第六章
「罪を憎んで人を憎まず。どうなんだろうな、実際は」



 
「どうしたもんかな……」
 六親のアジト――と言っても、当人達からすれば単に「家」という認識なのだが――に帰ってきた田上は、自分の部屋に戻るなり考え込む。
 頭の中で繰り返し再生されるのは、荒田から頂いたあの言葉である。
『貴方なら攻めながらでも反応して対応できるって言ってるんですよ』
 荒田は敵ではあるのだが、しかし「考えてないでさっさと動け」という意味なのであろうその言葉を、田上は特に疑ってかかったりはしていなかった。とはいえもちろん、無条件に信じたというようなこともなく。
「真意さん、言えばやらせてはくれるんだろうけど……一日に何回もってのは、やっぱなあ」
 話だけ聞いてあれやこれや考えるくらいならさっさと実戦で試してみたい、というのが今の田上の思いだった。がしかし、その相手になってくれるであろう愛坂とは、本日の午前中、既に稽古を終えた後である。別に一日に一回だけというような制限があるわけでもないのだが、こちらの都合で時間を取らせる事を考えると、気が咎めるところではあった。
 もちろん、それならばただ明日まで待てばいいとういだけの話なのだが、しかし。
 ――早く試してえ。
 のだった。いっそ荒田にあの場で頼めばよかったか、というような考えが浮かび、しかしいやいやそれはさすがに、と誰に何を言われたでもないのに首を横に振ったりしていたところ、
「なんですか田上さん! エロっちい話ですか今の!」
 突然ノックもなしに開け放たれたドアの向こうから飛び込んできたのは、今この場に最も似つかわしくなく、かつ最も聞きたくない声であった。
「……いや、何の話だよ」
 そこに立っていたのは、今回の散歩に途中まで同行していた浮草。……と、そう言っている間にずかずかと室内へ踏み込んできている彼女ではあるのだが。
 無遠慮にぼすんとベッドに腰掛けるところまでを見届け、溜息を一つ吐いてから、田上は尋ねた。
「ていうかお前が俺の部屋に、しかも一人で来るって何事だよ。詠吉は? 一緒じゃないのか?」
「そこ」
「ん?」
 浮草が指さした方を見る田上。なんてことはない、今神は未だドアの外で、入室の許可が出るのを待ち続けているだけなのだった。
「あー、えーと、どうぞどうぞ」
「お邪魔します」
 丁寧に頭まで下げてからの入室。ともなると、二度目の溜息を吐くことになる田上であった。
 ――ホントもう、爪の垢でも煎じて飲ませてやれってやつだよな。マジでやっても喜んで飲むだろ浮草なら……あ、でも想像しただけで結構気持ち悪いぞこれ。
 浮草の傍に腰を下ろした今神に――と言っても彼女と違い、ベッドの上ではなく床に正座だが――座布団を差し出してから、田上は問い掛ける。
「詠吉が一緒でほっとしたけど、どのみち珍しいよな俺の部屋来るのって。どうかしたか?」
「そんなことよりさっきのエロっちい話の詳細を!」
「だから何の話なんだよそれは……?」
 思い返せば浮草が突入してくる直前、独り言を溢していた覚えはある――が、なんせ意識してのことではなかったので、考えていた内容のどの部分をどう口にしていたかまでは定かではない。そしてそもそもその考えていた内容は、間違いなく浮草の言うようなものではなかった。
 ので、田上は浮草係に助けを求めることにした。
「なあ詠吉、こいつが何言ってるか分かるか?」
「え? え、ええと……ですね……」
 いつもそうしているように今神は今回もスカーフを巻いており、口元の表情は窺えない。しかしその返事に窮した様子から、彼が困っていることは見て取れた――し、更に言えばそれは、「分からない」のではなく「分かっているけど言い難い」ということなのだとも。
 なんせ浮草の恋人を務めている男である。彼女が訳の分からないことを言っているだけであれば、その旨をぴしゃりと言い捨てていることだろう。それができるからこその、信頼できる「浮草係」である。
「いや、いや」
 しかしその今神、田上が口を開くよりも先に手を振って何かを否定してみせる。
「田上さんが言ってたことの意味は分かるんですよ。『やらせてくれる』ってあれ、手合わせのことですよね?」
「…………」
 合点がいった。
「『一日に何回も』っていうのも」
「分かった分かった、分かったからストップ」
 と言えば止まってくれるのが今神なので、次に田上は言わなければ止まってくれない、もしかしたら言っても止まってくれないかもしれない方を向き直った。
「そう聞こえたとしてもそんなわけねーだろアホ」
「そうですかあ? いやあ、人のことはよく分かりませんからねえ私」
「ああ、まあ、分かっててそんな感じなのよりはマシなんだろうけどな……」
 分からないなら分からないなりに考え無しな発言は控えたらどうだ、とはしかし、わざわざ言わないでおく田上だった。
 言ったところで聞き入れてくれるわけもなく、そしてそれ以前に、
「分からないなら分からないなりに、考え無しな発言は控えるようにな」
「んふふ、はーい」
 今回は聞き入れさせられる人物こと今神が、同席しているのだから。
 ――いやまあ、一緒に居ねえほうが珍しいんだけどな。


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