「ところで、お前達のほうはもう済んだのか?」
『ん? ああ、うん。叶くんが五人纏めてあっさりとね。あいつら院内まで入ってきたからさ』
 黄芽が逃走する修羅二名を仕方なく追っているその頃、自宅前の敵をシルヴィアに預けて緑川の保護に向かう金剛は、走りながらも携帯電話で灰ノ原と連絡を取っていた。万が一どこかで緑川とすれ違った時の事を考え、灰ノ原は緑川宅の前で待機している。
「そうか」
 桃園の活躍を耳にして、しかし特に驚きはしなかった。院内まで入ってきたという事は桃園達の戦闘場所は室内であり、室内であるうえに相手が実力不足なら、桃園の鬼道はそんな結果を出して当然のものだからである。
「その桃園は、今一緒に居るのか?」
『いんや、病院に残ってもらってるよ。黒服達を地獄に送らなきゃだしね』
「という事はお前また、車椅子のまま一人でそこに……。ほとほと便利な鬼道だな、お前のも桃園のも」
『これはこれは、お褒めに預かり光栄だね。――で、あとどれくらいで付く?』
「もう一分も掛からん」
 雪の降る中金剛は通学路を走り続け、しかしここまで緑川に会う事がないまま、もはや学校の正門は目の前である。
「まだ部活動なんかで人は多いようだが……仕方ないな」
『仕方ないね』
 フェンス沿い。外側から眺めるグラウンドではサッカー部の活動が行われており、金剛と同じ道を野球服で全員丸刈りな男児の列が走っている。一般の幽霊ならともかく公職の名のもとに動いている鬼達は、いらぬ混乱を避けるためにも普段は人の多い所にあまり近付かない。どこに緑川のような「幽霊が見える人間」が紛れているか分からないからである。
 だが、家を出てからここまでに会わなかったという事、そして灰ノ原が待つ自宅にも現れていないという事は、緑川は校内である。入らないわけにはいかない。金剛は野球部であろう男児の列をあっさりと追い抜き、正門へ辿り着くと、立ち止まる事無くその中へ走り入るのだった。
「しかし二年だというのは知っているが、どの教室なのかまでは分からんぞ」
『僕もだよ。黄芽さんなら知ってるかね? という訳で連絡してみ――』
「いや待て、出て来た」
『あれま』
 ここまで来れば道沿いに進む事もないか、と金剛が適当な壁をすり抜けて手近な校舎内へ進み入ろうとしたその時、昇降口から男子用の制服が似合わない男子が出てきたのである。あれが緑川でないわけがなかった。
 もう少しで校舎内に入って見逃すところだった、と内心胸を撫で下ろしながら、金剛が緑川へ歩み寄る。一方で緑川のほうはまだ金剛に気付いていないらしく、ただ真っ直ぐ前を向きながら手に下げた袋状のものをぶらぶらさせつつ、校門へ向けて歩を進めていた。
「おい、緑川」
 ――と、金剛が呼びかけたその時。
「居ぃたああああああああああああ!」
 後方から、奇声とも取れるレベルの大声が響いた。それはあまりにも高ボリュームかつハイテンションであり、声だけでは一体どのような感情が表現されているのかすら読み取れない。聞きようによっては歓喜の雄叫びにもなれば、また別の聞きようによっては怒気を孕んだ絶叫にも。
 しかしどちらにせよ関心を惹かれるのは同じであり、金剛は、そして緑川も、その声の側へ目を向ける。
「マぁジであっさり見付かったぞおい! ケーッハッハッハッハーーーーーッ!」
 そこに――いや、そこと言うにはやや距離のある正門の向こう側に、その男は立っていた。大口を開けて不快に甲高い声で笑う、黒いダッフルコートに長髪の男が。
『ねえ、何か変な声――』『――金剛さん、すぐ傍に反応です。場所は高校の校門前』
「ああ、目視した」
 灰ノ原の通話に割り込み、紫村から報告が入る。明らかに怪しいあの男を、まるでそこに居ないように素通りして校門から雪崩れ込んでくる野球部員達を見る限り、間違いはなさそうだった。

 そしてその野球部員達の列が、緑川の横を通る。
「おーす千秋ー」
「何やってんだ帰宅部がこんな時間にー」
 先頭の号令に合わせた規則正しい足音に乗せて、同じ学年の友人が声を掛けてきた。この時間になって部活動に所属していない緑川がまだ学校に残っているのは、会話の種になるという程度には不思議な事なのである。
「……あ、いやあ、忘れ物しちゃって」
 校門の向こうで叫んだ人物に気を取られていて反応がやや遅れたものの、擦れ違い様に返事を返し、たはは、と頭に手を当てる緑川。
 そして知人が通り過ぎると、それに続くのは顔も知らない、もしくは顔を知っていても特に親交のない者達。
「え、あれ誰すか? 女?」
「バッカおめー男だっつの。二年の有名人だよ」
「制服見ろよ、男もんだろ」
「……え、マジすか?」
「あれで?」
「惚れんなよぉ一年ども」
「ネタにしてもマジにしても倍率高いぞー」
「い、いやあ……」
「それはさすがに……」
 ざっくざっくざっくざっくざっくざっく。
「あうう」
 野球部員の列、その最後尾の背中を見送りながら、情けない声を上げる緑川であった。

「マジのほうの倍率が高いって、そんなわけないじゃないさあ。ネタも嫌だけど」
 緑川の愚痴を聞き届けてついつい不憫に思ってしまう金剛であったが、今はそんな事を言っている場合ではない。修羅が、しかも紫村の「世知辛さ探索器」に掛かったという事は臨戦態勢にならざるを得ない相手が、すぐそこにいるのだ。
「おい、緑川」
「え? あ、金剛さん」
 どうやら緑川は、今の今まで金剛の存在に気付いていなかったようである。そこで金剛、自分の年齢等基本スペックを省みて、緑川の注意力のなさに呆れるほかないのだった。
 ――自分で言うのもなんだが、俺は目立つほうだと思うんだがな。場所が高校だし、体格もこれだし、肌も黒いし、それに……。
「おいそこの変な格好の筋肉ダルマ! お前どう見ても鬼だろ!」
 そらやはり普通はこうなのだ、とついつい敵側へ感心してしまう。がしかし、その言い分全てに納得できるわけではない。つかつかと歩み寄る黒コートの男に、緑川の前に立ち塞がるよう移動しながら、その納得できない部分を切り返す。
「その通りだが、変な格好というのは解せんな。目立つと言うのなら頷かざるを得ないが」
「日焼けした筋肉ダルマが袴姿でフライパン持ってりゃ充分変だろが」
 大声を出さずとも声が通る位置――およそ十メートルと言ったところだろうか――まで近付いた黒コートは、せせら笑うような調子で金剛の服装及び手に持っている物をあくまで変だと指摘。憮然とした表情でそれを聞く金剛の背後では、緑川が顔を背けて少し噴き出していた。
 日焼け。正確には地黒である。
 筋肉ダルマ。正確である。
 袴姿。正確には神主衣装である。
 フライパン。正確には焦げ付きを抑えるテフロン加工品である。
「この格好は俺の実家が神社だからだ。それにフライパンは形からして使いやすい」
 もう少し詳しく説明するなら、神主衣装のほうはシルヴィアのお気に入りだからでもあり、フライパンが使いやすいというのは武器としてである。金剛本人からすれば神主衣装もフライパンもそれなりに理由があってのものなので、組み合わせの可笑しさまでは考慮していないのであった。
「はあ。まあいいけど、もちっと分かりやすい武器持てよ。こんなふうな」
 何かを諦めたように息をつき、男がトレンチコートの懐を弄る。そこから出てきたのは、明らかに市販のものより二周り以上は大きいだろうという、大型のナイフであった。
「見た目が物騒だろう、それだと」
「身体つきからして物騒なくせに何言ってんだ」

 世間話でもするかのように物騒な話をする二人。後ろでそれを見ていた緑川は、当然表情を強張らせる。金剛の事を「鬼だろう」と、そして武器だどうだと言って刃物を取り出して見せたこの男は、明らかに――。
「緑川。今からここでこの男とやりあう事になるが、できるだけそこを動くなよ」
「おー、そりゃいいアドバイスだ。間違って怪我させたら俺が上にどやされるしな」
 金剛は振り返らず正面の男を睨んだままそう言い、男のほうは金剛の向こうから緑川を充血した目で覗き込みながら気味悪く笑い掛けてきた。
 それを知らされた途端から、緑川は「動くな」どころか動きたくても動けなくなってしまう。
「その前に一つ訊くが、お前が『響様』か?」
「お? そうそう、ひびき峡慈きょうじ様だぞ。でもなんで名前――そっか、下っ端の誰かに吐かせやがったな? それでお前がここに先回りできたんだな?」
「先回りと言っても到着はお前とほぼ同時だったがな。……では、お喋りはここまでにしておこうか」
「オッケーだぞ筋肉ダルマ。ケハハ、その身体、切ったらどんな感触なんだろうなあ?」

「チョンマゲ!」
「ゴザル!」
 シルヴィアの呼び掛けに返事、と言うより口にできる唯一の台詞を返し、侍人形が黒服へ突進する。その短い両の手で、五十センチという身の丈とほぼ同等の長さを誇る、「長刀サオダケ」を斜め下段に構えて。
 そしてチョンマゲの後を追うようにして自身も駆け出したシルヴィアは、
「アーミーはソノ場で援護!」
「……………」
 M16A4Sを斜めに構える無口な兵士人形に命令を下すと、人形は返事の代わりにその銃口を目標の黒服へ向ける。
 残り一人。金剛がこの場を離れてから人形一体も欠ける事無く二人倒したシルヴィアは、最後の標的に人形二体、そして自身の武器であるヌンチャクとともに最後になるであろう進攻を開始した。
 恐れの感情が先頭に来てしまっているとは言え、黒服も黙ってそれを見ているわけではない。震える手を強引に力で抑え込み、得物であるナイフ――響のそれより小型ではあるが――を、シルヴィアに向けて右手に真っ直ぐ構える。どうやら、その前後の人形二体は無視する腹積もりらしい。
 だが、破裂音。正確には音速を超えた弾頭が発する小規模なソニックブーム。黒服はナイフを兵士人形の狙撃によってどぞこへと高速で吹き飛ばされ、その衝撃にナイフを構えていた右腕を後方へ流され、シルヴィアに体の前面を晒す形で体勢を崩す。
 そしてその直後、黒服の右足の脛から膝へ掛けて斜めに抜けるように、侍人形による切り上げが入る。服は裂け、肉も裂け、骨にも達しているであろうその傷口から、血が吹き出す。そして黒服は顔を歪め、膝をつくようにその場へ体を崩し始めた。が、
「うリャああ!」
 落とし始めた膝が地に付く事はなかった。最後の一撃、ぐるぐると円運動をしていたシルヴィアのヌンチャクが遠心力を全て乗せたうえで崩れ落ちつつある黒服の顎を捉え、そのまま体ごと跳ね上げたのである。
 めぎ、とあまり心地の良くない音が響き、サングラスを宙に舞わせ自身も一瞬だけ宙に浮いた黒服は、そのまま受身も取らずに後方へと転倒。それだけでもかなり痛みを伴いそうなものではあったが、
「いよっシ! こレで全部終わリ!」
 着地前からもう意識は飛んでいたので、黒服がその痛みを感じる事はなかった。

「いい加減にしやがれこのグラサンハゲがああああ!」
 黄芽、未だ全力疾走中。学校からはぐんぐんと遠ざかり、ぐんぐんと不満を募らせたその結果、最早その形相はまさに鬼なのであった。ちなみに黒服、サングラスは掛けているものの、禿げてはいなかった。
 前方を逃げ続ける黒服は一人。もう一人には逃げられた――のではなく、彼は黄芽に気絶させられたうえで襟元を掴まれ、うつ伏せに近い体勢でズルズルと引っ張り回されている状況である。もし意識があったのなら彼にとってこれは、拷問に近いような扱いであったのだろう。
 逃げ続けていた一人が捕まった経緯。その時、現在は捕まっているほうの黒服は、逃げている間に恐怖心が薄れてきたのかそれとも他に何か意図があったのか、突然足を止めて黄芽に立ち向かったのである。もう一方の現在も引き続き逃亡中の黒服は、そんな彼の行動に足を止めはしたものの、ただ振り返ってその場に立ち尽くすだけであった。
 追いかけているそのままの勢いで走り寄りつつ、大金棒を振り上げる黄芽。
 それに対し、明らかに頼りない大きさしかない刃物を構える黒服。
 勝負は、二名が交差した瞬間についてしまった。
 黄芽は自身へ向けて突き出されたナイフをまるで「のれんに腕押し」と言わんばかりに軽々と押し返し、勢いがまるで衰えない大金棒を、そのまま黒服の顔面に打ち付けたのである。結果サングラスは粉砕され、その場には数本の歯が舞い、骨折したのだろう、冗談としか思えない量の鼻血が噴出。しかし黄芽はまるで構わず擦れ違い様に黒服の後ろ襟を掴み、そのままもう一人目掛けて走り続ける。引きずられる黒服が流す鼻血は、アスファルトの地面に赤い線を描いた。

 そして現在。黒服の鼻血は止まりかけて――と言うより枯れ果てかけているのだが、一方黄芽の血は頭に昇ること最高潮である。
「埒があかねえっつのクソったれ!」
 一応、策はあるにはある。だがそれは、やり直しが効く類のものではあるが、一度失敗して相手に意識されてしまえば以降の成功率はほぼゼロだと言っていい。つまり結局は一発勝負。しかもそもそもの一発目にしてもあまり成功させる自信はなく、できれば少しでも成功率の高い状態、黒服が動きを止めるという場面で使いたい。しかし相手が逃げている最中である以上、そんな状況はそう滅多にやってこないであろう。
 その状況が訪れるのを待つか、今ここで一か八かの掛けにでるか。黒服の一人目を確保してこの策を思い付いた時から、黄芽はずっとそう悩んでいた。そしてその事が、ただでさえ斜めになっている彼女の機嫌をより急角度にしているのであった。
 ――でも、いくらなんでももう限界だ。荷物も増えて重ってえし。もうここらでやっちまうか?
 と早まりかけた、その時。
 十字路に差し掛かった黒服が、なんと足を止めたのである。
 横を向いた黒服のその先からやってきたのは、車。そして黒服の居る位置を通過。しかし、修羅である以上は当然幽霊である黒服が撥ねられる筈もなく、自身の存在に気付きもせず体をすり抜けていく普通乗用車に、彼はただその場で固まっていた。
 要するに彼は轢かれもしないのに「轢かれる」と思ってしまい、驚きのあまり体が硬直してしまったのである。
 そして、その瞬間を今の今までずっと待っていた黄芽が見逃す訳もなく。
「うるああっ!」
 黒服へ、黒服を投げ付ける。ついでに金棒も投げ付ける。コントロールに自信がないなら単純に試行回数、つまり球数を増やせばいいのだ。白井はこういう事が得意なのだが――という考えは、負けたようで気分が悪く、あまり考えない黄芽であった。
 投げられた勢いのままに手足を投げ出す黒服は枯れかけた鼻血で空中に花を咲かせ、見事な軌道で逃げていた側の黒服に覆い被さった。その接触の直前まで仲間が飛んできている事に気付いていなかった黒服は、声を上げる暇すらなく、飛んできた仲間ともつれ合うようにしてその場に倒れ込む。そして次に飛んできた大金棒は、どちらかの腿へ圧し掛かった。
 もつれ合っているうえに同じ黒服で、その圧し掛かられた腿がどちらのものだかは判断がつけ辛かったが、
「ぎゃあっ!」
 悲鳴が上がったという事は、意識のある側の足だったらしい。ちなみに「投げ付けた」はずの相手に「圧し掛かった」という事が示す通り、見事にすっぽ抜けかつ大失速な大失投あった。が、
「おお、当たった当たった」
 何はともあれ二投して二投とも命中。想定以上の首尾の良さに、それまでの怒りを一気に静めて満足そうな笑みを浮かべる黄芽であった。

<<前 

次>>