そんな事を言ってる間に買い物終了。いつもより多めに食材を買い込んでビニール袋がちょっと重たい僕と、片方の手に小さなビニール袋、もう片方の手でシールを張られただけの電池をもてあそぶ成美さんと、手ぶらの栞さんは帰路につく。僕の買い物中に成美さんが魚置き場の前で暫く立ち止まっちゃったのはさすが元猫さんと言ったところだろうか。
 来る時に引っかかった信号でまた足止めされていると、ビニール袋の重みが一層強く感じられ、ふとその中身に目をやった時、今更ながらな疑問が。
「みなさん食事は普通にしてるんですか?」
 栞さんはきょとんとした顔で。成美さんは平均点ギリギリのテスト用紙を生徒に返却する時の教師のような目で僕のほうを向いた。
「普通じゃない食事とはどんなものだ? なんでも手掴みで食べるとかか? 国によってはそんな所もあるかもしれんが、ここは日本だ。元猫のわたしでも食事の時は箸を使うぞ」
「あ、いえ。方法の話じゃなくて一日三食食べてるのかなって。サタデーが食べなくても死なないみたいな事を言ってたんで」
「ああ。そういう事か」
 成美さんの目から蔑みの色が消えると今度は栞さんが、
「栞達も食べなくて平気。でもほら、お腹が空かなくても美味しい物って食べたくなるでしょ? ショートケーキとかチョコレートケーキとかチーズケーキとか」
「栞さんがケーキ好きなのは分かりました」
 すると栞さんは腰に手を当てて誇らしげに胸を張り、
「いくら食べても太らないっていいよねっ!」
 年をとらないのと同様、幽霊の体型は変化しないという事だろうか?
「生きてたら今頃どんな体になっているのやら……」
「や、やめてよ成美ちゃん。食いしん坊だと思われちゃうよ〜」
 もうそんな気はしてます。
 でも今の姿が普通の体型って事は、生前食いしん坊だったなんて事も無いんだろうけどね。それに第一、甘い物が好きってだけで太るのが確定だったらそこら中太った人だらけになっちゃうし。
 そこで信号が変わり、それぞれの歩幅で足を踏み出す。


 暫らく進むと、大小様々な建造物の向こうに一際大きな白い建物が頭を覗かせる。行きしには気付かなかったから、あの建物には背を向けて歩いていたという事だろうか。
「あの向こうに見えてるのって、病院なんですか?」
 看板も何も見えてないけど独特の雰囲気からそうなんじゃないだろうかと察し、件の白い建物を指差して、連れのお二人に尋ねてみる。病院といえばやっぱり地域の重要地点だしね。自分がいつお世話になるか分からないし。
「ああそうだ。この辺りで病院と言えばあそこしかないから、覚えておくといいだろう」
 その建物に負けないくらいの純白さを誇る小さな買い物担当さんは、横目に僕を見上げながら、そうアドバイスしてくれた。
 自分で認めざるを得ない程に方向音痴な僕だけど、あれだけ縦に大きい造りならさすがに目立つし大丈夫だろう。と呑気に構えていると、
「できたら、覚えてなくてもいいように気をつけるのが一番なんだけど――」
 栞さんのその口調は、特に注目するべきところの無い、何でもないものだった。だけど、気にするほどの事でもないんだろうけど――栞さんは、病院も僕も成美さんも、何も見ていなかった。何も見てないけど、強いて挙げるなら地面を、だろうか。やや俯き加減。そのせいで口調の割には独り言のような、そんな印象を受けた。
「――まあ、どうしようもない時は仕方ないよね」
 もちろん独り言ではないんだろう。だけど、分かっているのに反応ができない。……何故だろう。
 そのおかげで会話に穴が開いてしまう。が、それも「穴が開いた」と気付いた直後には下方からの声に塞がれた。
「ふん、そうだろう。とどのつまりはわたしの言った通り、大人しく病院の場所を覚えておけ、という事だ日向」
「覚えられる自身はないですけど、そうですね。了解しました」
「大丈夫だよ、あれだけ大きかったら」
 気の回し過ぎだったか、栞さんはあっという間に普段通り。


「あっ」
 もうあと十メートル程でみんなの我が家に到着するかという頃、栞さんが小さく声を上げ、足を止めた。何かあったのかとその視線の先へ目をやれば、あまくに荘正門前に中年女性らしき人影が二つ。どうやらこのアパートを見上げたりしながら何か会話しているようだった。もちろん距離の関係上、会話の内容は全く聞こえないけど。
「あの人達がどうかしたんですか? 知ってる人だったりとか?」
 見つけただけで声を上げたり、そのまま遠くから眺め続けたりするほどの意味をあのおばさん二人に見出せず、それでもその二人を眺め続ける栞さんに尋ねてみた。すると栞さん、少々驚いた顔をしつつも、
「え? あ、う、ううん。知らない人だよ」
 じゃあ一体何が? ともう一度道路の中年女性二人組を見ていると、
「度々ご苦労様だな」
 成美さんが腕を組んで、憎々しげに言い捨てる。ただならぬ雰囲気になんだなんだと慌て始める僕だったけど、それに続く栞さんの説明に、あっさりと納得させられた。
「あのほら、ここってお化け屋敷なんて呼ばれちゃってるからあんまり良くないふうに思ってる人もいるの。気味悪いー、とかさ。仕方ないんだけどね。本当の事だし」」
 そういう事ですか。
「まあ………仕方ないと言えば仕方ないですね」
 初日に脱走しようとした事を考えるとフォローする側に回れない。それどころかぐさぁりぐさぁりと胸が痛む。あちらの二人のように遠くでひそひそどころか、近くで絶叫でしたからね。他人の事言えない、どころの騒ぎじゃねえですハイ。
「ふん。――さあ行くぞ。あんなのに気を遣ってここで突っ立っておく理由もないだろう」
 言うが早いか、やや早歩きで僕と栞さんを尻目にずんずん進み始める成美さん。僕と栞さんはそれについて歩く。
 近付いてみれば、あちらの二人も耳が出たままの成美さんに気付く。
「あ、あら。こんにちは、お譲ちゃん」
 取り繕う気があるのか疑いたくなるくらい思いっきり苦笑しながら、女性の一方が声を掛けた。成美さんがここの住人だと知っているのだろう。
 成美さんに至っては、取り繕う気があるのかどうかなど疑う余地もなかった。
「こんにちはっ!」
 二言目には「頼むから話し掛けるな!」とでも続きそうな勢いで、二人に向かって言葉をぶつける。
 それを聞いて苦笑どころか青ざめ始めたその相手は、二人でこそこそ言い合いながら、そそくさと歩き去ってしまった。仕方ないとは言ったものの、その姿から受け取る印象はやはりよろしくない。僕に話し掛けてこなかったのは不幸中の幸いだったってところだろうか。
 お化け屋敷、かぁ。みんないい人達なのに。
「じゃあ、頑張ってくるねー」
「あ、お疲れ様です」
 ややこじれてしまった雰囲気を変えようとしたのか、栞さんが自身の仕事である掃除に突然、明るく、元気よく取り掛かった。今回は部屋掃除をするらしく、家守さん宅へとドアをすり抜けて進入。どうやら家守さんは留守らしい。恐らく、家守さんも仕事なのだろう。ご苦労様です。
 一方の成美さんは栞さんの背中に薄く笑みを浮かべると、仕事のついでに――いや、それが仕事の仕上げなのだろうか、買った物を届けようと清さん宅のインターホンを鳴らす。……が、どうにも反応がない。三回ほど「鳴らしては暫らく待ち」を繰り返すと、栞さんと同じくドアをすり抜け中へ進入。そして数秒と経たない内に再びドアをすり抜けて出て来ると、その手からはビニール袋が消えていた。そしてそのままてこてことこちらへ戻ってくると、
「楽もサタデーも、どちらも留守らしい」
「どこに行ったんでしょうね?」
「さてな。サタデーはともかく、楽の行き先なぞ心当たりが多すぎて見等もつかん」
 フッと息を漏らし、微笑を浮かべる成美さん。
 どうやら清さんは、かなりの広範囲をテリトリーとしているらしい。……仕事ではなく趣味で、だろうけど。
「じゃあ、サタデーはどこへ?」
「怒橋と散歩だろう」
 当然だとでも言わんばかりにしれっとそう言い放つ。と、その直後。
「ワンッ!」
「お、チャイム鳴ったと思ったらやっぱオマエ等だったか。おけーり」
「あーいーざーわー! 俺様注文のITEMはどうしたよぉ!?」
 噂をすれば何とやら。家の裏手から、件のお二方にジョンを加えたお三方が賑やかに登場。どうやら成美さんが言った通りだったらしい。
 背中から喋る花を咲かせてどこにお出掛けかな? ジョン。
「家が留守だったから玄関に置いてきたよ。そんなに待ち遠しいなら、わたしが帰ってくるまで待っておけばいいものを」
「うっひょー! いただきまーす!」
 成美さんの二文めは全く聞いていないらしく、注文の品の場所を耳にした途端、ジョンの背中から飛び降りて102号室目がけ突進するサタデー。やや無礼。
 102号室のドアに到着したサタデーはこれまたドアをすり抜けて……と思いきや、自身の腕であり足であるつるの一本を、つるの束へと突っ込んで何やらがさごそ。そして取り出しましたるはドアの鍵らしく、ドアノブをガチャガチャ弄くるとドアが開き、通常の方法で部屋内へ進入。うーむ、鍵にあんまり意味が無いような。
 鼻を鳴らし、腰に手を当てて、やれやれとその背中を成美さんが見送ると、そんな成美さんへ大吾が声を掛けた。
「おい成美。清サン、今日は釣りらしいぞ」
「本当か? それは楽しみだな」
 釣り? で、楽しみ? とは、どういう事だろうか。
「清さんが釣りに行くと、何かいい事でもあるんですか?」
 質問した僕へ、くるりと向けられた成美さんの顔は、「そんな事も分からないのか?」と言いたげだった。
「釣りに期待するものと言えば、当然魚だろう。美味いぞ、釣りたては」
「多く釣れたりするとな、刺身にして全員で食ったりすんだよ」
「ワフッ」
 ジョンも含め、全員が楽しみそうな表情。となると、否が応にも期待は高まる。
「へー」
 それは是非あやかってみたいものですね。
 するとその時、少し離れた所から、ドアの閉まる音と微かに聞こえる鍵を掛ける音。そして、
「おーい大吾ー! ジョーン! 早く行こうゼー!」
 テンションの高いそんな声。ジョンが尻尾を振り振りそのビニール袋をぶら下げた声の主に駆け寄り、大吾は「じゃ、行ってくるわ」と片手を挙げた。
『行ってらっしゃい』


 一人と一匹と一輪の妙な背中姿が確認できなくなるまで見送ると、成美さんが話し掛けてきた。
「日向。鍵の音で思い出したんだがな」
「はい?」
「あまりお前には関係の無い事だし、もう誰かから聞いているかもしれん。が、一応教えておくぞ。――わたし達は、やろうと思えば壁をすり抜ける事ができる。さっきの喜坂やわたしのようにな。だが、ああいった仕方ない場合以外では壁抜け禁止となっているのだ。此処のルールではな」
「へえ、何でですか?」
「親しき仲にも礼儀ありってやつさ。壁からいきなり覗かれるのは嫌だろう? だから家守がそう決めたんだそうだ。覗きが趣味の奴なんていないからな」
「なるほど」
「だから、壁から誰かがひっそり覗いてるなんて事は無いから安心しろ」
「はい。……と言っても、覗いて面白いような生活してませんがね。部屋の中じゃテレビ見てるだけですし」
「ま、男の一人暮らしじゃな」


 というわけで、そんな男一人暮らしの夜。やっぱりテレビをぼけっと眺めているだけです。いや、僕はテレビを見てそれなりに楽しいんですけど、その僕の様子を見ても全然楽しくなさそうだなってですね。
 みんなはどうしてるのかな? 大吾はとっくに帰ってきてるだろうし、栞さんの仕事は……それもさすがにもう終わってるかな。成美さんはあの何も無い部屋でどう過ごしてるんだろう。清さんもう帰ってきたかな。家守さんの仕事ってどれくらいかかるものなんだろうか。
 CMに入っている間暇にかまけてそんな事を考えていると、呼び鈴が鳴った。
 ああ、すっかり忘れてたけど電池はまだ大丈夫みたいだ。良かった良かった。
「はーい」
 ドアの覗き窓から外を見るでもなくそのままドアノブを捻ると、成美さんがちょこんと立っていた。しかしその目は何やら喜ばしい事があったのを物語っていて、
「みんなで刺身を食うぞ」
 という事はつまり、
「清さん大漁だったんですね」
 これは魚捌くの手伝わされるかな? なんてちょっと心配したりもするが成美さんはそれどころではない様子。
「いや、魚の数はそれほどでもない。と言うか一匹だけだったのだが、釣れたのが大物でな。まあ来てみろ。皆ももう集まっている筈だ」
 口調はいつもと同じだけどちょっとだけ早口になってる辺り、刺身パーティーをするって事がここで喋ってる時間がもったいないくらいに嬉しいんだろうな。それが純粋に食欲から来てるのか、みんなが集まる事から来てるのかまでは分からないけどね。
「みんなって事は、家守さんももう帰ってるんですか?」
「ああ。だから早く来い。魚は新鮮なうちに食うのが一番だ」
 成美さんはそう言いながら既に視線を進むべき廊下側へと向け、僕の袖をくいくいと引っ張る。上から見下ろすその様子がなんだか本当に小さい子どもにおねだりされてるみたいで、微笑ましかった。
「分かりました。ちょっと待っててくださいね」
 テレビ消して、部屋の電気消して、と。さあ、どんな大物をご馳走になれるのやら。


「でっか。い、いやそれよりも」
 成美さんの部屋に着くと、他のメンバーへの挨拶もそこそこにまな板の上のそれを見せ付けられた。まずは前述の通りその大きさに驚く。確かにこれは大きい。つまむ程度でなら全員に充分行き渡るだろう。清さん、ナイスファイト!
 さてそれで、その清さんがファイトした相手のこの魚はどう見ても鯛。紛うことなき鯛。更に言うなら尾頭付き。めでたい。釣ってきたんだから当たり前だけどね。
「清さん、海まで行ったんですか?」
「む? ああ、ちょくちょく行ってるらしいぞ。川釣りもやるらしいがな」
 ここ、別に海が近いとかそういう場所じゃなくて、いやむしろ海遠くて。昼過ぎに僕と大吾がお邪魔した時はまだ清さんここにいたし………活動的にも程がありますよ清さん。車使ったとかならまだ分かるけど、幽霊が運転するっていうのはちょっと考え難いし。
「どうやって海まで行ってるんでしょう? まさかここから歩いてなんて事はないでしょうし」
 と成美さんに尋ねてみたが、背後に独特のにやついた気配。自分でも説明しがたいけどそんな気配。そしてそんな気配を発するのはやっぱりにやついてる人。つまりは、
「んっふっふっふ。まだ言ってませんでしたが私、実は妻子持ちでして。で、妻は日向君のように見える体質なんですよ。なので遠出する時は妻に車で送っていってもらうんです」
 振り返るまでもなく清さんです。そりゃあ背後から話し掛けられれば振り向くけどね。
「へえ、そうだったんですか。お子さんって幾つくらいなんですか?」
「今度中学生になります。んっふっふっふ」
 と清さんが笑いながら顎を触る仕草をすると、成美さんが僕を栞さんのことでからかった時と同じ目をして、
「楽もまだまだ若いな。奥さんに送っていってもらうなんて言っておいて、本当はデートのつもりなのだろう?」
「おや、ばれてましたか。これはお恥ずかしい」
 顎から頭へと手を伸ばし、やっぱり笑いながら頭を掻いた。
 そんなに仲がいいならなんで自宅で一緒に暮らさないんだろう? なんてつい考えたりしてしまうが、やっぱり幽霊って事もあっていろいろあるんだろうな。そういう事は訊かない方がいいか。
 清さんが開いているのかどうか疑わしいほどの糸目を本日の釣果へと向ける。
「で、どうです? さすがにこれだけ大きいと捌くのは時間がかかりそうですか?」
「二人掛かりならそれほどでもないだろう」
「それはつまり……日向君も魚を捌けるという事ですか」
 そう言うと気持ちにっこり度が上昇した顔を僕のほうに向けて腕を組み、
「ほお、若いのに感心ですねえ。んっふっふっふ」
 料理は趣味でやってる部分もあるので、褒められるとちょっと照れ臭い。嫌々やってるんじゃなくて自分から進んでやってるわけだし、感心だなんてもったいないお言葉で。
 そう言えば今って料理できなくても結構食べられる物あるし、料理できなくても一人暮らしってそんなに困らなかったりするのかな? ま、できて損なわけじゃないし好きでやってるんだから別にいいか。
「楽もやってみればいいのではないか? また一つ趣味が増えるではないか」
 包丁を二本取り出して水洗いしながら成美さんが提案。大丈夫なんだろうけど、見ていてハラハラするのは成美さんの体型のせいだろうか。
「いやー、料理は妻に任せっきりだったものでどうも苦手意識がありまして」
 目と口はそのままに、眉毛だけがちょっと情けない感じになる。
 本当、表情の変化に乏しいよね清さんって。とそれだけ言うと無表情な人を思い浮かべそうだけど、笑ったまま固定なんだもんな。驚いたりしても笑ったままなのかな?
「そんなわけでして、すみませんがここはお任せします。それで、飲み物をあちらの部屋に持っていってもいいですか?」
「ああ、わたしが出そう。というわけで日向、先に始めておいてくれ」
「分かりました」
 お盆に麦茶が入った入れ物といくつかのコップを乗せ、成美さんが台所を後にする。清さんもそれに続き、台所で大物の鯛と一対一。まあどうせ三枚におろすまでは個人作業だから一人でも問題無いさ。では、いざ。
 向こうの部屋で話しこんでいるのか成美さんが中々帰ってこない中、一人黙々と鱗を落とす。さすがに大きい分時間が掛かるが、それでも成美さんは帰ってこない。それが終わったら今度はエラと内臓を引っ張り出す。そしてついにその立派な頭を外す時が。体の両側から切り込みを入れた後、
「ふんっ」
 中骨を力任せに切る。と言うか折る。すると頭と体が分離。
 いやあさすが、体格に合わせて骨も太い。気がする。堅かったし。
「済まん済まん、つい話が長くなって……お、中々早いな。もう頭落としてたか」
 背後から成美さんの声。しかし僕は振り向かずに作業続行。刃物使用中によそ見は禁物だよっと。
「もうちょっと待って下さいね。すぐ上身おろしちゃいますから」
 ここまで来ればあとは身に包丁入れるだけだからすっすっすっと。はい、まずは二枚おろし完成。
「じゃあこっちお願いします」
「任せろ」
 とここで初めて後ろを向くと、幼児や赤ん坊が使うような小さな椅子を僕の隣に配置してその上に立ち上がる成美さん。しばしその座ったら「ぷぴー」とかいった音がしそうな椅子を見ているとその視線に気付いたらしく、
「これ無しでもできない事はないのだが、やはりやり辛くてな。それで何か台になる物を買いに行ったのだが、まー恥ずかしかったぞ。自分からこういう物を買うというのは」
 手馴れた様子で腹を削ぎ、皮を引きながら苦笑い。そりゃあ花屋の店員のおばちゃんに子ども扱いされただけであんなだったですし、自分から子ども向け商品を買うとなるとよっぽどの事だったでしょうね。
「でも役には立ってるんですよね?」
「まあな」


「お待ちどうさまでーす」
 一仕事終えて僕は大皿を両手で抱えながら、成美さんは全員分の小皿とチューブのワサビ、それに醤油を持ってみんながくつろいでいる居間へ。ちなみにちゃんとサタデーもいるけど、さすがに食べないんだろうな。小皿の数が一つ足りないし。
 さあ本番はここからだ。全員揃って、
『いただきまーす』
 それからは会話:食事=七:三くらいな感じで賑やかな時間が過ぎていく。新鮮なだけあって刺身も美味しいし、成美さんがドアの前であんなに嬉しそうだったのもこれなら充分頷けるな。
「ねえ、こーちゃんこーちゃん」
 サタデーに絡まれる、どころか絡みつかれて何やら騒いでいる大吾を眺めたりしながら和んでいると、隣に座った家守さんからお声が掛かった。
「何ですか?」
「しぃちゃんから聞いたよ。こーちゃん料理できるんだって?」
 刺身を一切れもぐもぐしながら尋ねる家守さんに対抗して、僕も一切れ箸で摘む。
「ええまあ」
 そしてワサビ無しの醤油をちょっと付けて口に運ぶ。実に美味しい。
「アタシ料理全然駄目でさ、よければ教えてもらおうかなーと思ったんだけど……あ、専属シェフって事でお給料出すよ? 他のみんなと同じに」
 あ、そう来ますか。
 それを聞いた栞さんは胸の前でぱんと手を合わせ、
「わー、それ面白そう。栞も教えてもらおっかなー」
 あ、そう来ますか。
「で、どうかなこーちゃん。アタシとしては是非にでも頼みたいんだけど」
 と言われても自分ができても他人に教えるってのは経験が無いし、ちょっと不安だな。一緒になって作るとかだったら何とかなりそうだけど。
「是非にでもって、何か理由でもあるんですか?」
 苦し紛れにとは言わないけどなんとなく引っかかったので質問してみる。すると家守さんは、らしくもない少し恥ずかしそうな顔をした。
「まあその、まだ言ってなかったんだけどアタシ、これでも婚約者がいたりするのよ。それで……やっぱり料理くらいはできたほうが絶対いいしさ」
 何ですと!? それは真ですか家守さん!
 僕が驚いている間に、周りも静かになった。どうやらあっちの四人組のドタバタも家守さんの一言で収まってしまったらしい。
「あ〜、楓さん赤くなっちゃった〜」
「姐さんも女らしいトコあるんだな。CUTEだねえ」
「さすがの家守も好いた男が絡めば普通の女だということか」
「普段がオッサン過ぎるんだよヤモリは。ここでの振舞いをダンナさんに見せてやりてえぜ」
「どうですか日向君? ここは一肌脱いであげては。んっふっふっふ」
 みんなびっくりしたのかと思ったけど、話に食いついてきただけであって知らなかったのはやっぱり僕だけだったらしい。
 最初はやってもいいかなとも思ったけど、こういう状況になると本当に僕で大丈夫なんだろうか? と怖気付いてしまいそうになる。だって家守さんが自分で食べるんならともかくダンナさんに食べてもらうための料理だなんて、責任重大じゃないですか。婚約者って事はまだ正式にダンナさんってわけじゃないんだろうけどさ。
「べ、別にあの人がどうこうってわけじゃなくて、今更になってこんな事頼まなきゃいけない自分が恥ずかしいだけだよ」
 残った数枚の刺身をまとめて口に放り込みながら、半ば投げやりな感じで弁明する家守さん。
 パーティーの主役が売り切れて、残るイベントは一つだけ。
「情けない話だけど、頼まれてくれる?」
 この場の注目を一身に集める男がその依頼に首を縦に振るか横に振るかという、それだけの催し物。でも全員が期待の眼差しを向けるこんな状況で横になんて振れる筈もなく、
「分かりました。引き受けます」
 こうするしかないような気もする僕の返答に拍手と、「おお〜」という低い歓声が沸き上がる。そして家守さんはと言うと感激したと言わんばかりに僕の手をとり、
「ありがとう! 恩に着るよこーちゃん!」
「その代わり、ダンナさんに僕から教わったとか言わないでくださいよ? 恥ずかしいですから」
「あはは、アタシも恥ずかしくて言えないよ。年下の男の子に教えてもらった料理だよー、なんてさ。だからその辺は心配御無用!」
 交渉成立ですね。それではこれから頑張ってください未来の花嫁どの。「未来の」でいいよね? 今はまだ婚約者なんだし。
「じゃー刺身も無くなったところでそろそろお開きにしますか」
「うお! もうねえのかよ!? オレちょろっとしか食ってねえぞ!?」
 家守さんの言葉に皿を振り返ると、それで初めて刺身が無くなった事に気付いたらしく大吾が吼える。ずっとサタデーと遊んでるからだよ。
「わたしはサタデーに絡まれたお前を眺めながらちょくちょく頂いたぞ」
「私も同じく。んっふっふっふ」
「俺様はお前に絡みつきながらENERGIES MEDICINEをじっくりゆっくり味わってたゼ! もう中身全部空だがな!」
「僕も合間合間に結構食べたよ」
「栞もちゃんと食べてたよ。美味しかった〜」
 みんなが喋る度にそちらを向き、その都度漫画的表現で言うなら冷や汗たらりな表情を浮かべる食卓の敗者。そして全員から話を聞き終わるとその焦りは怒りへと変換され、その怒りは体の震えとして視覚でも捉える事が可能となった。そしてそのまま震えること数秒、大吾の首がぐるりと回って標的を補足する。
「サタデーーー! テメエのせいだぞこの野郎ーーーー!!」
「恨むんなら土曜日に釣ってきた清一郎を恨むんだなぁ! HAHAHAHAAAAA!」
 どたどた走り回る大吾からしゅるしゅる逃げ回るサタデーを眺めつつ、同じくその二人を見て微笑を浮かべている栞さんへちょっと気になった事を質問。
「みなさんは家守さんのダンナさんに会ったことがあるんですか?」
「うん。たまーに楓さんに会いに来てたんだよ。今は海外でお仕事中らしいけど」
 仕事で海外と言われると、何だかすごいやり手な人そうな響きだなあ。職種によっては当たり前なんだろうけど。
「何の仕事をしてらっしゃるんですか?」
「ふふ。楓さんとおんなじだよ」
 って事は、ダンナさんも霊能者? それで海外ってありなんだろうか。幽霊を信じる信じない以前に、宗教とかで幽霊についての考え方自体が違ってくると思うんだけど。
「霊能者って海外でも通用するんですね」
「ダンナさんのお家ね、その道では世界的に有名なんだって。すごいよねー」
 それってもしかして、とんでもない高家の人だったり…………あ、サタデー捕まった。と思ったら大吾の腕をすり抜けた。そしてまた追いかけっこへ突入。
 大吾。刺身はあんまり食べられなかったけど、今回一番楽しんだのは多分大吾だよ。良かったじゃない。まあそれはいいとして、
「ぜひ一度会ってみたいですね。あ、でもあんまり早く来られたら家守さんが困っちゃうか」
「どうして?」
「料理できるようになってからでないと駄目ですし」
「あ、そうだったね。料理の先生頑張ってね、孝一くん」
 と言われて出てくる表情は苦笑い。
「できる限りは頑張りますよ」
 するとなぜかここで、栞さんも申し訳なさそうな顔になる。そしておずおずと口を開くと、
「えっと、できたらでいいんだけど、栞もいい? 料理教えてもらうの」
 そう言えばダンナさんの話になる前にも言われたけど、家守さんの話に気が向いちゃってつい返事するの忘れてたな。申し訳ないです。
「構いませんよ。って言うかこっちからもお願いします。一対一だとなんだかやり辛そうで不安だったんですよ」
 なんたって相手が年上(年齢訊いたわけじゃないけどね)だし、教えられる側ならともかく教える側っていうのはやっぱり何て言うかね。立場が曖昧って言うかね。その点同じ年代の栞さん(こっちもやっぱり訊いてないけど)がいてくれたら何かとやりやすいかな。
 それに、
「ありがとう孝一くん。それじゃあよろしくお願いします!」
「こちらこそ」
 なあんて周りがドタバタしてたりそれに気を取られたりしてる隙にお隣さんと親睦を深めつつ、そうこうしてる間にも今宵の祭りは滞りなく進行中。
「待てやコラーっ!」
「お断りだゼーっ!」
 この日はそのまま、近隣住民の迷惑にはならない静かな大騒ぎが日付変更の直前まで続きましたとさ。


 自分の部屋に戻って小一時間ほど。布団を敷いていざ眠ろうかと電気を消した時、別れ際の遣り取り、そしてそれと同時にに栞さんが見せた微笑みがふと頭に浮かんだ。
「じゃあ、お休みなさい。また明日ね、孝一くん」
「はい。お休みなさい、栞さん」
 部屋の位置が二階の一番奥なので、最後の「お休みなさい」は一対一。だからと言って特別な事があるわけでもなかったんだけど、別れ際の表情というものはやはり印象に残る。
 そして、その表情と対比するかのようにもう一つ、頭に浮かぶ。
 買い物の帰りに病院を見つけた際の、やや俯いた表情だ。俯いているとは言え普段通りの表情なのに、どこか陰を感じさせるような。そんな、言葉で説明し辛いあの表情。
 ……もちろん栞さんは幽霊で、話題になっていた建物は病院だ。その事を考えれば、そうなってしまうのも分かる。なんせ一度、死んでしまっているんだから。
 当然ながら、僕にそんな経験は無い。無いけど、それが「辛い記憶」に分類される事くらいはいくら何でも理解できる。親にちょっと怒られただとか誰それと喧嘩しただとか、そんなレベルの話でない事も分かる。
 でも、僕がここに来て三日、栞さんは――いや、ここのみんなは、普段の振る舞いからはそんな事を微塵も感じさせなかった。さっきの集まりがいい例だ。それは、かなり凄い事なんだろう。
 そんなみんなに真摯な敬意を表しつつ、だけどもそこには触れないようにしようと決心し――
 僕は、目を閉じる事にした。

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