第二章
「働かざるもの食うべからず、と言われましても、元々食事をする必要がないんですが」



「千尋お姉ちゃん、今日は外に行きたいな」
「行きたいな」
「ん? あー、そうか。天気も良いしな」
 赤が言い出し、青が続く。それを受けて黄芽が窓の外の清天を仰ぎ、即答する。
 双識姉弟は幼いながらも、この廃工場に集まるグループの中で誰が一番発言力を持っているのかを、しっかり把握しているのだろう。何かを思いつき、それを誰かに相談する場合は、殆どの場合でその一番の発言力を持つ人物、つまり黄芽に話を持ち掛けているのだから。
 ――でも、一番の理由はやっぱり身近で優しい人だからかな。千尋さん、ボクと修治君に対しての時とは違って、赤ちゃん青くんには優しいし。
 幼くして家族と死別してしまった双識姉弟。黄芽はその母親代わりのようにして、二人を自分の家――と言ってもそれはこの廃工場を指すのだが――に、住まわせている。それを知っている緑川は、「異論ねえな? お前等」とのっけから有無を言わせようとしない黄芽に、
「ないですよ」
 とにこやかに答えた。
 一方で「お前等」のもう一人である白井は何も言わず、やれやれといった意味合いの短い溜息をつくと、質問者へ肩を竦めて見せるのだった。

 端から見て荷物と言えるような物は、ソファの後ろに置いていた黄芽の大金棒と、同じくソファの後ろに置いていた双識姉弟のオセロ盤だけ。それらのうちで物騒なほうは黄芽の肩に軽々と担がれ、もう一方の石と盤がマグネット内臓で扱いやすいほうは、真ん中から二つにたたんで白井が持つ。双識姉弟は中睦まじく手を繋ぎ合い、緑川は自転車を押す。
 一応、お散歩メンバーの中に手ぶらな者はいないのだった。
「その自転車、籠付けたらどうです?」
 自転車置き場から進み始めてすぐ、白井が緑川へ声を掛けた。
 彼の言葉通り、緑川の自転車には籠が付いていない。マウンテンバイクタイプならばともかくいわゆるママチャリであるその自転車に籠が付いていないのは、籠下部の支えが露出している事もあって、やや不恰好かつ不自然なのであった。
 言うなれば、あちこちが凹んでいる車と受ける印象は同じである。
「うーん」
 話を聞いた瞬間に返事を思いついた緑川であったが、苦笑を浮かべてやや間を置く。白井が言いたいのは「籠があれば、いつも持たされるこの荷物を預けられる」なのだろうと判断したのだ。
 が、それでも頷く訳にはいかない。彼にも彼なりの理由があって籠を外したままにしているのだから。
「でも付けた傍からこけたりぶつかったりで歪んじゃうから、お金がもったいないだけなんだよねぇ」
 この自転車を買った時に初めから付いていた籠は、自転車を使い込んだ結果、使用不可能とは言わないまでも、高名な芸術家の深遠なる心理を表現した難解なオブジェに見えてしまいそうな程に変形してしまった。なので、緑川の手で自主的に外されたのである。
 そしてもう一つ付け加えるならば、自転車自体が高校に入ってから数えても既に五台目になるのだ。
「ですか。なんとかならないんですかね、その体質」
「ならないと思うよ。あははは……はぁ」
 笑いながら愁いを帯びた溜息を吐く緑川が顔を上げる頃、その時お散歩メンバーの一団は廃工場から表の道路へ差し掛かろうとしていたのだが、そこには女性が一人。丁度こちらへ踏み入ろうとしているところであった。
「よお、紫村さん」
 黄芽が片手を挙げ、その女性に挨拶。
「あら、みんなしてお出掛け? タイミングが悪かったかな?」
 対するその女性は、軽く首を傾げながら頬に手を当てた。
 おばさん臭いと言ってしまえば身も蓋もないながら否定もできないそんな仕草をするその女性は、しかし一見、緑川と同年齢くらいに見える。
 だが、この場の全員が知るところである。彼女こと紫村しむら椿つばき がこう見えて立派な大人であり、既に子持ちですらある事を。だからこそ、男子二名を容赦なく呼び捨てにする黄芽ですら彼女に「さん」という敬称を付けているのである。
「久々なうえに夜中のお仕事だったから、『お疲れ様』を言いにね。まあ、夜中って部分ではお互い様なんだけど」
 頬に当てた右手を降ろし、腰の前で左手と重ね合わせる。そのゆっくりとした動作に落ち着いた色合いのセーター、ロングスカートという格好も相まって、外見の若々しさよりは上である実年齢を、彼女は雰囲気としてその身に纏っているのだった。
 そしてその台詞が表す通り、彼女も黄芽や白井と同じ職業、すなわち鬼なのであり、そしてこの世で活動する夜行と隠のうち、彼女が属しているのは隠である。
『椿おばちゃん、こんにちは』
 子どもなりに彼女が纏う柔らかな母性を……いや、むしろ子どものほうが敏感なのかもしれない。どことなく母親の匂いを漂わせる紫村に、双識姉弟は親しみを込めて「おばちゃん」という敬称を付けている。そしてその事を、紫村は快く受け入れているのだった。
「赤ちゃん青くん今日は。今日はいいお天気ね」
『うんっ』
 小さな体で元気に大きく頷く赤と青。その頭へ、後ろから手か伸びる。
「だから外に出ようっつったんだもんなー。いい天気だよなー」
 その伸ばした左手の主である黄芽は、紫村とは対照的とも言える歯を剥き出しにした笑みを浮かべながら、赤と青の頭を片方ずつがしがしと撫でた。一見すればそれは痛そうにも見えるが、双識姉弟は揃って「えへへ」とはにかんでみせる。二人にとってはこれがいつもの、そして一番お気に入りの「なでなで」なのである。
 こういう遣り取りを見ると、緑川はいつも思う。「千尋さんって、子ども好きだよねえ」と。反応が怖いので、思うだけで口にはしないが。
「せっかくご挨拶に来ていただいたのに、すいません紫村さん」
 白井がそう言って、軽く頭を下げた。
「いえいえそんな、本当に挨拶だけのつもりだったし。ここで会えただけでも充分」
 紫村がそう返しながら、右手を軽く左右に振った。そして、またもその手をゆっくりと降ろしながら、付け加える。
「もうちょっと遅くて誰もいなかったら……それはちょっと、ガッカリだったかもしれないけどね」
 それを聞いた白井は、眉毛をぴくりと上下させた。
「ははあ。ならそれは、千秋くんのおかげですよ」
「ん? どういう事?」
「今朝また車と接触しそうになったそうなんですよ。それ自体とそれについてのお話で、時間が少しずれましたから」
「あらまあ。大丈夫だったの? 緑川くん」
 驚いた紫村は、それまではおっとりと細められていた両の目をやや大きめに開き、それを緑川へ向ける。
 本当ならうんざりと肩を落として見せたいところだが、変に不安がらせても仕方がない。そう考えた緑川は、事件を振り返って再発する鈍痛を抑えながら精一杯の作り笑いを浮かべた。
「大丈夫です。ボクも自転車も怪我一つないですし、それにもし怪我してても修治くんがいますから」
「よっぽどじゃない限り、僕は手を出しませんがね」
 作り笑いを白井へ向けると、それが作り笑いであると気付いているのかどうかは疑問符の付くところであるが、白井はぷいとそっぽを向く。それを受けて、緑川の作り笑いは自然な苦笑いへと移り変わるのだった。
 たった今緑川が発言した、「白井がいるから」という言葉の真意。それは何も、白井が傷の手当てを得意としているわけではない。医療が得意な人物なら、黄芽と白井の同僚に元医療関係者がいるのだが――それは今、別の話である。
 夜行を含む鬼の一部には、普通の人間にはない特殊な能力がもたらされる。その内容は個人によって千差万別であるが、纏めて全てを指す場合は「鬼道きどう 」と呼ばれる。
 そしてそれこそが緑川の発言の真意、白井の鬼道である「自他に関わらず傷を癒す能力」なのである。
 それによって白井は、ただでさえ傷の治りが速い幽霊を更に越える回復速度を有している。
 の、だが。
「そんな制限付けてるから、『役に立たない能力』なんだよう」
「それならそれで結構です。身の回りが平和な証ですからね」
 白井自身はその鬼道を「役に立たない能力」と評し、そしてその評価はそのまま彼の鬼道の名称となっている。
 どうしてそのような評価なのか。それは夜行が、つまり白井自身、そして仕事のパートナーである黄芽が、普通の人間とは段違いの身体能力を有しているからである。それ故、仕事の「相手」がいかに凶悪な殺人者であったとしても彼等が怪我を追わされる事はほぼないのだ。
 しかしそれ以前、黄芽が所有するとても人間が扱うとは思えない大きさの金棒を見た「相手」が戦意を持つ事からして、既に稀な事態なのであるが。
 そんなこんなで、そして緑川がたった今膨れっ面で述べた「仕事以外での怪我にはよっぽどの事がない限り使わない」という制限もあって、白井の鬼道は滅多な事で使われる代物ではなくなってしまっているのである。
「そう、平和ね。んー、自分達がそれに関わってると思うと、いいお天気が一層清々しいわぁ」
「お仕事頑張ってね、椿おばちゃん」
「頑張ってねー」
 紫村がまるで今寝床から置き上がったかのようにぐいっと背筋を伸ばし、赤がそんな紫村に歩み寄って声を掛け、青がそれに続く。
 すると紫村は、そんな双識姉弟の頭へ優しく手を被せた。
「うん。おばちゃん、今日も頑張るよー」

「それじゃあ、わたしはそろそろお暇しましょうかしらね。いつまでもお出掛けの足止めしてるのも悪いし」
 昨晩の件を受けて「この地区は相変わらず仕事が少なくて助かる」だとか、黄芽と白井についての「明日からの休みはどう過ごすか」等といった数分程度のとりとめもない雑談の後、区切りを見つけて別れを切り出す紫村。
「それはこっちの台詞だって紫村さん。愛しの我が家はすぐそこってね」
 それに黄芽がふっと鼻を鳴らし、これから紫村が向かうであろう場所を冗談混じりに予言すると、紫村は柔和な笑みを返した。
「ふふ、ありがとう」
 紫村には、夫と息子がいる。そして彼女は、息子と夫が家に揃う土日は生前の自宅へ顔を出す。
 ――とは言うものの、夫も息子も存命であり、そのどちらもが緑川のように「幽霊が見える人間」ではないので、あちらからすれば紫村は既に存在していないのであるが。
「それじゃあね」と小さく手を振りながら自宅への道を歩み始める紫村に、緑川の一団は団員それぞれ思い思いに返事を返す。
 それが済み、次第に小さくなっていく紫村がこちらへ完全に背を向けると、黄芽が一団全員を見渡した。
「んじゃ、俺等も行くか」
「そうしましょうか」
 まずは白井が反応を見せ、それから赤、青。
「しゅっぱーつ!」
「おー!」
 そして最後に、緑川。
「今日はちょっと、車に気を付けよっと」
 さすがに一日で複数回、車に接触しかけた事はない。だがそれでも、不安は拭い去れるものではなかった。
 なんせ毎回紙一重で事故には至っていないものの、その紙一重がなければ重大事故は確実なのである。いくら心配してもし過ぎるという事はないだろう。
 そう思った、その時。
「んなに気張らなくっても、危なくなったら蹴り飛ばして助けてやんよ」
 なんとも心強い黄芽の言葉に、苦笑いを隠さない緑川であった。


「千尋お姉ちゃん、かたぐるまして!」
「えー、じゃあ修治お兄ちゃん、青もかたぐるまー」
 というわけで、散歩開始早々から赤を黄芽が、青を白井が肩車。白井はともかく黄芽は肩に金棒を担いでいるが、持ち手に向かって細くなっていくその構造から、赤のか細い足となんとか肩の上を共有する事ができるのであった。
 とは言え、黄芽の片手が金棒を掴んだままなのもまた事実。
「頭離すなよ」
「うん!」
 赤の支えが不安定な事を憂慮し、自分の頭にしっかりとしがみ付かせる。
 一方の白井は持たされていたオセロ盤を青に返し、赤と同じくか細いその両足を、両手で鷲掴みにしていた。
「それで頭叩かないでよ、青くん」
 白井が不安げに口にした「それ」とは、青のお腹と白井の頭の間に挟み込まれたオセロ盤の事である。
「えへへー」
 そんな不安を知りもしないように青が発した無邪気な笑い声のみの返答に、白井は口を歪ませるのだった。
「落ちないようにね、二人とも」
 双識姉弟が黄芽と白井の肩へ上った事により集団の中で一番目線が低くなってしまった緑川が、目線を高くした二人に声を掛ける。
 すると赤と青は、まだ歩き出してもいないのにさぞ楽しそうな返事を元気良く返すのだった。
『はーい!』
 そしてこれが、集団を進み始めさせる合図となった。
 馴染みの集合場所兼黄芽と双識姉弟の住居である廃工場から外に出れば、そこにはもう緑川と同じ「生きている人間」が多かれ少なかれ、たむろしている。
 ――普段ならばもちろん、わざわざ他人の存在などを気に留める事はない。だが土日に限って黄芽ら幽霊とともに時間を過ごす緑川は、幽霊とそうでない者が世界に混在し始めるこの瞬間には毎度、このような世間と自分が属するグループのズレを頭にぷかりと思い描くのだった。
「さて。外に出たはいいけど、今日はどこ行こうかね」
 黄芽が言う。誰にともなく、呟くように。しかし緑川には分かっていた。期待されているな、と。
 まあ、そうは言っても外を出歩く時は毎回の事なので、もはや「期待」と呼べるかどうかすら危ういところだが。
「どこでも結構ですよ。どうせ行く場所なんか関係無いんですから」
 言いながら、いつもそうしているようにぷいとそっぽを向く緑川。
 ――わざとらしいんですよ千尋さん。そのいかにも「これは独り事だけど」みたいな言い方が。
「ケケケ、怒んな怒んな。んな膨れっ面だと可愛く見えちまうぞ千秋ちゃん?」
「ボクは男です!」
 されて嫌な期待から話がこう繋がるのは、よくある展開。怒ったところで黄芽が喜ぶだけだと分かっていても、女扱いだけはどうしても許容できない緑川千秋十七歳であった。
「今日は何か起こりますかねえ。何もなければそれはそれで歓迎なんですが」
 膨れっ面だと指摘されて更に膨れ、どんどん男らしさからかけ離れていく緑川。そんな彼を気にも留めず、白井が若干の憂鬱を帯びた気だるそうな声を漏らした。
「今日は何か起こるだろうか」。それこそが、たった今緑川にかかっている「期待」である。
 緑川の不幸体質は何も命に関わるような事故ばかりを引き起こすのではなく、街中で財布や落し物を拾うといった、身に危険が及ぶものに比べれば可愛げすらある事件をも呼び寄せる。……とは言っても緑川が事件に引き寄せられているとも言え、そのどちらなのかは判断が難しいところではあるが。
「ボクは何もないほうが圧倒的に歓迎だよ」
「そうプンスカすんなって。本気でヤバくなった時はちゃんと守ってやっから」
 言われ、赤の足から離した手で頭を撫でられる。
 緑川は黄芽や白井の仕事について、そしてその常人離れした身体能力の事についても知っているので、「守ってやる」と言われれば、それによって絶大な安心感を引き出されるのである。例えそれが軽口のような口調であり、緑川自身からして不本意であったとしても。
「ずるいや」
 目の前に立っている黄芽にすら聞こえないような小声で、そう呟いた。

 ともあれ。特別な事をするまでもなく、緑川に課せられた行動はただ「歩く」という作業のみ。要するにそれは散歩なのであり、期待されているという点を除けばただ友人とブラブラ歩き回るだけの事なのである。
 ……しかし。
「なんもねえなあ今日は。空振りか?」
 そろそろお昼という事で、寝坊によって朝食を食べていない緑川の臍の辺りからある種の警告音が発せられる頃合になると、黄芽が期待外れ感をありありと滲み出させるような口調で呟いた。
 これはいいタイミング。話を切り出すのに丁度いいかもしれない。
「あの、黄芽さん。ボク、お腹が空いてきたんですけど……」
 こちらから進言しただけでは、黄芽が首を縦に振る事はないだろう。だが、黄芽本人が諦め始めている今なら望みはある。緑川はできるだけ下手に出ようと、そしてそれに空腹による体力の消耗も相まって、本人が想定した以上の媚びるような口調を口から吐き出した。
 すると一番に反応したのは黄芽ではなく、その上で彼女の頭にしがみ付いている人物、赤だった。
「千秋お兄ちゃん、お腹がきゅーって鳴ってたもんねー」
 彼女が口を開けば、それに対応して口を開く者がもう一人。
「じゃあ千秋お兄ちゃんのお家に行こうよ!」
「ぼっ」
 興奮した青が抱えていたオセロ盤を振り下ろし、それが「ぱんっ」と乾いた音を立てると、振り下ろされた眼鏡の人物は妙な声を上げた。
 それはともかく、オセロの石は二つに畳んだ盤の中に仕舞われているので無事である。
「あー……暇だったら久々に旦那達の家に寄ってみようかと思ったんだけどな。まあ、お前等がそう言うならそれでいいか」
 緑川に言わせれば子ども好きである黄芽は、青の提案をすんなりと飲んだ。彼女なりに次の行く先を決めていたのに、である。ならば、緑川の提案は却下されていた事であろう。
 ――ボクと青くん、言った事は同じなのになあ。……はあ。
 しかしその黄芽をあっさりと頷かせた青は、何やら困ったような顔になる。
「鎧おじちゃんのお家……」
 どうやら黄芽の言った「旦那達の家」が自分の提案と同じくらい魅力的らしく、両の頬に両の手を当てて悩み始めてしまった。ちなみにその手を離れたオセロ盤は、バランスを保って白井の頭の上である。
 しかし今の緑川にとって白井の頭上の事情などは眼中になく、ならば何が気掛かりなのかと言うと、青が迷っているという事実についてである。
 もしも青が悩んだ結果「やっぱり鎧おじちゃんのお家に行きたい」などと言ってしまえば、緑川の帰宅話は確実におじゃんなのだ。しかし現在、緑川の腹の虫はとてもご立腹であり、いつまた奇声を発するか分からない。なので緑川は、「ここは何としてでも帰っておきたい。『鎧おじちゃんのお家』は後からでも行けるんだから、お願い青くんボクを助けて」と必死に目で訴えるのだった。
「ん? なあに? 千秋お兄ちゃん」
 ……あまり効果はないようで、顔を手で挟んだままの青がきょとんと緑川と見下ろす。
「あ、あのね青くん……」
 なんと返事をすれば良いか、悩んだ。ストレートに「お腹が空いたから帰りたいな」と言った場合、黄芽が面白がってそれを妨害しようとしてくる恐れがあるのだ。ならば空腹の話は避けて遠回しに自分の家へ興味を持たせたいところだが、それにはさてどうすれば良いのだろうか?
 なかなか答えが出ないでいると、きゅう、と再び腹の虫。それを聞き届けた青は、ぱっと笑顔を作り出した。
「あ、千秋お兄ちゃんお腹空いてたんだったよね。じゃあお家に帰りたいよね?」
「……うん」
 そう言ってもらえるのはありがたいが、この音を聞かれるのはやや恥ずかしいものがある。どうしてこう生理現象に付随する音というのは他人に聞かれて恥ずかしいものなのだろうか?
 そんな疑問がふと浮かんだりもしたが、黄芽の顔をその幼い両足で挟み込む赤が動き出したので、どうでもいい疑問は煙の如く緑川の中から掻き消えた。
「千尋お姉ちゃん、千秋お兄ちゃんのお家に行こう?」
 ――天使だ。
 そしていつものように、同い年の姉に続く弟。
「だよね。お腹空いたら元気出ないもんね」
 ――双子の天使だあ。
「金剛さん達のお宅に伺うのは後回しでもいいでしょう、黄芽さん」
 メガネだ。うん、メガネ。
 その眼鏡が言う金剛とはもちろんダイアモンドの和名の事ではなく、黄芽の言う「旦那」であり青の言う「鎧おじちゃん」でもあり、白井と黄芽の同僚である金剛こんごうがい という男性の名である。
 同僚。つまり金剛も鬼であり、隠の連絡を受けて悪人を捕らえる夜行である。黄芽と白井がそうであるように、夜行は基本男女が二人一組になって活動をし、そして金剛も例外ではなく、ある女性をパートナーとして夜行の任に就いているのだが。
「腹減らして弱らせたままシルヴィアの相手させんのも面白そうだったんだけどな。まあ、赤と青が言うなら止めにしとくか」
 女性の名はシルヴィア・シルヴァーマン。その名が示す通り、れっきとした外国人女性である。
「あ、そうだ。それとな青」
「なにー?」
「さっき白井ぶっ叩いたの、一応謝っとけな」
「あっ……ご、ごめんなさい。修治お兄ちゃん」
「――はい。ちゃんと謝ってもらったから、これでもうなんとも思わないよ。……ところで黄芽さん、一応って何ですか一応って」

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