「千秋お兄ちゃん、まーだかなー」
「千秋お兄ちゃん、どーこかなー」
 歌うようにしてリズムを取りながら、大股でずんずん進む赤と青。その後ろからはすたすたと、普通よりやや歩幅を狭めて二人を追う黄芽。ただしその肩に担いでいる重量感溢れる物体のおかげで、その見た目には赤と青に同じくずんずんという擬音が似合いそうだったが。
「もうそろそろ居てもいいよなあ。ちらちら他の奴も通ってるし」
 尽くこちらには気付かない、緑川と同じ高校の制服を着ている通行人。にわかに現れだした彼等をすれ違う度に一瞥しながら、目を細める黄芽であった。
 現在、緑川自宅から高校までという道程の、およそ三分の一を進んだというところだろうか。双識姉弟は雪の降る中を歩く事自体が楽しげなようだったが、黄芽はどうにも落ち着かないところがある様子であった。なんせ今回のこの移動自体が、緑川の身辺警護という意味を持っているからである。
 もちろんそれだけではなく、赤と青が口ずさむようにただ友人に会いに行くという面もある。今週は休日組という事で紫村から直接連絡は来ないが、仕事が入った場合は念の為に話を回してくるよう、担当組である金剛とシルヴィアの二人にも話してある。つまり連絡が来ない限りは心配する必要は殆ど無く、そして現に連絡は入ってきていないのだが、それでもどこか。
 普段行っている「悪人の悪意を感知、それを追跡し、捉える」という流れとは今回は勝手が違うのだ。例えば、今現在緑川のすぐ隣に悪人が居てもおかしくはない。悪人とは言え常時悪意を発している訳ではなく、それ故悪意を感知しそこへ向かった時には手遅れとなっている可能性もある。単に「目標を確保する」事と「特定の人物を守る」事がこうも別物であるという事実そのものに、黄芽は不用と言えなくもない焦りを募らせていた。

「あっ」
 緑川は、声を上げた。それは水野との会話によるものではなく、また黒ドレスの女性にちょっかいを出されたという訳でもなく。正面遠目に見覚えのある子ども二人組と、見覚えのある金棒を担いだ見覚えのある女性を発見したのである。
「ん? 千秋、どしたん?」
「あら分かり易い。――あれ、鬼ですわよね?」
「ああいや、雪が目に当たってね」
 ぽん。
「そういう時って、凄い勢いで体が反応してまぶた閉じるよねえ」
「向こうから来るだなんて、手間が省けましたわね。――ありがとう、可愛い男の子さん。それじゃあこれで」
 可愛いは余計だ、と言う暇もなく(と言って実際、言う訳にはいかないのだが)すたすたと離れていく黒ドレスの女性。それが彼女の普通なのかそれとも急いでいるのか、歩みの速度は随分と速く、同じ方向に歩いている緑川と水野をさっさと引き離してしまった。
「澄ちゃんの場合、それでも間に合わなさそうだけどね」
「んへえ、酷い事言うなあ可愛い顔して」
「可愛いは余計だよ」
 と見掛け上は水野と会話をしているものの、そして可愛いなどと言われた以上意識の半分以上も水野に向けていたものの、残り半分以下の意識と視線は、黄芽と双識姉弟に近付く黒ドレスの女性に向けたままだった。いや、鬼に用があると言っていたのだから赤と青はこの場合関係無いのだろうが。
「あまり良いお日柄とは言えませんが、今日は鬼さん。そんな物を担いでいるという事は、夜行ですわね?」
「あ? なんだ、無視られてると思ったら幽霊か。仰る通りだけど誰だお前? とんでもねえカッコしてっけど」
「だあれー?」
「千秋お兄ちゃんの友達ー?」
 直接話し掛けられた目的の鬼と、その付き添いの小さな幽霊は、三名揃って黒ドレスの女性に疑問符を突きつけた。その短い遣り取りの間に緑川と水野は幽霊四名に追い付き、黄芽達は進行方向を緑川達に合わせ、帰路の道連れは合計六名。
 黒ドレスの女性、誰だと尋ねられたのが嬉しいと言わんばかりに、心底から笑みを浮かべた。緑川に一度向けた、加虐性に溢れる笑みを。
「あたくしが誰か、ですって? うふ、うふふ、うふふふふ――」
 ピリリリリリリ。
「あ、悪いちょっと黙れ」
「ふぬぐ」
 電子音とナチュラルな命令口調に勢いを殺され、あまりにも不恰好な声を漏らす女性。それを間近で聞いた赤と青はあはは、と遠慮も無しに笑って見せ、緑川も笑ってしまいそうになる口を手で抑えながらも、肩を一度だけぴくんと震わせてしまう。
「お? どした千秋、気分悪いの? 吐いちゃいそう? あまりにも突然だけど」
 どうやら水野からはそう見えてしまったらしく、しかし不自然だと思われなかったのならそれはそれで好都合、と緑川は「うん、まあ、でも、なんか大丈夫」等と中途半端に肯定しておいた。
「ぐぬぬぬぬぬぅ……!」
 そんな周囲の状況に、緑川とは違った意味で肩を震わせ、怒りを隠さない女性。だがしかしその原因たる黄芽は、まるでお構いなしであった。構っている場合ではなかった、と言い換える事もできるのだが。
「ああ? んだそりゃ。つーか、……なんだそりゃ」
 耳に押し当てた携帯へ、続けて二度同じ事を口走る黄芽。ただし一度目は聞き返すような口調で、対して二度目は心底うんざりしたという口調であり、言葉は同じでも意味は異なっているようだった。
『お仕事?』
 常に黄芽と一緒に居ると言っても過言ではない赤と青。そんな二人が黄芽の表情と声色から導き出した予測は、
「ああ、そうらしい」
 見事に正解であった。誰もその正解を喜ぶ者はいなかったが。
「お前等、千秋の家に連れて行ってもらっとけな。仕事終わったら俺も行くから」
『はーい』
 それは構わないんですけど、と心の中で頷きながら、緑川は考える。
 ――それは構わないんですけど、千尋さん、今週はお休みじゃなかったでしたっけ?
「おい、誰だか知らねえけどお姫様っぽいお前。お前も来い」
「あらどうして?」
「不審者過ぎっからだっつの。色々あって厳戒態勢中なんだよ今」
 緑川の声に出さない疑問など誰か気付く訳でもなく、黄芽は黒ドレスの女性に声を掛ける。そしてちらりとだけ、緑川へ目を遣った。緑川はその視線に気付き、だがその意味を理解しかねたが――
 要するに黄芽は、この女性に疑いの目を向けているのである。緑川を警護しようと出向いた先でその緑川の隣を歩いていた、見るからに怪しいこの幽霊を。
「まあ、構いませんけど」
「……うし、じゃあ行くぞ。一応それなりに走るからな。ついて来いよ」
 開口一番自分を「鬼さん」と呼び、そのうえ夜行だとまで言ってのけたこの女性。そこまで知っているなら鬼の仕事内容も知っているだろうに、その仕事先へついて来いと言われてあっさり首を縦に振る。一層疑念の情は強くなるが、ならば尚更緑川から引き離さねばなるまい。
 このように思考を巡らせた黄芽は、では早速、と全力からはかなり抑え目の速度で走り出した。黒ドレスの女性もその過剰な横幅のスカートの端を摘み上げ、ハイヒールでは走り辛いだろうに、ぴったりと黄芽の後ろを駆けていく。どのような意味にせよ只者でないのは確実であった。
『行ってらっしゃーい!』


「おい、お前」
「何でしょう?」
 緑川の一団から百メートルほど離れた辺りで、黄芽は走り出してから始めて口を開いた。
「どう考えてもただの一般人じゃねえよな。鬼の事も知ってるみてえだし、何よりそんなカッコで走ってて息一つ乱れてねえ」
「まあ、幽霊である時点で一般人とは言い難いですわね。うふふ」
「真面目に答えろ。吹っ飛ばすぞ」
 それは明らかに軽口ではなかった。脅迫、恐喝、強要、脅し。そんな類のドスの聞いた口調であった。肩に担いでいる物を考えれば黄芽の言うところの一般人であるなら、いや、一般人でなくともその一般人でない度合いが余程でもない限りは、少なからずとも動揺や恐れを見せる場面だろう。
 だが女性が見せる感情は、ただ平然。尚も平坦。変わらず平静。
「あらあら、さっき名乗らせなかったのはそちらのくせに。――わたくし、黒淵くろふちせり と申します。聞き覚えはおありで?」
「ねえな。なんだ、有名なのか? 指名手配犯か?」
「あらまあ、不勉強な夜行もいたものですわねえ。ま、悪人ではないのでご安心を」
「そんなら何なんだよお前は」
「他の鬼の皆さんに訊けば、知っておられる方のほうが多いんじゃないでしょうかね?」
 わざと回りくどく言っているのが見え見えであった。そして見え見えである事をわざと見え見えにしている事も見え見えであり、要するに意地の悪い見え見えの当て付けである。
 黄芽は、苦虫を数匹噛み潰したうえで目の前にその苦虫を追加されたような顔になった。
「ムッカツク女だなお前。……まあ今は置いといてやるけど、じゃあもうちょい速く走ってもいいのか?」
「全速力で構いませんわよ。行き先を知っていれば追い抜いて差し上げられますのに」
 口の減らない、いや、恐らくは減るどころか喋る度に増加しそうな勢いを見せる黒淵を名乗った女性に、黄芽はどこぞの眼鏡男がよく見せるような溜息をついた。
「……取り敢えず、おかしな動きしたら張り倒すからな。今のその走り方でも充分おかしいけどよ」
「さっきからはしたなく上下してるその無駄に大きな胸のそれは、おかしな動きとは言いませんの?」
「てめえだって似たようなもんだろうが」
「いえいえ、貴女ほどでは」
 その言葉通り、黄芽ほどではない。だがそれでも「大小」で言うなら「大」である彼女と、「特大」である黄芽の折り合いが悪いのは、誰の目からしても明らかであった。そしてこの時周りに誰も居ないのもまた、明らかであった。誰も居ないが故に、本人同士の中だけにおける話であるのも明らかであった。
 しかしこの時、既に黄芽の胸中では、黒淵に対する不信感がほぼ払拭されていた。勿論それはイコールで信用したという事には成り得ないのだが、少なくとも隣を走る彼女への警戒は「今のところは解除された」という状態である。
 ――「悪人じゃない」って嘘付くぐらいなら「悪人ですけどそれが何か?」ってな具合に自信満々で全部バラすって感じがするんだよな、こいつ。だからっつってムカツクのは変わりねえし、なんで会ったばっかでそんなふうに思うのか俺にも分かんねーけど。
 分からないものの、だからと言ってあまり深くは考えず、黄芽は走る速度を上げた。こうなればもはや、常人では自転車を使ったとしても追いすがるのは難しいであろう。だが、黒淵はぴったりと後をつけてくる。
 要は彼女も、黄芽と同じく常人離れした身体能力を持っているのだろう。善か悪かは別として、だが。
 紫村から六名の夜行全員に通達された、「金剛とシルヴィアが住む空き家、灰ノ原と桃園が住む廃病院、そして黄芽と双識姉弟が住む廃工場のそれぞれに五名ずつ反応が現れた」という知らせ。一度に総勢十五名という前代未聞の数に非番である黄芽と白井にも出動要請が掛かり、各々は各々の住家、という事で黄芽と白井は廃工場の五名を請け負う事になったのである。
「なあんで白井ん家じゃねえんだよ」
「何かおっしゃりました?」
「お前にゃ関係無え」
 隣の黒淵にも聞き取れないような声量で小さく愚痴を垂れる黄芽であったが、同時に「そうでなくて良かった」とも思っていた。なんせ廃工場は無人、それに対して白井の家には白井の家族が普通に暮らしているのだ。そんな所へ「反応」が現れる事など、誰も本気で望んだりはしないだろう。そして黄芽も当然のように、その通りなのであった。
「あらそうですか。ところで、あとどれくらいで目的地に着くのです?」
「なんだ、もうへばったのか?」
「楽しみなだけですわよ。うふふふ」
 ――「楽しみ」ってか。本当、何かにつけて腹立つなこの黒淵とかいう女。有名人っつってっけど、一度でもこんな奴に会ったら忘れねえと思うんだけどなあ。

 黄芽と黒淵とついでに白井の三名が廃工場へ向かっているその時、灰ノ原と桃園が待機(とは言ってもそこが住居である以上、彼等は初めからそこにいたのだが)している廃病院では。
「やあやあ、ようこそようこそ悪者っぽい諸君。歓迎するよ」
「……………」
 一見荒れ果ててはいるものの、しかしよく見れば清掃が行き届いているロビーに、からからという音とこつこつという音。現れた灰ノ原は車椅子の上でにやにやとふんぞり返っており、桃園は無表情かつ無言でそれを押していた。
「一応、君達五人はまだ何もしていない。ここで引き返してくれると言うならぼく達は手を出さずにお見送りしちゃう訳だけど、どうだいその辺? 帰るつもり、ない?」
 灰ノ原はにやにやしたまま、目の前で横に並んでいる五名へ問うた。揃いも揃って黒服にサングラスという、言ってみれば「分かり易い」格好の彼等に。
「……………んー、返事してくんないねえ叶君」
「少なくとも、今の話で首を縦に振る事はないでしょう」
「まあ念の為だよ念の為。元が付くとは言え、病院に血とか肉とか撒き散らしたくはないでしょ? ここ、怪我させる場所じゃなくて怪我治す場所なんだし」
「その点については同感です。なので、ここは私に任せてもらえないでしょうか」
「――ンヒヒ。全く、本っ当に最高のパートナーだよ君は」

 黄芽と黒淵とついでに白井の三名が廃工場へ向かっているその時、金剛とシルヴィアが待機(とは言ってもそこが住居である以上、彼等は初めからそこにいたのだが)している空き家では。
「ワーオ! 鎧、見て見てアレ! 今度鎧もああいう格好シテみてヨ!」
「……そういう話は後でな、シルヴィア」
 家に面した道路上で黒服五名を待ち受けていたシルヴィアと金剛は、まるで緊張感のない空気を醸し出していた。シルヴィアが口を開くまで、金剛だけにはこの場に相応しい緊張感が漂っていたのだが。
「はーイ。えっと、それじゃあお兄サン達、何の用なノかな? 他の場所にいルあと十人も、お兄サン達の仲間なノかな? それと、できレば喧嘩はしタクなイんだけど」
 シルヴィアはにこにこしたまま、目の前で横に並んでいる五名へ問うた。揃いも揃って黒服にサングラスという、言ってみれば「分かり易い」格好の彼等に。
「……………無視されチャったみたいだネ?」
「つまりは喧嘩をする気なんだろうな。という事は、修羅か」
「うー、修羅相手は大抵手加減できナイから嫌いだヨ。そうイうお仕事なんだカラ、文句言っちゃ駄目なんだろうけどサ」
「駄目だとまでは思わんが、言っても始まらないのも事実だな。……なに、数は多いが大丈夫だろう。見るからに雑魚といった装いだ。それにお前の人形もある」
「うん、頼りにシテくれて良いヨ。その分ワタシ達も頼りにしちゃうカラ。ね、マスター」
「頼りにし過ぎて我々の出番が無かった、なんて事にはなって欲しくないがね」

 それら二箇所での邂逅から、さほど時間を経ずして。
「おう、先に着いてたか白井」
「ああ、黄芽さん」
「中か? その五名さんは」
「みたいですね。……で、そちらは?」
 黒淵とともに目的地である廃工場、つまり自宅に到着した黄芽は、その玄関先で白井と合流した。相手が五名という人数であり、そしてこの場を動く気配がない以上、一人で中へ踏み込まずに黄芽の到着を待っていたという白井の行動は適切なものであったと言えるだろう。そうでもなければ今頃、黄芽による叱責の嵐である。
「拾った。誰だか知らねーけど、あいつの近くに居てな。怪し過ぎっから緊急措置」
「はあ、なるほど。って事はそちら、幽霊で?」
 女性の正体が分からないため、「千秋」ではなく「あいつ」。名前を伏せはしたものの白井はきっちりとそれを察し、ついでに女性が霊である事も。
「そうだ――」
 黒淵に横目を遣りながらながら軽く頷く黄芽であったが、
「って、うおっ!? おっ、おっ、おおいぃい!?」
 その黒淵に突然腕を引かれ、そのままずんずんと進まれるがしかし足がそれに追いつかず、不恰好に片足だけをけんけんと地面に弾ませながら運ばれてしまうのだった。
 そんな彼女らを見て、白井は眼鏡の奥で数回、あっけにとられたような瞬きをする。
 ――黄芽さんをあんな……。怪しいだけじゃなくて只者じゃないな、あの女の人。
「おい、何だよいきなり? おかしな真似したら張り倒すって――」
「どなたですの!?」
「は?」
 突然の行動に怒気をみなぎらせ、ドスを利かせる黄芽であったが、それを無視して大声を張り上げてくる黒淵にそれらをあっさり削がれてしまう。
「だから、あの眼鏡の殿方ですわよ! どなたですの!?」
「……鬼の事知ってんなら察しがつくだろ? 俺の相方だよ」
「ああ、あんな男前な方が貴女なんかのパートナーですって!? なんて勿体無い!」
 再び、怒気が込み上げる黄芽。ただし先程のものとは質が違う怒気である。
「あの眼鏡が男前かどうかはどうでもいいとして、俺『なんか』ってなんだコラ。おかしな真似しなくても張り倒すぞテメエ」
 その有様は、チンピラそのものであった。
「お名前は!? お名前はなんて言いますの!?」
「教えるかボケこの不審者が! 大体今仕事中なんだよ! 終わるまでジッとしてろ喋んな騒ぐなちょっかい出すな!」
「じゃあ仕事が終わればいいんですのね!? 中に居るっていう五人を痛めつけてやればいいんですのね!? それなら!」
 言うが早いか、ハイヒールをコツコツ鳴らしながら駆け出す黒淵。その目標は白井を通り越して、明らかに工場内部であった。何が何やらで大人しく素通りを許した白井の背後から、
「ぐあああああ! テメエ何考えてやがんだこの馬鹿!」
 何が何やらながらも怒り心頭な黄芽が黒淵を追う。
「待てやボケエエエエ!」
「……えええ……?」
 まるで自分の存在を無視されたかのような素通りっぷりに困惑しながらも、黄芽が突入した以上は追わない訳にはいかない。情けない声を上げつつ、三人の内最後になった白井は、工場内へ突入した。
 今回の十五名。彼等が鬼を狙っているのは、誰の目からでも明らかであった。
 そう。余りにも明らかに過ぎて、その背後の思惑を疑う余地が無かったのである。
 黒服に、十五人という数。それは大小は分からないまでも「組織だって動いている」と鬼達に知らせているようなものだった。
 いくら実際に警護をしていたとは言えあの男、求道は、次がいつになるか分からないと言っていた。どこかに「今日だという事はないだろう」という思いがあった。
 黄芽達は求道が組織の一部として動いている事など知る由もない。組織の存在自体、把握していない。
 ましてや今回の十五人とその把握すらしていない組織が繋がっているなどとは、連想でき得る筈もなかったのだ。

 黄芽と白井、そして黒淵が工場へ侵入したその直後。そこから遠く離れたある場所に、男が一人立っていた。
『C地点、鬼の到着を確認しました』
「おうおう、やっと最後んとこも来たかぁ。ケハハハ、焦らしやがるぜ全く」
『……予想外の女も混じっていますが、いかが致しますか。響様』
「あん? 構やしねえよ。誰だか知らねえけど、あっち側の奴だってんなら纏めてやっちまえ。要は俺に邪魔が入らなきゃそれでいいんだからな」
『了解しました』
「……………さてさて。闘ってられる時間だけならもって二十分、悪くて十分ってとこか? ケハハ、全力疾走だなこりゃあ」
 携帯を長髪に隠れた耳から下ろし、黒いダッフルコートの男が一人、紫村の「世知辛さ探索器」の範囲外から行動を開始する。
「待ってろよぉ不運満載君。いや、不運っつうからには向こうから来てくれたりして? ケハハハハハッ!」


 響が動き出した頃、その不運の申し子は。
「あ、しまった。体操服忘れてきちゃった」
「ええー? 千秋、今更あ?」
 水野がぶら下げる手提げ袋。その中身も同じく体操服なのだが、言われた通りに「今更」それに気付いた緑川は、同時に自分の体操服が入った袋が机の横にぶら下がったままだという事にも気付いた。
「ごめん澄ちゃん、先帰ってて。取りに戻らないと」
「うー、仕方ないなあ。それじゃあお先にね、千秋」
「うん。ばいばい」
 ややつまらなそうにしながらも、水野は緑川に背を向けて歩き始めた。
「赤達はー?」
「一緒に行ったほうがいいー?」
 残るはこちらの二人だが、水野が去った今ならば会話もできる。当然、周囲の下校生に不審がられない程度の配慮は必要だが。
「赤ちゃんと青くんも、先にボクの家に行ってて。行って戻るだけだからつまらないだろうし。――あ、ボクの部屋に上がっててくれていいよ」
『はーい』
 手を繋ぎ、余った手を揃って挙げるという可愛らしい二人の様子に癒されながら、緑川は「じゃあ後でね」と軽く手を振り、来た道を引き返すべく踵を返す。

 自分を狙うコートの男が下校ルートを目指して疾走中だとは、知るはずも無く。

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