その後もゴムボートが水面に叩き付けられるまで叫び続け、豪快な音を立てながら着水した後は女子組上機嫌。
「やー面白かった! しぃちゃん、もっかい行かない?」
「はい!」
 一方の男子組。
『………!』
 二人ともゴムボートから投げ出された場所から動けず。なぜ動けないかと言いますと、うずくまってしまうほど痛いんですよ僕もウェンズデーも。
 背中を抑える僕とくちばしを抑えるウェンズデーに、ざぶざぶ近付いてきた女子二人も何があったかすぐに悟ったらしい。心配そうな口調で声を掛けてくれた。
「ぶつかった、って言うか刺さっちゃったんだねー……こりゃ痛いわ」
「だ、大丈夫? 二人とも」
 ゴムボートの座り位置を決める際に、ウェンズデーを持ち物扱いして前に座らせなかったのがまずかったか。
 ごめんね。これは多分そんな失礼な扱いをした僕にバチが当たったんだよ。本人も巻き込んじゃってるけど。
「あんまり大丈夫じゃないかもです……」
 あ痛ったあ〜。
「おごごご……くち、くちばしがへこむであります……」
 口を押さえて涙目になりながら水面を仰向けで漂う。
 なんかもう、本当ごめん。今回こんなのばっかりだねウェンズデー。
 血とかは出てなかったようで安心しつつも、立つのがおっくうなほど背中が痛いのでひとまず休憩。だからと言って待ってもらうのも悪いので、もう一度乗ろうと言う家守さんと栞さんには僕を置いて行ってもらいました。ウェンズデーは強制連行で。
 まあ一番前に座りさえすれば安全だから、僕の分まで楽しんできてください。
「いやあ災難でしたね日向君。大丈夫ですか?」
 プールサイドに座り込む僕の隣には清さんが。らしいと言うかなんと言うか、こんな時でも笑顔なんですね。取り敢えず元気付けようとしてくれてるって事にしておいて、こっちも負けじと笑顔を返す。
「ま、まあ怪我にもなってないですしね。あははは」
 その笑顔がまだ引きつってるのはご愛嬌。そんな事考えてると余計痛みが増してる気がするので、話題変えましょう話題。先に落ちてった割に姿が見えない二人についてでも。
「ところで、大吾と成美さんはどこ行ったんですか?」
「ああ、あのお二人ならもう一度あれに乗りに行きましたよ」
 と言って顎を指すのはもちろん、背中の仇の水滑り。
 あ痛ててて。ってのは気にしないことにして、そうですかもう一度行きましたか。意外ですね、大吾はともかく成美さんはもう行かないと思ってたんですが。
 ふと思いついたのは、離せ離せとわめく成美さんを肩に担いで無視しながら、すたすたと階段を上っていく大吾の図。
「成美さんは無理矢理連れて行かれたとかそんな感じですか?」
「いえ、怒橋君が『思ったより怖くなかっただろ』ときちんと説得して、同意の上で仲良く階段を上がっていきましたよ」
 確かに怖いのが水だけって言うのなら、着地点は浅いんだしそんなに怖くないのかも。乗る前に大吾が言ってた気もするけどね。
「と言っても哀沢さん、少し放心状態だったようでしたがね」
 あれ。
「もしかしたら上で家守さん達と合流してるかもしれませんねえ」
 と清さん、ウォータースライダーを見上げる。釣られて僕も見上げる。もちろんここからてっぺんなんか見える筈はないんだけど。
 その見上げた姿勢のまま、
「そうだ。今なら他に誰もいませんし、よろしければ教えましょうか? 私が年を取る理由。んっふっふっふ」
 と笑う清さん。車の中で言ってた「機会があったら」っていうのは「二人っきりになったら」って事だったんですか。より聞きたくなりますねえそういう条件が付け加えられると。
「聞かせてください」
 僕がそう返事をすると、清さんは顔を下ろしてこちらに向けた。
「手短に言いますよ」
「はい」
「愛し合う家族がいるという事です」
 愛し合う……………はい。
「本当に短いですね」
「本当にそれだけですからねえ」
 そう言いながら清さん、恥ずかしそうに頭に手を当てた。それで二人っきりが条件って事ですか。「様」に続いて現実世界ではじめて聞きましたよ「愛し合う」なんて言葉は。そりゃあさすがに恥ずかしくてもおかしくないですよねえ。冗談で言うならともかく、それが条件だって事は本気でって事なんですし。
「んー………やっぱりもうちょっと追加します。さっきのに加えて『生きている家族』ですね。私が自分で妻と息子と同じ時間を過ごす事を選んだ、と家守さんに言われました。自覚は無かったんですがねえ」
「格好いいですね清さん」
「いやこれは、まいりましたねえ。あっはっはっは」
 冗談半分に褒めたところ、清さんはこっちから目を逸らすように後ろに手をついて空を見上げた。
 半分は冷やかしですけどもう半分は本気ですよ? 経験はもちろんないですけど、やっぱり凄い事なんでしょうし。
 笑い終わると、清さんは顔を下ろした。
「私は幸運だっただけですよ」
「え?」
「家守さんによれば、相手がこちらを認識できるのも条件の一つなのだそうです」
「そう――なんですか」
 更に高くなるハードルになぜかこちらが気圧され、無意識の内に横から押されたかのように片手を床につけた。それを知ってか知らずか、清さんが後ろに反った上半身を捻ってこちらに向ける。そうされると余計押される感じが………まあもちろん気のせいなんだけど。
「言われてみれば当たり前なんですけどね。そうでもなければ死んでしまった相手と愛し合うなんて事、できやしませんから」
 返事はできなかった。僕には経験が無くて、本当にそうなのか分からなかったから。
 ――違うか。分からないのなら「そういうものなんですか?」とでも訊けばいい。ならなぜ訊かなかったのか。いや、訊けなかったのか。
 清さんの言い分を聞いた瞬間、僕は多分頭の中で「ああ、そりゃそうですね」と同意した。亡くなった人の事を残された人が、あ……愛し続けていたとしても。そしてその亡くなった人が実はすぐ傍にいたとしても、残された人が見るのはその人自身ではなく、その人の遺影だ。お互いに愛する事はできても、愛し「合う」事はとても無理だ。
 そう思って、すぐに打ち消した。どうしてだと説明を求められたらきっと答えられないけど、打ち消した。そして二の句が続かず、黙り込む形になってしまう。
「………あ、申し訳ないです。また熱くなって余計な事を言ってしまいましたね」
 動きを失った僕の代わりに清さんが口を動かすと、僕が自分で掛けた金縛りはあっさりと解けた。そして今度は返事もちゃんと。
「い、いえいえ余計な事だなんてそんな。ためになりますよ人生の先輩の話は」
「そうですか、それは何より。恥ずかしい思いをした甲斐もあるってものですねえ」
 そう言って清さんはいつものように笑う。このとき初めて清さんのこのいつもの笑いが、とても頼もしく感じられた。


「ぁぁぁぁぁあああああああっほーーーーい!」
 ほーい。
 どばしゃー。
「二週目、ご到着ですねえ」
「ですね」
 騒々しく水面に激突した恐らく定員ギリギリなゴムボートから投げ出された四人は何事もなく立ち上がり、一匹はそのまま泳いでこちらへ帰還。おお、大吾のツンツンヘアーがぺちゃんこだ。
 それはともかく、どうやら今回は事故はなかったみたいだね。良かった良かった。
 事故と言えば、清さんと話してる間に背中の痛みも引いたし次は僕もご一緒できそうですよ。と言ってもさすがに三回連続は
『プールからお上がりくださーい。休憩時間に入りまーす』
 そうきましたか。そうですよねそろそろ来るだろうと思ってましたよその時間が。
「あはは。こーちゃん休憩しっぱなしだねー」
「背中はもう大丈夫? これが終わったら一緒に遊ぼうね」
「痛いのがなければ楽しいのであります! 孝一殿もまた一緒に乗るであります」
「ほれ、ウェンズデーですら面白がってんだぞ?」
「ああ……ああぁ………」
 みんなが水から上がれば、休み時間という事でそれぞれみんな地べたなり椅子なりに座って一息つく。僕と清さんはもう何息ついたか分からないけど。
「孝一くんも清さんも、待ってる間暇だった?」
 膝の上にウェンズデーを座らせて、自身は椅子に腰掛ける栞さん。適当な位置でバラバラと床に腰を降ろす男三人組のほうを向いて問い掛けてきた。と言っても大吾の後ろには、その背中に寄りかかるようにして成美さんも座ってますけどね。どっと疲れた様子で。
「いえ、日向君とお喋りしてましたから存外暇でもなかったですよ。ねえ日向君?」
「そうですね。いいお話でした」
 すると栞さんとテーブルを挟んで向かい合い、こちらに背を向けて椅子をやや後ろに傾けつつ家守さんが仰け反り気味に振り返る。そんな格好で仰け反られるとその、胸が強調されてですね。いやまあ指摘はできる筈ないんですけど。なのでその件は記憶に留めつつ置いといて。
 その振り返った顔はまるで僕達が何を話していたかを知っているかのように、にっかりと嫌らしく笑んでいました。
「せーさん、その話ってあの話?」
 ああ、これはもう確信してるな家守さん。代名詞だけで伝えようとしてる辺り。
 一方そのお向かいでも、
「え、何の話? ウェンズデー分かる?」
「多分車の中で話していたアレの事だと思うであります」
「あぁ〜あ」
 やっぱり大事なところは代名詞で、しかしそれにちょっとヒントを加えただけであっさり了解する栞さん。
 さらにもう一方の背中合わせに座っている凸凹ペアは、
「車ん中? 寝てたから知らねえな。おい、何の話だ?」
「楽が年を取る理由についてだ」
「ああ、あれな」
 こちらはモロに答えを教えてますが、それでもその反応を見る限りはやっぱりもともと知ってたようで。ところで大吾、髪戻らないね。垂らしたら意外と長いんだなあ。中途半端な長髪みたい。
「で、こーちゃん感想は?」
「へ?」
 唐突な質問とその内容に驚きつつ顔を声がしたほうに向けると、もっと驚く羽目になった。
「か、楓さんこけちゃいますよぉ〜」
 栞さんの言う通り、家守さんが座っている椅子は今にも倒れそうだった。椅子がさっきよりも更に後ろに傾けられ、しかも家守さん自身がその危ない角度の椅子にかなり体重を掛けてもたれているのである。つまりは背もたれから後ろにふんぞり返って上下逆転した顔。そんな体勢。
 だから胸が強調され過ぎですってば。ただでさえ平均よりちょっと大きいんじゃないかなー、ってだからそこは置いといて。そもそも僕、そんな事の平均値なんか知らないじゃないか。
「いっそこかしてやれよ喜坂。イス蹴ってやれ」
「あぁ〜、だいちゃんが酷い事言う〜。分かったよ分かったよぉ」
 背中が気持ちいいんだけどなこの体勢、と名残を惜しみつつ普通の座り方に戻ると、ガタガタと椅子ごと回転してこちらを向き直した。
「で、かんそーは?」
「感想って言われましても……『いい話だなー』とかじゃ駄目ですか?」
 駄目なんだろうなあ。
「ダメダメ」
 やっぱり。
「こーちゃん分かってないよ。こーちゃんだってせーさんの奥さんと同じで見える人なんだよ?」
 あ。
「もしかしたら将来同じような事になるかもしれないんだよ?」
 ああ。
「まあまあ家守さん、あまり虐めるのはよしてあげましょうよ。寿命は男性のほうが短いんですから」
 そんな妙にリアルな理由で止められると余計肝が冷えますよ。寿命って、自分で言うのもなんだけどこの若さの内からそんな先の話を考える事になるなんて。
 と言いますか現在そのような関係になりうる人物が悲しいかな存在しておりませんので、見える見えないとか寿命とか云々以前にまずそこを考えていきたいのです。考えたところでどうにもならない問題なのが更に悲しいですが。
「ふっふっふ、大丈夫だよせーさん。今のはフリで、本番はここからなんだから」
 それ、大丈夫とは言わないです。今のがフリって何なんですか一体。
 家守さん、目つき鋭く人差し指も鋭くズビッっと僕を指す。
「ズバリ! こーちゃん今そーいう女性はおるのかね!」
「ズバリいないです」
 時よ止まるな。
「………ありゃ〜、即答だねぇ。なんかゴメン」
 訊かれる直前に考えてた事そのものだったので、口が勝手に脊髄反射してしまいました。信号が脳を介さずに直接筋肉に伝わるため、その分反応が早いんですよ。凄いですねえ。
「別に謝られるような事じゃないですよ」
 て言うか謝られたら余計辛いですよ。
 すると栞さんは座ったまま少し前かがみになって、
「でもほら、孝一くん大学に入ったんだからたくさんの人と知り合えるし」
「まあそりゃそうでしょうけど………」
 現実に希望を見出そうとするその意見に、僕だけでなく家守さんとウェンズデーも栞さんのほうを向く。
 ああ、でも実際は今までとあんまり変わらないでしょうね。たくさんの人と知り合う機会だったら小学校・中学校・高校と今までにもあったわけですし。格別モテる人間でもなければそれを気にした事もなかったですからねえ。
「なんでみんなこっち見てるの?」
 何もなかった今までの人生の回想が一瞬で終わったとほぼ同時に栞さんがうろたえだす。
 みんなと言われて周りを見てみると、確かに家守さんとウェンズデーだけでなく、みんなして無言で栞さんのほうへ目を向けていた。見るだけで誰も何も言わないその様子は不気味ですらある。
 そしてそれゆえに栞さんが疑問を口にして初めて、だるまさんが転んだの最中のようにジッと固まっていた場が動き出す。
「いえ、喜坂さんの仰る事ももっともだなあと感心していただけですよ。ねえ家守さん」
「そうそう。しぃちゃんにしては鋭い意見だよねー」
「なので孝一殿、大学で頑張るのであります」
「え? あ、えっと、うん」
「栞、そんなに凄い事は言ってないと思うんだけどなぁ」
「オマエ等何をモガ」
「いらん事を言うな」
 そこ。いらん事って何なのさ。


「そろそろ人、増えてきましたねー」
「そうだねー。あんまりバシャバシャできなくなっちゃったぁ」
 と暫らく紙コップのジュース飲んだりしながらのんびりしていると、不意に『ラジオ体操第一!』という掛け声とともにお馴染みの音楽が流れ始めた。これが終わればやっと復帰ですかね。背中事件から長かった。
「わざわざ、ラジオ体操なんか、流すんだな」
 音楽とともに流れる音声の指示通りに体を動かし、その動きに合わせて声を詰まらせながらそう言う大吾。まあラジオ体操自体はみんなやってるんだけどね。ウェンズデーまでしっかりやってるし。
「『死なない』、って分かってるせいか、幽霊な人達ってこういう事に、無頓着だからねー。流せばやってくれる、人もいるだろう、って事らしいよ」
「やっぱり死ななくても、そういう事って気を、つけたほうがいいんですか?」
「溺れて気絶して、誰にも気付かれなかったら、大変ですからねえ。水吸っちゃってぶよぶよ、ですよ」
「なる、ほど」
『深呼吸ー!』
 すうぅぅ、はー。この腕の動きと微妙な背伸びって意味あるのかな。
『休憩時間を、終わります』
 さて、放送の通りなのですが人が増えてまいりました。どうしましょう?
「ウォータースライダー行かない? 前は孝一くん、大失敗だったし」
 僕の事を気に掛けてくれるのは嬉しいですが、人の数はあんまり気にしないんですね。まあ大学に堂々と侵入したりまでして今更そんな事気にするのかって面も無きにしも非ずなのは否めない事もないので、
「そうですね。ただし今度はウェンズデーが一番前って事で」
「あはは、そうだね。ごめんね最初の時に気付かなくて」
「いえいえ」
 背中に突起が向けられている事を向けられた本人が落下開始まで気付かなかったのが悪いんですから。そのおかげで、「気付いたのにどうしようもない」という最悪の状況に陥ってしまって落下を楽しむ余裕なんか全くありませんでしたよ。背中ヒヤヒヤしてたんですから。
「じゃあ決定だね。行こ、ウェンズデー」
 と腰をかがめて手を伸ばすと、その手に向けて翼を伸ばし、ぺったぺったと陸上時特有カチコチ歩きの第一歩を踏み出すウェンズデー。しかし、
「はいあぐっ!」
 それとほぼ同時、返事をした直後に何やら叫んで動きを止める。振り上げた一歩を振り下ろすことなく。
 何かにつっかえたかのように中途半端なその停止具合と、よく分からない雄叫びに栞さんは目を丸くした。
「ど、どうしたの?」
「え、ええええっと、お二人でどうぞごゆっくりだと思うであります」
 思うって?
 お二人と言われた僕と栞さんがお互いの顔を眺めるも、やっぱりお互い意味が分からずぴったりのタイミングで二人同時に首を傾げた。
 するとウェンズデーの背後に立っていた家守さんが、
「いやほらウォータースライダーの近くってやっぱり人が集まるからさ、できるだけ少人数で行ったほうがいいんじゃないかなーって。だからアタシらはそうだな、奥に五十メートルプールがあるからそっち行っとくよ。多分あっちは人少ないし。あはははは」
 どう見ても聞いても本心から笑ってないの丸出しですよ。まあ仰る事は分からないでもないですけど。仰り「たい」事も……なんとなく分からないでもないですけど。
 大きなお世話ですが。
「そそ、そういう事でありますので」
「本当に行かなくていいの?」
「はい、はい、で、できるだけ速やかに行ってもらえるとありがたいのであります」
 未だ停止したままで、お願いと言うよりは懇願と言ったほうが程度の具合がしっくりくるような慌てた早口口調で首を上下させる。しかし要するに「早く行け」と言われてしまったようなものなので、ちょっとだけ表情に影が落ちる栞さん。
「分かったよ。じゃあほら行こ、孝一くん」
「えっと、はい」
 すたすたと歩き出す栞さんについていく際にウェンズデーのほうを振り返ると、ぽてりと前に倒れていた。


「うぅ……動物虐待であります。尻尾が、尻尾がヒリヒリするであります………」
「ごめんごめん。お詫びに帰り、魚買ってあげるから」
「ずっと踏み続けるこたあねーだろ。すぐに離してやりゃあ良かったのによ」
「しかしまあ、露骨過ぎやしないか? 全員にそう仕向けられたとばれてしまっては冷めてしまうぞ」
「大丈夫でしょう。失礼なのであまり言いたくはありませんが、喜坂さんですし。んっふっふっふ」
「そーいう抜けてるところが可愛いんだよねー、しぃちゃんは」


「うーん、やっぱり本当は怖かったのかな。無理させちゃってたのかなぁ」
 再びウォータースライダーへ向かう途中、顎に手を当ててちょっぴりおセンチな栞さん。どうやらウェンズデーに同行を拒否された事が気に掛かっているらしい。
 それは違うと思うけど、だからといって本当の事を言うのは気が引けたので適当に誤魔化しておく事にする。
「それはないと思いますよ。嘘つくのが上手いようには見えませんし。家守さんが言ってた通りの意味って事でいいんじゃないですか?」
 不自然極まりないですけどね。本当、何考えてるんですか家守さん。
 いや、家守さんだけじゃないか。他のみんなも誰一人ついてこようとしてなかったし。
「そうかな? ……そうだね。それにせっかく遊ぶんなら楽しんだほうがいいもんね」
 そうそう。さっきまでのしかめっ面じゃあ、思いっきり叫ぶのも抵抗あるでしょうしね。
「でもここって本当に広いよね。五十メートルプールまであるなんて」
 確かに。室内であることを考えれば、流れるプールと今向かってる施設だけでも充分な広さですよね。縦も横も奥行きも。
「僕、言われるまで気付きませんでしたよ。奥にもう一つプールがあるなんて」
「栞も〜」
 まあ案内板とか探せばすぐに分かる事なんだけど、でも見えてる範囲だけでもかなり広いからなあ。まさかそれ以上があるとは思いもしなかった。
「最初から知ってたらそっちに行ったんだけどなぁ」
 休み時間明けという事で元気良くバシャバシャやってる子ども数人組を見下ろして、栞さんの表情がほころぶ。でもほころんだその顔で行きたいと言っているのは、目の前のそういう様子とは無縁な場所。基本的にまっすぐ泳ぐだけの最もプールらしいプール。
「こっちより五十メートルプールのほうが好きですか?」
 失礼かもしれないですけど、ちょっと意外だなあ。栞さんって遊びとかそういう要素が混じってるほうが好きそうなイメージなんですけど。
「どっちが好きとかそういう訳じゃないけど、思いっきり泳ぐの好きなんだ〜。気持ちいいし。あ、でももちろんみんなで遊ぶのも好きだよ?」
「へぇ、そうなんですか。僕は全力で泳ぐとなると…………情けないですけど、しんどいなぁくらいにしか思いませんねぇ。学校のプールの授業も自由時間以外は憂鬱でしたよ」
 目はちゃんと開けてるのにいつの間にか隣のレーンで泳いでたり、同時に泳ぎだした人がみんなゴールした時にまだ一人だけ死に物狂いで泳いでたり。思い出すだけで鼻が痛い。
「まあ誰でも得意不得意はあるもんね。栞、泳ぐ速さなら清さんにだって負けないよ?」
 なんと。
「凄いですね。それってもう得意って言うよりは特技なんじゃないですか?」
 いや清さんの泳ぐ速さを見た事があるわけじゃないですけど、「清さんに勝てる」って事実だけでもうとんでもない事のような気がしますよ。勝手なイメージですけど。
 すると栞さん、心底嬉しそうににっこり。
「これだけは唯一自慢できる事なんだ〜。他はその、あんまりいいところないからね」
 せっかくの笑顔は、自滅の形で苦笑へと。確かに料理教室でも初めの頃はビックリさせられましたからねえ。でもそんな事抜きにして、いいところはいいところなんだからもっと自信持ってもいいと思いますよ。
「僕だって料理以外はぶっちゃけそんな感じですけどね」
「そうなの? あはは、お互いダメダメだね〜。でも料理に関しては、毎日ありがとうね、孝一くん」
「いえいえ」
 おかげで毎日夕食どきが楽しみですから。遊ぶのも食べるのも、やっぱり楽しいほうがいいですよね。


「座るの、また孝一くんが前でいいかな」
 階段を上りながら前にもやった相談再び。前回はウェンズデ―の順番を考えなかったから失敗したけど、今回は二人だけだし別に前でもいいかな。
「ええ。――――あ、いや、今回は後ろがいいです」
「そう? うーん、ちょっと怖いけど前と同じよりはいいかなぁ」
 独り言のトーンでそうつぶやくと、納得したらしく一頷き。
「そうだね。じゃあ孝一くん今回は後ろで」
「はい」
 確かに今回、背中に硬い物が突き刺さる事は無い。だけどほら、代わりに柔らかい物が突き刺さる―――もとい、当たってしまうんじゃないかと思ったわけですよ。男子として避けるべきか否かちょっと迷いましたけど。
 妄想も大概にしろとの突っ込みがどこからともなく飛んできそうですが、あの事件の後だと背中が気になるんですよやっぱり。


「おや、今度はお二人だけなのですか?」
「そうみたいですね〜」
 長い階段を上ると、またもあの係員さんがお出迎え。休憩時間挟んだから、もしかしたら他の人と交代してるかなとも思ってたんですけど。
「みたい? はて。……ま、いいでしょう」
 二人でいる理由を察せられたらどうしようかと思ったけど、保留にされたらしいのでよしとしとこう。
 保留にした係員さんは、またも現れた三つの口へと手を差し出す。
「それではお好きな所へどうぞ。栞様、孝一様」
「うぇ」
 っと、ついつい妙なリアクションを取ってしまいました。気分が悪い訳じゃないですよ。ビックリしただけです。
「あ、あの、僕にも様付けなんですか?」
「もちろんです。楓様のご知り合いなのですから」
 分からないでもないけど、やっぱりなんかこうむず痒いなあ。知り合いって言っても同じ所に住んでるだけ―――いやまあ、どう考えてもそれだけじゃないんですけど。友達………うーん、引っかかるところもあるけどこれが一番近いか。過剰なくらいアットホームなところだからなあ。
「さ、別のお客さまが来られないうちにお乗りください。一人だけでお乗りになるというのは、結構恥ずかしい絵面になりますよ」
 おお、言われてみればそうですね。ご助言ありがとうございます。
「どこから乗ります? どこでも似たようなものでしょうけど」
 乗り口は正面左右の三つ。外から見た感じでは全く同じコースって訳でもなさそうだったけど、乗ってしまえばそんな差は微々たるものなんだろうし。
「じゃあこっち。あと行ってないのこっちだけだし」
 既に二度乗った栞さん、迷いなく左を選ぶ。こっちとしても正直どこでもいいので、素直にその選択に従いましょう。それで相談通り、栞さんが前で僕が後ろで。
「準備はよろしいですか?」
『はーい』
「では行ってらっしゃいませ」
 行ってきまーすぅぁぁぁああああ!

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