月曜日の朝。しかし曜日など関係無くいつもと同じ朝。土日は除く。いつものようにベッドから起き上がり、朝食をとり、高校へ行く準備をし、家を出る。最初の目的地、駅までの約百メートル。その道のりで視界に入るおなじみの通行人A、B、C、D。
うむ、いつもとなんら変わり無し。結構結構。……まあ、少しくらいは変わり有りでも悪い気はしないが。
等と考えていると、本当に少しくらいの変化があった。駅前広場の椅子に通行人Eが座っていたのだ。いや、座ってるんだから「通行人」は違うか? まあ、それは置いといて。
俺はその座っている女性・通行人Eの横を通り過ぎる際、ちらっと彼女の方を見た。
……ら、目が合った。
他人と目が合った時サッと目をそらすのは可笑しい反応ではないと思う。俺もそうしてそのまま駅に入った。がしかし、俺は背中に視線を感じたままだった。その視線からは、上手く言えないけど……少し異質なものを感じた。ような気がする。
さて、いつもと同じ学校生活が終了し、帰路につく。我ながら一行で説明が終了するその活動内容に呆れつつ、着きましたるは駅前広場。そこのベンチには彼女がいた。まだ、いた。いや、あれからずっとここにいたのか、今たまたまここにいるだけなのかは判らんが。
それにしても……あの、ちょっとガン見にも程がありますよEさん? 異質な感じ云々抜きにして怖すぎますから。
しかしそんな事は関係無い。俺は帰宅を遂行するだけだ。それを決心すると、若干、足を前後させるペースが速くなった。だって怖えーんだもん。
だがしかし、それは無駄に終わる。
「ちょっと、きみ」
ビクッとしたね、もう。だから怖えーんだって!
「えっと……俺……?」
Eさん頷く。
「ですよねやっぱり…」
Eさんが自分の隣、ベンチの空いているスペースをポンポンと叩く。その意味をあまり理解したくはないが、してしまったのでご愁傷様。俺は恐る恐る彼女の隣に腰掛けた。
「私が見えるのよね?」
「……………は?」
おっと、俺の連続三点リーダ記録を更新しましたよEさんオメデトウ。んで、……………は?
「うん、いい間抜け面ね。気に入った。きみ、あたしの話し相手になりなさい」
「…………」
俺は後何個三点リーダを並べるべきか考えていた。
「話し相手になれって言ってんだからなんか話しなさいよ」
「……俺が疑問に思ってるであろう箇所はスルーですか?」
「んへ? えーっと……ああ、あたし幽霊ですから」
電波さんですか? Eさんは電波さんなんですか?
「今すっごい失礼な事考えてるね?」
そう言うや否や、Eさんの拳が俺のみぞおち──を貫通した? あれ、何これ。
「祟るわよ?」
三点リーダ十個分位停止した気がするが省略。余計長くなったのはご愛嬌。
「マ……まままママまマジなんですか?」
「残念ながらマジよ。まあ、物に触れる触れないは自由なんだけど」
「そ、そうなんですか」
「じゃなきゃあたし今空気椅子状態じゃないの」
「あーなるほどー」
声も棒読み気味になるってもんだ。で、俺はどうするべきだ? つーかどうされるんだ?
「あの、ですね」
「何よ」
「貴方は俺をどうするつもりですか?」
「は? さっき言ったじゃないの話し相手になれって。聞いてた?」
「それだけ……ですか?」
俺の感想はそんなにおかしいものでは無い筈だ。しかし。
「……そう、それだけ」
急なトーンダウン。……あの感じだ。今朝、思いがけずに顔を合わせ、その視線が背中を追いかけてきた時の、あの異質な感じ。
声色から、彼女が気落ちしているのは読み取れる。だが、その目からはそれ以上の何か。見ているこっちがそれに飲まれそうなほど深い何か。
「……すみません」
それは恐らく、生者と死者、その途方も無い差への絶望。彼女にとって人と会話するというのは、「それだけ」で済まされるほど容易い事ではない筈だ。
「何謝っちゃってんの? バカ?」
そう言う彼女の声と目は既に元に戻っていた。切り替え早いなEさん。
「そうですねバカですね」
「あれ、怒った?」
怒った、と言うより呆れるね。俺に。「自分が見えるのか」って言われたんだから察しろよ。それくらい……まてよ? まさか……まさかあぁぁぁ!
「ん、どしたん?」
俺の顔色の変化に気がついたのであろうEさんの言葉を無視し、俺はゆっくりと周囲を見渡す。
サッ。
ササッ。
そんな音が聞こえてきそうなぐらいの勢いで、周囲の人間から目を逸らされた。
「やっちまいましたか……俺……」
両手で顔を覆う俺。ちょっと泣いてるかもしれない。
「あそっか。他の人から見たらきみ、ずっと独りごと言ってる変な人か」
「皆まで言わないで下さいぃ……」
もう言ってるけどね。俺の知り合いがこの現場を目撃しなかった事を切に願う。
「つかぬ事を伺いますが」
「何よ」
「場所を変え「無理」そうですか」
そんな気はしていたが。チクショーいい幽霊してますねー。
「ねえ」
「はい?」
「別に嫌だったら無理して「お断りです」……え?」
むぅ、これじゃどっちの意味の返答か判り辛いな。即答は意外と難しい。
「あれだけビビらされて、恥かかされて、そのまま帰ったんじゃ俺の敗北確定じゃないですか」
つーかなんでまたあの目になってるんですか。それは卑怯と言うものですよ。それを見た上で帰るなんて恐ろしい事、俺には無理です。
「そう? なら仕方ない。特別にここにいる事を許可しましょう!」
……もう戻ってら。あなた多重人格者ですか?
そーいう訳で、俺は毎日彼女の話し相手を勤める事に相成りました。なんせ通学路上におられるので避けて通れない。別に避けるつもりは無いが。
実際、悪い気はしない。なかなか楽しい。……周りの目は気にしたら負けだ。うん。
しばらく経ったある日、いつものように彼女の隣に腰掛けて椅子に手をつこうとした際、その手が彼女の手にかかった。
「あ、すいません」
謝りつつ、手を退ける。今のは幾分体重が掛かっていた。これは地味に痛いかもしれない。しかし彼女は、痛い、と言うより驚いた顔をしていた。
「どうしました?」
彼女は暫らく手を見詰めて、
「あたし、きみに触ろうとしてないんだけど……」
俺の手が彼女の手をすり抜けなかった事を言ってるらしい。
「そんなに驚く事ですか? ……あ、もしかして俺があなたに触れるようになったとか」
彼女の肩に手を伸ばす。……空振り。
「……っ! どこ触ってんのよ!」
「ごっ!」
俺の頬へ、容赦の無いグーが叩き込まれた。肩じゃないですか肩。しかも触れてないじゃないですか。せめてパーでお願いします。
「どーせ触るったってこんなのばっかりだし、いいじゃないですか別に……」
頬をさすりさすり答える。いや、良くないか。俺は別にマゾじゃない。どうか触らない方向でひとつ。
「こんなのばっかりって……人を暴力女みたいに言わないでよ!」
咄嗟の反撃がグーな時点で結構暴力女ですよ。それにノーマルに殴られた記憶も結構ありますし。ああ古傷が痛む。
あちらの興奮とこちらの痛みが治まった頃、試しに伸ばした彼女の手が、俺の肩をすり抜ける。
「ちゃんとすり抜けてるじゃないですか。さっき俺も触れなかったんだから、なんて事ないですって」
しかし彼女の耳には入っていないようで、ただ自分の手を見詰めて何やら考え込む。
「意識すればすり抜けるのよ……でも、今までは無意識な時にでもすり抜けてた。どうして意識しないとすり抜けられないの……?」
ベンチを、彼女の手がすり抜ける。
「きみだけが……」
それが独り言なのか、俺に向けた言葉なのか、俺には分からなかった。
「じゃあ俺、そろそろ……」
時間的にも、空気的にも帰った方が良さそうだと判断し、歩き出す。
背中に感じた視線に覚えがあるのはきっと気のせいだ。じゃないと俺は帰れない。
次の日から彼女の様子がおかしくなった。と言っても、別に気分が悪そうとかそういう事ではない。まあ死んでる人間に気分が悪いも糞も無いと思うが。
……どうも距離がある。元々そんなに大きくないベンチで無理に距離を取られている。尻半分浮いてるんじゃないですか? 落ちますよ?
「あのー」
「…………」
「右ストレートの件なら気にしてませんから」
これはもちろんあのすり抜け騒動の反撃パンチのことであるが、実際右ストレートだけで10発以上はもらった記憶がある。まあ、どれも気にしていないが。
辛抱強いね、俺も。
「どうでもいい。そんなこと」
……痛い。別に殴られたわけではないが、なんだか痛い。
「あの……」
「…………」
……痛い。これ、どうしたら痛くなくなるんだろうか?
「俺はお役御免ですかね?」
独りでに口が動く。何言ってんだ俺。洒落になってないぞ。俺はそんな事──
すると僅かに彼女が動いて、ゆっくりとこちらを向いた。
と、そこにはあの目があった。今回は多少距離があるが、それでもすぐ分かる。
止めて下さい。その目で俺を見ないで下さい。俺、どうしたらいいんですか?
「きみさ……」
あの目のまま、彼女は切り出す。
「ホント、バカでしょ?こんなさ、暴力女の所に毎日毎日通ってさ……しかもあたしは」
止めて下さい。その目でそれを言うのだけは。俺が死にたくなる。
「そんなさ」
俺は無理矢理話し始めた。その先を聞きたくなかった。
「そんな……口で罵倒しながら目で引き止めるのって卑怯じゃないですか?」
「じゃあさ、あたしの目がきみの言うそれじゃない時はどうして?」
「あなたがそうしろと言った。そしたら意外と楽しかった。俺とあなたの立場が逆だったら、多分俺はあなたにいて欲しかった。それに」
「…………」
「俺は、今の立場でも、あなたにいて欲しい」
だから、その目を俺に見せないで下さい。あなたに引き止められなくても俺、ここにいますから。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……っぶはーーーーっ! クサっ! クサーーーっ!」
「流石に今回は切り替えるのに時間が掛かりましたね」
「さあ、何のことかしら? そんなことよりきみ顔真っ赤よ? こぉれは恥ずかしい!ハ・ズ・カ・シー!!」
「ほう、奇遇ですね。あなたも真っ赤ですよ?」
「え゛」
彼女の動きが止まる。
「もうあの目はナシですよ?」
「……うん」
もぞもぞ。
「……近いです」
「そう? いつも通りでしょ?」
「そうですか? ……そうですね。じゃあ、今日はそろそろ。明日もまた来ますから」
「いちいち言わなくても分かってるわよ」
「そうですよね。じゃあ、行きます」
「うん。バイバイ、また明日」
言ってるじゃないですか。
……また、明日。