「あ、お買い物行くの? 栞は別に買う物ないけど――うん、暇だし、ついて行くよ。成美ちゃんと一緒なんだよね?」
 耳の事を訊く暇も無く部屋を追い出されて指示通りに栞さんの部屋へ来たのはいいけど、なんだか予想外のお返事が。まあ別に大丈夫だろうけど。
「はい。今は清さんの所に行ってますけどね。何か買う物があるかどうか訊きに」
「分かった。じゃあちょっと待っててね、準備してくるから」
 そう言って顔をスマイルの形にすると、ドアがバタンとありきたりな音をたてて閉められた。そしてそのドアの向こうから、
「靴下履くだけだからすぐ終わるよー」
 ご丁寧にどうも。庭の掃除してる時はサンダルだったけど、さすがに外出の時は靴なんですね。
 そう言えば大吾は成美さんの部屋から出た後さっさと自分の部屋に戻っちゃったけど、まあそれはどうでもいいや。お仕事お疲れ様。まだジョンの散歩があるんだっけ? そっちも頑張ってね。なんて思っていると、
「日向ー? どうした、喜坂はいないのかー?」
 頭からピョンと耳が生えた成美さんが下からこちらを見上げていた。
「いえ、暇だからついて来るんだそうですー。今準備中……あ」
 背後の部屋の中からドタドタと足音が聞こえてきたので振り返ると、ドアが勢いよく開け放たれた。
「ごめんね成美ちゃん! お待たせしましたー!」
 勢い良く開けたドアをまた勢い良く閉め鍵を掛けると、小走りで下へと向かいだしたので僕も後を追う。急ぐ必要は恐らく無い。
 階段を一段飛ばしで弾むように降りる栞さんの真似をして途中ですっ転びそうになったりしながら一階に到着。手すりに掴まれてなかったら落ちてたな。危ない危ない。
 その様子を下から見ていた成美さんは、
「子どもかお前らは」
 猫耳少女にそんな事言われましても。そりゃあ中身は大人なんでしょうけど。
「こけそうになったの孝一くんだけなのに〜」
 そりゃそうですがちょいと栞さん。
 って言うか、気付いてたんですね。こっちも見ずにトントン行くから見られなくて良かったと思ってほっとしてたところだったのに。うわ、恥ずかし。
「そういう事を言ってるんじゃなくてだな。……まあいいか。じゃあ行くぞ」
 やれやれと額を手で抑えると、説明を諦めて歩き出す。なんか栞さんに巻き込まれて余分に呆れられたような。僕はこけそうになっただけで……やっぱり呆れられてもおかしくないか。言い訳止め。
 成美さんを僕と栞さんが挟む形で三人並んであまくに荘から出発。歩くスピードは成美さんの体格に合わせてゆっくりめに。
「今日は大吾くん来ないんだ。残念だね成美ちゃん」
「ま、たまには自分の足で歩くのもいいだろう。あいつもまだジョンの散歩が残ってるしな」
 なんだか面白そうな話だと思ったけど、成美さんの反応は予想と違ってあっさりしていた。ベタな感じで「残念」の部分を慌てて否定したりするのかと思ったけど。って事は、
「残念って?」
 分からないや。分からないので直接尋ねる。分からないのでその質問に妙な意味は込めない。まあ、そう思ってる時点で込められてるのは明白なんだけどね。
「いつもは怒橋におぶってもらっているのだ。この小さい体にあいつの背中はぴったりでな、非常に乗り心地がいい。更に言うなら楽ちんだ」
 ああ、前にも聞いたなそんな事。大吾側の言い分は成美さんを怒らせるわけにはいかない、だったっけ? 失礼ながらちょっと探りを入れてみようかな。成美さんが怒ったらどうなるかはこの際置いといて。まあそれはそれで気になるんだけどね。
「へえ。でもあの大吾がよく文句言いませんね。毎回素直に乗せてくれるんですか?」
 企みが顔に出ないように、スマイルスマ……いや、僕は普段笑ってないか。それは清さんと栞さんだ。自然に自然に。自然ってこう? かな?
「棒読みな上に妙に引きつった顔だな」
 ありゃ、何もかも駄目でしたか。うーん、僕に役者は向いてないって事かな。別に目指してるわけでもないからどうでもいいけど。でもこれで何か勘違いして目指しちゃったりする事はなくなるか。いらない可能性が一つ潰れてプラスだって事にしておこう。
 成美さんはそんなわけの分からない事考えてる僕を不審の目で暫らく眺めると、
「まあいいか。ふむ、あいつとて何でもかんでもがちゃがちゃ騒ぐわけではないからな。初めの頃は渋っていたが、今ではすっかり大人しい乗り物だ」
 さらりと酷いことを言いながら得意げな成美さん。それは意外だ。いや、大吾が酷い言われようなのはいつもの事だけど、その大吾が大人しいというのが。
「成美ちゃん、大吾くんと仲いいもんねー」
 とここで栞さんがクリティカルな物言い! それはさすがに直球ど真ん中過ぎ――
「仕方ないだろう。わたしとあいつなのだから」
 って、え? そんなあっさり? もしかしてあまくに荘公認カップルだったりするんですか?
 と驚く僕を見ていぶかしげな表情を浮かべる成美さん。
「ぬ。何かとんでもない勘違いをされてるような気がするな。ではおかしな事を聞かれる前に教えておくか。……あいつが動物に好かれる体質なのは知ってるな?」
 こくこく。
「わたしは生前、猫だったのだ。それ故あいつに惹きつけられる。あいつの単純で馬鹿なところがそうさせているのかもしれんな」
 最後に「まあそれだけのことだ」と締め括った成美さんを、僕は半ば放心状態で見下ろしていた。足だけは真面目に動かしながら。
 これまたとんでもない設定が飛び出して来たもんですね。ええ。
 猫娘とは。
 そりゃ頭から生えた耳は猫っぽいですけど。って言っても髪の毛がそういう形になってるだけですけども。あれですか? 何十何百と齢を重ねた猫が何かこうすごい力を身につけてどうとかってやつですか? あれ、でも齢重ねてないか。幽霊なんだし。
「あ、孝一くん今初めて聞いたんだ? ふふ、やっぱり驚くよね〜。こんなに可愛い女の子が実は猫だったなんて、たまんないよね〜」
 いや、可愛いとかたまらないとかそういうのが吹っ飛ぶくらいに、ただただ驚いてます。何でもありなんですね幽霊って。サタデーといい。
 そんなふうに驚いている僕を、気にも留めずにぺたぺた歩くその猫さんに再度質問。
「猫って、それなら何がどうなって今の姿に?」
 すると成美さんは視線を僅かに上に逸らして物憂げな表情。
「まあ、ちょっとな」
 そしてすぐにいつもの大人びた眼差しに戻ってそれを僕に向けると、
「つまらん身の上話は省くとして、この辺りでかねてから霊能者だと噂されていた家守……いや、噂どころか自分自身でもそうだと言ってたんだがな。とにかく家守に会ってこの姿にしてもらったのだ。それからあそこで暮らすようになったのが、しかし器用なものだな霊能者というのは。この姿の事もそうだが霊なら動物の声も聞き分けられるのだからな」
「サタデー達が普通に喋ってるのも家守さんがしてあげたことだしね。それに家守さん、ただ見える人とは違って幽霊と一般人の見分けもつくし」
「あ、それとわたしの名前は家守につけてもらったものだ。野良猫だった故に名前など無かったのでな」
「へ、へえ〜」
 ありがとうございましたお二方。
 つまり、幽霊が何でもありなんじゃなくて家守さんが何でもありなのか。パッと見そんなすごい人には見えないんだけどなあ。いや、別にけなしてるわけじゃなくてね。あまりにも若々しいと言うか、霊能者って見た目じゃないし。だいたいそういうのってテレビで見る限りは明らかにオバちゃん、みたいな人達ばっかりだったからそういうイメージが……
「初日の自己紹介の時に猫だと教えても良かったのだが、お前が泣き出しそうなほど取り乱したから後回しにしておいたのだ。こんな事言ったらまた暴れると思ったのでな」
「面目無いです……」
 そうなってもおかしくなかったとは言え、やっぱり思い出すと恥ずかしい。慌てて飛び出そうとして失敗して気絶だもんなあ。
「あれは仕方ないよ。作り物って分かってるお化け屋敷でも怖いのに、本物だもん」
 と、栞さんの声が成美さんの頭の上を通過して僕の耳へ。そして、
「逃げられないようにあらかじめ縛っとけばよかったかな? 清さんが丁度来なかったら本当に飛び出して行っちゃったかもしれないし」
 そんなにこやかな笑みを浮かべながら物騒な事言わないでください。余計怖いですから。
「冗談冗談」
「で、ですよねー」
 なんて言ってる間にそろそろどこをどう歩いているのか分からなくなってきた。この辺りの道はまだ全然知らないし、周りは民家ばっかりでどこも同じに見えるし。とあちこちをきょろきょろしていると、
「ところで成美ちゃん、今日は何買うの?」
「電池だ。呼び鈴のな。それから楽からは植物用活力財を頼まれている」
「どう考えてもサタデーに頼まれたんだね、それ」
「だろうな」
 栞さんはにっこり。成美さんは微笑。周りの人から見たら姉妹に見えなくもないかな? あ、でも普通の人は栞さんが見えないか。それは気の毒……って思うのは失礼なのかな。
「孝一くんは? 何買うの?」
 一瞬だけ卑屈気味な事も考えてしまったけど、本人が全く気にしていないようなので僕も気にしないでおこう。
 いやなんだか、ほっとするな。
「ん?」
 なんてぼーっと考えてたせいで会話のテンポがずれ、それに栞さんが首を傾げる。
「あ、いえ、特に買うものは無いんですけどお仕事見学……と言うか外歩かないとこの辺りの事まだ良く知らないんで」
「ああ、そうだよね。孝一くんまだ来たばっかりだし」
「ええ。恥ずかしいんですけど、もうここからあまくに荘まで歩いて帰れる自身がないですよ」
「いくらなんでもそれは言い過ぎなんじゃないかな〜?」
「ははは」
「ふふふ」
 …………いえ、残念ながら大マジです。何かもう今僕達はどの方角向いて歩いてるんですか? えっと、あそこで曲がって次にあそこで曲がって……ああ、もう分からない。
 と、そこへ前方から自転車に乗ったおばさんが。もちろん知り合いなどではなく赤の他人なのだが、何かこっち見てる?
「ところで孝一くん」
「何ですか?」
「栞と話すときはこっち向かないほうがいいと思うよ」
「え? 何でですか?」
 と訊いた直後、栞さんが返事するよりも早く答えが思いついた。
 そうだよそうだよ、間抜けだなー僕は。ははは。
「栞は普通の人に見えてないからさ、そういう人からしたら孝一くん、誰も居ない空中に話し掛けてるみたいになっちゃってるからね」
 そうですね。
「ふん。そんな事にびくびくすることもないだろう。堂々としていれば良いのだ。だいたいだな、話をする時は相手の目をみるものだ。テレビや映画を見ながら喋るならともかく」
 それもそうですね。他人と知人を量りにかければそりゃあもちろん知人ですし。
「との事なので、僕は成美さんの意見を取り入れる事にします。わざわざ目を逸らすってのもなんかやり辛そうですしね」
 とノータイムで即答するも、栞さんは怪訝な顔。
「そ、そう? 栞としてもそっちのほうがいいけど、大丈夫? 変な人だと思われちゃうかもしれないよ?」
 心配してもらえるのは有難いんですけどね。
 何か適当でもいいから自分の答えに根拠が欲しいかな。納得してもらえるような。うーん…………あ、そうだ
「あまくに荘って、お化け屋敷って事でこの辺じゃ評判なんですよね?」
「評判って言うか……まあ、有名ではあるね」
「そんな所に住みだした新入りは、遅かれ早かれ変な人だと思われるんじゃないですかね。だから今気にするのは止めときます。無駄かもしれないですし」
 多少強引なこじ付けっぽい気もするけど、それを聞いた栞さんが再び普段の笑顔になる。成功だったらしい。
「……ありがとう孝一くん。優しいね」
「いや、そんな」
 そんなつもりで言ったわけじゃないけどそう言われると思わず顔が緩む。
 すると下から袖を引っ張られて、
「やるではないか色男」
 普段においても鋭い目つきは更に鋭くなっていた。口は僕と同じく緩んでいたけど。
「いやだからそんなつもりじゃ」
 そして今度は成美さんの向こうから、
「でもこれで、あまくに荘以外の人からは変な人だと思われるようになった孝一くんでありました。めでたしめでたし」
「別にめでたくないですよ。どっちかしか選べなかっただけで、変な人だと思われたいわけじゃないんですから」
 連れの女の子二人に笑われ、一緒になって笑えばいいのかどうか、僕は考えた。
 よし笑っとこう。自虐の意味も含めて。
 ははん。


 まるで迷路のような住宅地を抜けると、
「あそこだ。買い物するなら大体の物は揃ってるぞ」
「でしょうね」
 この距離で看板が見えだすという事は相当大きい店、と言うかデパートだなあれは。なら成美さんに言われるまでもなくだいたいの物は売ってるだろう。
「孝一くんは買う物無いんだよね?」
 デパートを目の前にして赤信号に立ち止まっていると、栞さんが尋ねてきた。
「あ、はい。必要な物はこっちに来る前にあらかた揃えておきましたから。おかげで荷解きが大変でしたけどね」
 ついつい苦笑い。暇だったからさっさと済ましちゃったけど、あれは疲れたなあ。まあおかげで大学の入学式までゆっくりできるけどね。こんなふうに目的も無しにぶらぶらできるくらいに。
「ご飯どうしてるの? 孝一くん、料理できたりするのかな?」
 む、これはいい質問。
「ええ。自慢じゃないですけどお客さんに胸を張って出せるくらいの自信はありますよ」
 と、胸を張って答える。料理は僕の数少ない特技である。他に取り得が無いとも言う。と言うか何度か言われた。
 酷いや母さん。「女々しい特技だこと」なんて。
 胸を張った途端に母の顔と台詞を思い出して背を丸めると、栞さんがいささか感心した様子で、
「へー、すごいね! 今度お邪魔しちゃおうかな、みんな一緒に」
 それは実に楽しそうな提案ではあります。ありますが、
「そうなるとここで何も買わないわけにはいきませんね。冷蔵庫の中身、そんなに無いですし」
 一人暮らしの上に食欲旺盛でもないですからね。でも不意のお客さんとかもあるかもしれないし、買い物の仕方を改めたほうがいいかもしれない。ふむ、奥が深いな一人暮らし。
「あ、いや別にそこまでしてもらわなくてもいいよ? 押しかけるみたいで悪いし」
 栞さんは手をぱたぱた振って遠慮の意を示す。だけど僕は、結構乗り気だった。
「悪いだなんてそんな。気が向いたらいつでも来てください。楽しそうですしね」
 信号が青に変わったので歩き出すと、それとほぼ同時に成美さんが僕を見上げて、
「日向は余り食べ物の買い溜めはしないほうなのか?」
「そうですねぇ。でも今のでちょっと考えを変える事にしました。成美さんも是非遊びに来てください」
 営業スマイル全開! いや、本当に楽しみだけどね。あまくに荘メンバーがみんな揃ったら否応無く賑やかだろうし。
「ああ。気が向くか喜坂からお呼びが掛かったらお邪魔させてもらうよ」
 成美さんもまんざらではない様子。だけどその向こうで栞さんは苦笑い。
「ご、ごめんね〜。何か変な事言っちゃったみたいで……」
「いえいえ、別に買い溜めして損するわけじゃないですから。むしろ安売りの日にまとめて買ったら特になりますし」
「うん……」
 むむ、どうしたもんかなこの雰囲気。
「あ、そうだ。それじゃあみんなで僕の料理を食べる事になったら、料理をべた褒めしてくださいよ。他の人が実際より美味しく感じるくらいに」
 悪いと思ってるならと、交換条件を持ちかけてみた。つまるところサクラですよサクラ。包丁使ってキュウリ切っただけで大袈裟に驚いてみたり、笑いどころなのかどうか分からないようなネタに大爆笑したりする役職ですよええ。
 すると栞さんは早速サクラのように大袈裟な笑顔で、
「了解っ」
「お願いしますよ? 報酬は栞さんのおかず、こっそり増量という事で……」
「うん。楽しみにしてるね」
 何するにしたって楽しいほうがいいもんね。なんて頭の中だけでちょっと格好つけたりしてみると、
「わたしはお邪魔だったりするのか?」
 またまた嫌らしい笑み口が僕を見上げていた。
「な、成美ちゃん! もう、せっかくいい感じにまとまったのにぃ」
 慌てる栞さんに、猫耳頭が振り向く。多分表情はそのままなんだろうなあ。
「いい感じ? そうかそうかいい感じか。ますますお邪魔なようだな」
「そういう意味じゃなーい〜!」
 とかやってる間にデパート正面入口到着。さて、何を買おうかな?
 二重扉をくぐっていざ店内へ。さすがに空調は弱いけど、まだ暖房だった。となると一層、成美さんと栞さんの服装が違和感を醸し出す。あ、違和感も何も栞さんは見えないのか。
 うーん。あんまり普通に会話してるもんだから、どうもそこのところをすぐに忘れてしまうなあ。
「日向、急な話だったが持ち合わせはあるのか?」
「ええ。買い物だって事で一応財布は持って来ましたから」
 栞さんの部屋へ拠る前に気が付いてよかった。二度来るのは手間だし。
「ならよかった。で、先にわたしの買い物を済まさせてもらって構わないか? 二つだけだからすぐ済むと思うが」
 僕はそれを了承し、進路を変えた成美さんの後についていく。栞さんも僕と同じく成美さんの後をついて歩く。こうして歩いていると、
「なんだか仲のいい兄妹みたいだね。孝一くんが一番上で、栞が真ん中。成美ちゃんが一番下で」
 ……いや、僕と栞さんはいいとして、成美さんはさすがに離れすぎでは? もちろん外見上では、ですけどね。
 すると成美さんは前を向いたまま、
「年寄りを子ども扱いしたって喜ばれやしないぞ。まあわたしの場合、『年齢不詳』のほうが正しいのかもしれんがな」
 それを聞いた僕は考える。この流れなら、ずっと気になっていた年齢を尋ねても自然なのではないかと。ならばこのタイミングを逃す手は無い。膳は急げだ。
「成美さんって、お幾つなんですか?」
「十一だ。あくまで絶対的な数字で答えるのならな」
「え、それはその」
 亡くなってからの年月も合わせてですか? と訊こうとしたが、さすがにそこまで踏み込むのはためらった。すると口ごもった僕に成美さんは笑いかけながら、
「死んだ事がどうとか考えてるのか? だとしたら、そんなに気にしなくてもいいさ。今更気にするようなことではないからな」
「栞も気にしないよ。だから孝一くんも気にしないで欲しいな」
 二人ともに何を口ごもったかあっさりと見抜かれ、僕は苦笑しながら頭を抑えた。
「すいません、自分から訊いておいて」
 しかし二人は言葉通り全く気にしていない様子で、
「人間の年齢に直すとわたしはもう婆さんだ。見てくれはこんなのだがな」
「でもそれは猫の寿命が短いってだけで、成美ちゃんがお婆ちゃんかどうかは分からないと思うよ? 人を基準にしただけだからね」
「嬉しい事を言ってくれるじゃないか。しかし、少なくともお前達よりは年上でありたいぞ」
「こんなに可愛いのにね〜」
 何だか、自分だけ気まずく思ってるのが馬鹿らしくなってくる。本当にいい人達だな。
「ね、孝一くん」
「そうですね」


 少し歩くと、前方に花屋が見えてきた。まずはあそこらしい。
「一番少ないのでいいだろうな。どうせ使うのは週に一回だけだ」
 植物用活力剤がいくつか陳列された棚の前で、それぞれ手に取り値段を確認。
「でもその一回で何本使うか分からないよ〜? だってサタデーだしね」
 栞さんの言う通り、容器の口を広げてガバガバ飲んだくれる植物があっさりと思い描けた。それでも成美さんは「文句は言わせんさ」と一番小さい箱を手にとってレジへ。するとレジ係のおばちゃんが、
「あ〜ら偉いわねぇお譲ちゃん。お花の世話してるの?」
 今時こんなにフレンドリーなデパートの店員がいるだろうか。しかもよりによってそれが成美さんに対してだなんて。
「おじょ……」
 おばちゃんの余りのフレンドリーさに成美さんが絶句すると、その右肩の上に突然、青い火の玉がコンロに火を点けた時のような音とともに現れた。
「のおっ!?」
 なんじゃこりゃ!?
 ―――しかし緊急事態にも拘らず、おばちゃんそれには無反応。むしろ奇声を発した僕に驚いている。……あれ? 変なのは僕ですか? 青い火の玉なんてそんな日常的に現れるものだったっけ? ――――いやいや、ないない。え? 何この状況?
 おばちゃんは見てはならない物から目を背けるように成美さんへと視線を移し、その成美さんが黙って差し出した小銭を受け取り、レジからお釣りを取り出している。火の玉には目もくれない。
「はい。頑張って綺麗に咲かせてあげてね。それとももう咲いてるのかな? 何のお花?」
「す、すまんが急いでいるので」
 その格好のまま極寒の地に投げ出されたかのごとく肩をぶるぶる震わせながらお釣りを受け取り、一刻も早くここから離れたいという感じの成美さん。でもおばちゃんはのんびりしたもので、
「あら、トイレかな? ごめんねぇ、引き止めちゃって。そこを右に行った所にあるから」
「…………!」
 火の玉再び。これで二つとなり、両肩に火の玉を浮かべたその背中は、外見年齢など関係無く恐ろしいものだった。するとここまで固まっていた栞さんが今度は大慌てで、
「ごごごごめんなさい! 本当に急いでるんで!」
 成美さんを抱えて逃亡。放って行かれるわけにも行かないので、追いかける。


「ふー、ぎ、ぎりぎりセーフだった、ねへぇ〜」
 少し走った所で栞さんは脇に抱えた成美さんをベンチに座らせると、肩で息をしながら自分もどっかりとその隣に座り込む。そりゃあ人一人抱えりゃ疲れますよね。成美さん小さいとは言え。
「す、済まない。つい…………大丈夫か?」
 いつの間にか両肩の火の玉も消え、栞さんを気遣う成美さん。
 そう言えば栞さんさっきおばちゃんに謝ってたけど、あれ聞こえてないんじゃ? いやそれを言うなら、
「あの店員さんからしたら成美さん、急に消えちゃったんじゃないですか? 栞さんに抱えられてたんだし」
 するとすっかり息が上がってまともに喋れそうにない栞さんに代わって成美さんが、
「緊急事態だったから仕方ない。自分で言うのも喜坂に悪いがな」
「緊急事態―――って、さっきの火の玉って結局何だったんですか?」
「うむぅ。わたしが機嫌を損ねるとあれが出てきてしまうのだが………三つ目の火の玉が出た時点で周囲十メートル以内の人間がとてつもなく落ち込む」
 なぁんだそんなギャグみたいな効力。と笑い飛ばそうとしたところ、
「先に言っておくがな、一度その光景を見たら笑い事では済まなくなるぞ。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だ」
 大真面目な顔で釘を刺される。でも僕の想像力が足りないのか、それを想像してみてもいまいち危機感が感じられなかった。要するにみんなしてアンニュイになるだけですよね?
 すると栞さんが息を荒げたまま、
「そぉ、そうだよ、孝一くん。前にね、大吾くんが首吊りそうになっちゃったんだよ?」
 それって落ち込むどころの話じゃない事ないですか? 自殺願望って、欝のレベルですよそれ。しかも相当重度の
「まあ、あいつは元から死んでるから心配ないのだがな」
 いやいやいやいや。
「我ながら大人気無いと思ってはいるのだ。それでも、どうしても子ども扱いは我慢できなくてな。済まない」
 隣でハァハァ言ってるいろいろな人の命を守ってくれた恩人に、ぺこりと猫耳付き頭を下げる。その見た目と仕草は非常に可愛らしいが、それを言ったらまた火の玉がと思うと言い出せなかった。周囲十メートルの人の命なんて僕には重すぎる。……いやそもそも僕が被害に遭うか。
 思わず周囲に都合よくロープが垂れ下がってないか確認してしまうが、もちろんデパート内部にそんな物がいきなりある筈もなく、安堵の溜息。
 ふぅ。
 ―――安堵と同時に情報の整理が完了すると、成美さんのお仕事について、ある疑問が浮かんだ。
「誰かに頼まれてする買い物分のお金は、先に預かってたりするんですか?」
 すると成美さん、こくりと頷き、右のポケットから黒い財布を取り出す。
「こっちが楽から預かったほうで」
 そして今度は左のポケットから赤い財布を取り出して、
「こっちがわたしの財布だ。今日は楽とわたしだけだから二つで済むが、これに喜坂と怒橋の分が加わるとポケットが重くてな」
「大吾くんも成美ちゃんもあんまり買い物しないけどねー」
 どうやら栞さんの体力は回復したらしく、声からも顔からも、もう疲労の色は感じられなかった。ふむ、中々の回復力。
 というわけで早速出発しつつ、
「栞さんはどんな物買うんですか?」
「ん? 栞は――えへへ、ちょっと恥ずかしいかな。まあ部屋に置く小物とかだね」
 そんなふうにぼかして答えてみても、実際買いに行くのは隣の人なわけで。
「陶器の置物とかな。わたしからしてもいい趣味をしていると思うぞ」
「ま、またまたそんなあ〜。……一個くらいならあげてもいいよ?」
 成美さんは別にそんな事言ってませんけど? どうやら栞さん、おだてられると弱いらしい。体を気持ちよじらせて普段の笑みとはまた違った緩み顔を見せる。
 しかし成美さんは何か諦めたような笑みを浮かべ返して、
「似合わん似合わん。怒橋に冷やかされるのが落ちだ。わたしに寄越すくらいなら日向にくれてやれ」
 やんわりとお断り。かといって僕はどうかと言われれば、欲しい気もするけどやっぱり似合わないような。と言うかそれ以前に落として割ったりしそうだ。
「じゃあ孝一くん、どうかな? 白鳥とか犬とかいろいろあるけど」
 言われてから考えるまでもなく、両の手の平を向けてご遠慮致しますの意を示す。適材適所ってね。陶器だって似合う人の所に置いてもらえるほうが本望だろうし、粉々になるのは嫌だろうから。
 しかし栞さんは二人に揃って受け取り拒否された事に傷心気味らしく、
「うーん、人気無いのかなあ……可愛いのに」
「それは分からないでもないが、可愛ければ何処に置いてもいいというわけでは無いぞ」
「ですよね。例えば大吾の部屋にあの……握力鍛えるギュッギュッてやつがあっても何とも思いませんけど、栞さんの部屋にあったら変ですし」
 八の字のあれ使用中のジェスチャーを織り交ぜながら説明してみると、「それもそうかぁ」と頷く栞さん。
「逆に怒橋くんが置物欲しいって言ってもやっぱり何か変だもんねー。それでも欲しがってくれるんならあげるけどさ」
 欲しがって「くれる」という言い回しから、相当その置物を大事にしてるんだろうなと感心する。ならやっぱり栞さんが持ってたほうがいいだろうな。そう考えたところ、
「あ、でも本物の動物にすぐ懐かれるのが羨ましいからやっぱりあげるのやーめた」
 嫉妬心丸出しだった。

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