「おっと? お待たせし過ぎて寝ちゃったかな?」
「起きてますよ」
 居間に戻ってきた愛坂は、大の字になって寝転がっている田上を見てそう言うが、しかしそれは起きていると分かったうえでのものではあったのだろう。寝ているかどうかの確認のために起こしてどうする、という話である。
「なるほど、じゃあスカート覗きの体勢だったか」
「誰のをですか。スカート履かない人とスカート履いてなかった奴しかいないじゃないですか今」
「にしし、そうだったそうだった」
 他人に姿をコピーする鬼道を持つ愛坂は、なので男女どちらでも通用する格好でいることが多い。とはいえそれは、何も鬼道の都合だけによるものではないのかもしれないが。
 今日も飾り気のないジャージ姿の愛坂は、「それにしても」と首を傾げる。
「その『履いてなかったちゃん』こと遊ちゃんだけど、本当に何だったんだろうねあれ? わざわざ台所で脱いだっていう」
「とうとう露出狂に目覚めちまったとかじゃないですかね」
 上体を起こしながら、ぶっきらぼうに言う田上。
 愛坂は笑った。
「あはは、だといいねえ」
 そんなことは絶対に有り得ない。そう思っていたからこそ田上は今の発言をしたのであり、そしてそれ故に、愛坂のそんな返答の意味するところも理解できてしまう。
 浮草は、人前で肌を晒すことに何一つの感慨も持たない、持てない人間である。
 そしてそれと同様、今神以外の人間にも何一つの感慨も持たない、持てない人間だった。
 実際の露出狂だって道端のゴミだか虫だかを相手にすることはないだろう――そんな例え話を思い浮かべてしまうと田上はもう、口の端に乾いた笑みを浮かべるしかないのだった。
「あいつのことは詠吉に任せときましょうよ」
「そうだね。当人たちにとってもそれが一番いいんだろうし」
 というのは、何も今神一人に面倒を押し付けているというわけではない。結果だけ見ればそれと同じことではあるのだが、しかし田上は今神のことを気に入っており、なので手助けができるのならばしたいという思いはある。
 あるのだが、余程のことがない限り、今神がそれを望むことはない。彼は他人からの干渉をあまり好まず、加えてその真面目な性格から、自分が引き受けた「浮草の面倒を見る」という役割に他者を巻き込むことを良しとはしないのだ。
 そしてそれ以前に、今神にとって浮草は「面倒な人物」以前に「恋人」である。彼の性格がどうあれ、第三者が不用意に首を突っ込むものではないだろう。
「じゃあ本題に戻りましょうかね。田上くんの大失敗ってのに」
「さらっと言いますけど、気が滅入りますねそのタイトル」
「あはは、責めてるわけじゃないからその辺は気にしないでちょうだいよ」
 手をぱたぱた振ってみせながら愛坂は笑う。そして田上としても、そんな心配はしていなかった。日頃から愛坂に指導を受けている身ではあるが、責められる――怒られたり叱られたりした経験は、これまで皆無だったからだ。
 彼女の普段の顔である気だるそうな表情と、そこから目元はそのままに口だけを緩ませた、楽しそうな表情。稽古だけでなく普段の生活から共にしている以上、多少の例外ももちろんあるものの、しかしほぼほぼ、田上が知る愛坂はそのどちらかの表情を浮かべていたのだった。
 今現在は後者の表情を浮かべている愛坂は、ようやく始まった「本題」について、まずはこんな質問を投げ掛けてきた。
「今日、田上くんがあたしに負けちゃったのはなんでだと思う?」
「なんでって……」
 問われた瞬間に答えは浮かんでいた田上だったが、しかしこうしてわざわざ問われているということもあり、少々考える時間を取ることにした。
 が、結局は、
「俺がまだ真意さんより弱いからでしょう」
 最初に浮かんだ答えをそのまま口にしたところ、愛坂はにこりと微笑んだ。
「はずれ」
「ええ……」
 正解だという自信があったわけではない。ないのだが、それでも一応真面目に考える時間を挟んでの回答だったことから、笑顔で流されたのには肩透かしを食らってしまうのだった。
 とはいえ前述の通り、それは彼女が浮かべるいつもの表情の一つではあるのだが。
「あはは、ごめんね。からかってるわけじゃないんだよ」
 田上の心情を察してか、田上が何を言わずとも謝ってきた愛坂。しかし田上としてはやはり、そう言われても、というところではある。
 そしてどうやら愛坂は、それについても察していたらしい。
「田上くんの強くなりたいって気持ちがどれだけ本気か、あたしはよーく知ってるからさ。だからまあ、田上くんならそう答えるだろうなーって予想付いてたわけよ」
 強くなりたいと本気で思っている。
 故に、負けた原因を「自分がまだ弱いから」と答えてみせる。なるほど、筋が通った話ではあるのだろう。
 得心のいった田上ではあったが、しかしそうなったらそうなったで、落ち着かない部分も出てきてしまう。
「いつも言ってるけど、あたしは田上くんのそういうところ大好きだからさ」
「……そこまで言ってくれなくてもいいですって」
 照れてしまうのだ。普通に。加えて、少々の寂しさも。


<<前 

次>>