可愛らしく装飾されていたらどう思う?」
 お盆に麦茶が入ったコップを三つ乗せ、ぺたぺたカチャカチャとこちらに戻ってきた成美さんは、大吾の返しが分かっているといった感じに微笑んでいた。
「それは気色わりいな」
「だろう。わたしもそう思う」
 それは性格がそうだから? それとも年齢的に? 成美さんって一体幾つなんだろう。かと言ってストレートに訊くのもあれだけど。
 成美さんが僕と大吾にお茶を配りつつ、
「さて、お仕事ご苦労様だな。裏庭から機嫌の良さそうな鼻歌が聞こえてきていたぞ。まあ、あいつに鼻は無いが」
 成美さんが誰のことを言っているかと言うと、間違いなくサタデーだろうな。鼻ないし。それどころか顔のパーツで言うなら口しかないけど。
 すると大吾がむくりと起き上がって、
「別段苦労なんてもんじゃねえよ。こんなんで金貰うってのが悪く思えるくらいだしな」
 そして受け取った麦茶をすする。僕もすする。冷蔵庫から取り出されただけあって、冷たかった。そう言えば、そろそろ外も暖かくなっていい頃だと思うんだけど……ん?
「それを言うならわたしもそうだが、まあ貰える物は貰っておけ。じゃないとわたしの仕事が減る」
「そうは言うけどよー」
「集団で雇われた家事手伝いだと思えばいいさ。その中で役割分担をしているのだとな」
「あのー」
 話に関係なかった僕が声を上げたので、二人揃って意外そうな顔でこちらを向く。
「どうした? 日向」
「まだ外ってちょっと肌寒いじゃないですか。その割にはみなさん結構薄着ですよね」
 ここにいる二人でもタンクトップにワンピースだし。まだ長袖の服でも可笑しくないと思うんだけど?
 すると大吾が麦茶をもう一杯。そして回答。
「ま、俺ら幽霊だからよ。メチャクチャ寒いとことかじゃねえ限りはこれでも充分だ。冬でも家ん中ならこのままで大丈夫だしな。外に出るならさすがに一枚くらい羽織るけど」
 へー。確かに幽霊って厚着よりは薄着なイメージだけど、実際にそうだったのか。
 あ、でも待てよ?
「家守さんは? 今日も元気に半袖短パンだったけど」
 すると今度は成美さんが、
「家守は年中ああだ。と言っても仕事の時はちゃんとした服装だが。あいつはだいたい家にいるか仕事で出かけてるかのどちらかだからな」
 家守さんの仕事と言うと、霊能者。普通に考えれば胡散臭さ全開だけど―――
「家守さんの仕事って具体的に何するんでしょうか?」
「ん? んー……依頼にもよるが降霊術とかが主だと聞いたことがあるな」
 って言うと、テレビとかでたまに見るあれですか? 霊を乗り移らせて喋らせるやつ?
 一方、そうやって事も無げにさらりと答える成美さんとは違って、
「あれやられた時はたまったもんじゃなかったぜ。やられるんならせめて男にやってもらいたいもんだ。問答無用で吸い込まれるもんだから抵抗すらできねえしよ」
 大吾は苦い顔だった。えーと、つまり実際に降霊されちゃったと。実際にあるなら見てみたいなあ。どんな感じなんだろう?
「あの時のお前の慌てようと言ったら……」
 何を思い出したのか、口を抑えて小さい体をプルプル震わせる成美さん。そしてそれを見て眉を吊り上げる大吾。
「しゃーねえだろが! だったらテメエも男に降ろされてみやがれってんだ!」
「な、何があったの?」
 口を挟む。もちろんその話に興味があるのもあるけど、二人の言い争いを予防するという意味でもね。
 すると成美さんが体と同じく微かに震えた声で、
「家守はなかなかいい体付きをしているから男としては―――な。上を見上げたまま一人で大騒ぎだったのだ。普段があの格好で胸元が開いているからな。しかしどさくさに紛れて手をこう」
 そう言って成美さんの両手は胸の辺りを抑えた。僕も真似てみる。えっと、この形だと……えー、つまるところ、
「大吾、触ろうとしたの?」
「んなわけあるか! ヤモリの野郎意識残してやがったんだよ! 手だけ勝手に動かしやがったんだ! それをこいつらギャーギャー喚きやがるし、最悪だったぜ!」
 鼻息荒げて(大吾の名誉の為に付け加えるなら、怒りのために)そう言った後、ゴックゴックと喉を鳴らして残った麦茶を一気飲み。そして空のコップを叩き付けるようにテーブルに置く。割らないように気をつけてね。
「まあこいつが必死に抵抗した甲斐もあって、残念ながら触りまではしなかったが。手が震えていたようだったしな」
 それは残ね……いやいや、良かった良かった。
「でも抵抗しなくたって、家守さんだって本当にそこまではしないですよね?」
「どーだかな。アイツは酒飲まねえけど、そこらの酔っ払いよりタチ悪いぜ? そういうネタだとよ」
 へえ、家守さんお酒飲まないんだ。タバコぱっかぱっか吸ってるからお酒のほうも豪快なイメージだったんだけど。
「……で、忘れる前に聞いておこうか。何の用だ?」
 あ、忘れてた。と思って隣を見るとどうやら大吾も忘れていたらしく、一瞬無表情で目をパチクリさせた。そして普段の目つきに戻ると、
「ああ、そうだったな。孝一の仕事見学だ。ってことで、今日買い物行くか? 行くならこいつ連れてってやれよ」
 ああ、そういう事だったのか。僕も今知ったよ。買い物か……あれ?
「ふむ……そうだな、呼び鈴の電池も買いに行かねばならんし、行くとするか。怒橋は何か買ってくる物、あるか?」
「いや、俺は特にねえな」
「そうか。では日向、喜坂の所へ行って買う物がないか聞いてきてくれ。わたしは楽の所へ行くからな」
 早速、と言わんばかりに立ち上がる成美さん。そして付き添いの僕はもちろん、成美さんが出て行くのだから客の大吾も立ち上がる。
「あ、はい。分かりました。―――それであの、買い物ってどうやって? 成美さんって普通の人には見えないんですよね? 幽霊ですし」
 今更気付いたのか、なんて言われそうだけど、
「今更気付いたのかよ」
 ……言われたけど、どうするんだろう? 今回は僕がいるけど、普段は成美さん一人なんだろうし。どこかの店に僕や家守さんみたいな店員がいるのかな?
「コイツはな、器用な事に実体化できんだよ。だから買い物はオレらん中じゃコイツにしかできねーの」
 言われて成美さんのほうを見てみると、何か違和感が。さっきまでとどこか違うような? でも一体どこが……
「もしかして、もうその実体化ってやつやってるんですか?」
 何が変わったのかよく分からないけど。
 すると成美さんはふすまを開けて隣の部屋へと移動し、
「元から見えてるお前からすれば、大した変化は無いさ。普通の人間にも見えるようになっただけなのだからな」
 あ、なるほど。
 ……でも僕の目からでも何か変わった気がするんだよなあ。と隣の部屋でタンスを漁る成美さんを眺めて首を傾げていると、後ろから大吾に肩を叩かれた。
「ん? 何?」
 振り返ると大吾は無言で自分の頭頂部を指差し、それから成美さんを指差した。その成美さんは薄暗い部屋で靴下を履いていたが、
「あ」
 普段からそこら中で髪の毛跳ねてたから気付かなかったけど、あれは……
「髪が猫の耳みたいになってるんだけど」
「実体化中はあれが目印なんだよ。面白いだろ? つーかお前もすげえよな。教えるまで気付かなかったのかよ?」
 ほっといてよ。
「何がどうなってあんなことに?」
「さあな。本人に訊いてみたらいいんじゃねえか?」
「準備できたぞ。さあ二人とも出た出た。鍵掛けるからな」

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