「強い方が勝って、弱い方が負ける――ではないんだよ、田上くん」
 多少の回り道もあったが、どうやら愛坂は答え合わせに入ったようだった。
 その話を待っていたという意味、そしてさっきまでの話が逸れてくれたという意味でも、田上にとってそれは「答え合わせに入ってくれた」と表現すべきことではあったのたが、それはともかく。
「それが違ったら、勝負って成り立たないんじゃあ?」
 強い方が勝つ、ではなく、であれば当然、弱い方が負ける、でもない。となると、何のために勝つのか、という話になってしまう。もちろんそれが武道としてでなく、「戦い」ということになれば、その戦う理由がそのまま勝つ理由になりもするのだろうが……しかし、今ここでしているのはそういう話ではないだろう。なんせ、この話の元になっているのが、今朝の稽古の結果なのだから。
「いいねえ、そのキッチリした意味を求めてる感じ。若いねえ」
 笑いながらそう言ってから、愛坂は質問に答えた。
「強い方が勝ち易くて弱い方が負け易い、なんだよ。ぼんやりぼんやり〜っとね」
「…………」
 田上は考えた。
「あ、そっか」
 とても間の抜けた声が出た。
 強い方が勝ち易い。それは、意味合いのうえでは田上の言葉である「強い方が勝つ」に含まれていると捉えることもできないわけではないのだが、しかしそれでも、田上はすっかり虚を突かれてしまったのだった。
 それは何故かと言われれば、そこには先程の話がそのまま当て嵌まるのだろう。
 強くなりたいと本気で思っているからこそ。
 微笑んでみせてから、愛坂は続けた。
「もちろん、なんて言っちゃ悪いのかもしれないけど、あたしと田上くんでどっちの方が強いかって言ったら、そりゃあまだあたしではあるよ、現状」
「いやいや、悪いなんてことは全然」
「でも、勝敗が引っ繰り返りかねないところまでは迫られてるわけさ」
「…………」
 弱い方にも勝ちの目がないわけではない、という話。当然、実力差が縮まればその目は大きくなるのだろう。
 しかし、その当然の話に対して田上は――。
「ふふ、複雑そうな顔してるねえ」
「そうですか?」
 言われて顔に手を当ててみせる田上だったが、しかし実のところ、そうするまでもなく今自分が浮かべている表情には気付いていた。
 強くなりたいと思っている自分が、実力はともかく勝敗が逆転しかねないところまで強くなった、と「自分より強い人」である愛坂にそう評価されたというのに、どうしてそんな表情を浮かべてしまったのか?
 そんな疑問にも、同じく実のところは気付いている。
「迷っちゃだめだよ、田上くん」
 愛坂は言った。
 何の話ですか、と言い返したいところだったが、しかしそのタイミングは逃してしまった。愛坂のその言葉は、一瞬とはいえ田上をたじろがせるには充分な鋭さを持っていたのだ。
「その後に何か目的があるわけでもなく、ただ『強くなりたい』ってだけでここまでこれちゃうのが、君のいいところなんだから」
「自分としては、馬鹿っぽいとしか思えませんけどね」
 苦し紛れのその返事に対しては、愛坂はただ笑みを返してくるだけだった。次いで出てくる言葉は、なのでそんな逃げに対してではなく、飽くまで本題を見据えたものだった。
「あたしだって、できれば『強くて格好良いおねーさん』のままでいたいけどねえ」
 あたしだって、と愛坂は言う。逃げようとして失敗しただけの田上は、なのでその話にはまだ何も言及していないのだが、それでも。
 そしてそれは、最早たじろがされるどころでは済まない発言であった。
 ので、
「格好良いって感じじゃないですけどね、真意さん」
「ありゃ。ははは、そーかいそーかい」
 ここでも田上は逃げるのだった。逃げなくてもいいところで逃げてしまったせいで、逃げざるを得ないところまで追い込まれてしまった形だが、しかし愛坂もこれ以上のことまでは言ってこないだろう。
 これまでがそうだったように。
「ともかく」
 予想通りに話題を変え――いや、戻しに掛かる愛坂だった。
「『まだ勝てない』じゃなくて、『もういつ勝ててもおかしくない』んだよ、田上くんは。どこかで一回、上手いことあたしの裏をかくだけでね」
 それはつまり裏をかかなければ勝てない、言い換えれば正面からのぶつかり合いでは勝てないということなのだが、初めから愛坂を自分より上に置いている田上としては、そこに不満はない。それどころか、
「ね? そう思ったら色々話が変わってくるでしょうが」
「そう、ですね」
 ここでこうしていれば、あそこでああしていればもしかして、と午前中の稽古の様子がぐるぐると頭の中で繰り返される。もちろん、今の時点で勝てるという確信を持てているわけではないし、万が一それが本当に勝ちに繋がった場合にしたって、先程の話の通り、喜んでいられるだけでないというのは重々分かってはいるのだが、しかしそれでも、そうやって頭を働かせるのは楽しかった。
「つーわけでだ田上くん。ここ最近のあたしは、君に稽古をつけてあげてるというよりタイトル防衛戦をやってるような立ち位置にあるわけだよ。で、今のところは防衛に成功し続けてるわけだけど」
「逆に俺はタイトル奪取に失敗し続けてるってことですか」
「そう。そんでもって、そのことに気付いてすらなかったから『大失敗』ってね」
「はは、成程」
 大失敗。そんな題名を付けられておきながら、責められるなどとは初めから微塵も思っていなかった田上であったが、しかし実際その通りになってみると――どころか、笑って終わりを迎えられまでしてみると、もうすぐ超え得る筈の愛坂は、だというのに増々大きな存在になってしまうのだった。


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