雪は未だ降り続いていた。そして雪以外のものも降り始めていた。響のナイフによって大小様々に切り飛ばされる、金剛の武器の一部である。
「ケハハハハ! 頑張るじゃねーかおい!」
「仕事だからな」
 ナイフで切り飛ばされる傍から氷の鈍器を修復させ、その武器を怯む事無く振るい続ける神主衣装の鬼。
 氷の鈍器を修復される傍からナイフで切り飛ばし、その武器を嬉々として振るい続けるダッフルコートの修羅。
 緑川が見る分にその闘いは、相手と闘うと言うより相手の武器と闘っているように見えた。言うなれば、スポーツ剣道の演舞のような。……と言って、実際にそれを見た事があるわけではなかったのだが。
 しかし、そうなってしまうのも無理はない。なんせ一方は常人離れした豪腕から振り下ろされる鉄のような硬さを持った氷の塊であり、もう一方はそんなものを易々と切断する切れ味を持った刃物なのである。どちらも一撃必殺、お互いに触れる訳にはいかないのだ。
 ……もっとも、そう判断した緑川自身からすれば威力や切れ味などと言う武器のステイタスに関わらずそれが凶器である時点で、触れたいとは思わないのだが。
 そして二人が切り結ぶ事暫らく。と言っても響が鬼道を使い始めてから二、三分ほどしか経過していないのだが、緑川にはそれがとても長い時間に感じられていた。
 そしてその現実と乖離し始めた時間の中、金剛が不意に口を開く。「何故お前はそんなに楽しそうにしている?」と。
「あぁ!? これが面白くなくて何が面白いっつうんだよ!」
 加減をしている事もあってか、背後からとは言え時折覗く金剛の顔は無表情。対して響はこれまでの大半がそうであったように、そしてそれまで以上に、その顔を「楽」の感情に歪めるのであった。充血した眼を見開き、にやついた口は歯を剥き出しにし、その歯が開けば漏れてくるのは攻撃に際する掛け声とそれ以外での笑い声。
 それらは緑川が響という人物を異常者、とまではいかなくても「どこかおかしい人」と評するのには充分な材料だっただろう。もっともそれ以前に、鬼と相対している時点でまともな人間ではないのだが。
「お前だって幽霊なら分かるだろ!? 普段がどれだけつまらねえか! この世のもんじゃなくなって! それでもこの世に残って! 何しろっつうんだよああ!?」
 金剛の「楽しそう」という言葉に反応してか、それとも戦闘という行為によって感情が高ぶっているのか、笑った顔のままではあるものの、唐突に声を張り上げる響。見方によっては武器を振り回しながら冷静な口調のままな金剛のほうが妙だったりもするのかもしれないが、少なくとも緑川には、その冷静な金剛との対比によって「響が突然怒り始めた」ように見えた。
 しかし繰り返すが、響の顔は笑ったままである。笑ったままで怒鳴りながらナイフを振り上げ、金剛の鈍器を少しずつ切り崩し、少しずつ切り払い、少しずつ切り落とす。
「突然怒鳴るな暑苦しい」
「ハッ!」
 自身の問い掛けに対して不機嫌そうに文句を垂れただけの金剛を一笑、響は話を続ける。
「そこに持ってきてお前ら何だ!? 正義の味方!? バッカじゃねえのか!? んな事して誰が褒めてくれる!? 存在すら知られてない俺ら幽霊が! 誰に認められるっつうんだよ!」
「……俺達が褒められるためにこんな仕事をしているとでも? ふざけるな悪党」
 響が緑川の前に現れてからここで初めて――そして最初で最後でもあるのだが――金剛の口調に不機嫌さが混じる。
「じゃあ何だ! まさか湧き上がる正義感ってやつかあ!? それこそふざけんじゃねーよボケが! 何もねえ俺らがそんな何もねえもんに乗っかれるかってんだ!」
「察しの通りそんなわけがないな。言っただろう、俺の善人ぶりは模倣でしかないと」
「それだよ! 誰だか知らねえけど真似なんだろ!? その程度のもんなら捨てちまえ!」
 一進一退、いやそれどころかまるで進みも退きもしない攻防の中、彼等はそれに合わせたような進歩も退歩もない話を続ける。
「死にたくなるぐれえ自由なとこに何でそんな軽そうな理由で動けんだよテメエは!」
 しかし響がそう問い掛け終わった直後。それまで繰り出されるナイフの回転速度に合わせて小振りめに鈍器を振るっていた金剛が突如、脇から横へ大きく振り抜く一撃を放つ。それまでは鈍器の直撃を避けつつも合わせてナイフを繰り出していた響であったが、これにはさすがに手が出ないか、二、三度跳んで後退するのみに留まった。
 結果、またも二人の距離が離れ、そして金剛が答える。
「それが俺の生き方だからだ。後付けだがな」
 足を止めて体勢を立て直す響へ堂々と。迷いや陰りといった言葉とは一切無縁な、ひたすらに真っ直ぐな言葉であった。
「ケハハ。生き方っつって、死んでるくせにな」
「ふん」
 向けられる軽口を一笑に伏し、
「ならお前はどうなんだ」
 ここまでの質問責めを纏めて返す金剛。
「どんな背景があってお前はこんな事をしている。どんな背景があれば修羅なんぞになれると言うんだ」
「特別にはねえな。理由なんざ」
 答える側になっても尚、響の笑みは絶えない。
「無理にこじつけるなら暇だったからってとこか? 暇潰しに力を手に入れてみたら意外と他より強くなって、組織の結構上のほうに置かれたってな話だな」
「随分と適当な組織だな。腕があればその他は不問か」
「ん? 俺の予想じゃお互い様ってとこなんだけどなあ。どーよ、鬼」
 響が鬼という集団の事をどこまで知っているのか、当然ながら緑川は把握していない。ある程度知ったうえでの嫌味じみた物言いなのかもしれなければ、本当にただ何の材料もなく予想しただけなのかもしれなかった。
 だがそのどちらであったにせよ、緑川は反発を覚える。事情を知っていれば誰から見ても悪人である響と事情を知っていれば誰から見ても善人である金剛を比べて、「そんな事があるわけないだろふざるな馬鹿野郎」といった方向性の感情を持つのだった。
 ――だが。
「まあ、否定はできんな」
 当の鬼である金剛は、緑川の考えに反してそのような返事。肩透かしを食らった気分の緑川であったが。
「しかし俺達には理由がある。わざわざ確認を取った訳では無いが、恐らくは全員で共通した『鬼になった理由』がな」
「ほう? さっき正義感かって訊いたら違うっつってたよな。何だよその理由って」
 鬼である理由。今目の前にいるコートの男のような危険人物と関わらなければいけないような仕事を続ける理由。それが正義感からでなくて何なのか、緑川にも分からなかった。確かに鬼達、特に黄芽などは普段、仕事を面倒がっている。彼女の性格なら気に入らない事はさっさと投げ出しそうなものだが、それでも彼女は鬼であり続けている。
 ――鬼全員に共通。それって一体、何なんだろう? どんな理由なんだろう?
「お前が知る必要はない。説明しているところを想像すると虫唾が走る」
「けはは、嫌われたもんだ」
「好きになれとでも言うのか悪党」
「無理だよなあ、やっぱ」
 金剛がこの場で言ってくれるのなら、鬼を友人に持つという立場上是非知っておきたいと思った緑川であったが、その金剛の相手が相手であるために叶わず。ならば事が済んだ後に尋ねてみるという手も考えられるのだが、
「それでいい! 嫌いまくって戦り合って楽しませてくれりゃあそれでな!」
「友達いないだろう、お前」
 果たして事が済んだ後に金剛がものを尋ねられる状態であるかは、無事であるかは、そう願いたいとは言えそうであるとは断言ができないのであった。
「その余裕面、そろそろ引っぺがしてやらあ!」
 そう言うからには今までの進展のない攻防とは違った動きを見せるのか、しかし特に目立つところもなく右手のナイフを左肩の辺りに構え、ただ踏み込み始める響。それを確認してから、金剛も腕を上げて氷の塊を体の正面へ持ってくる。
「うらあ!」
 気合と共に、響のナイフが斜めに振り下ろされる。そしてこれまで通り、金剛の武器へ易々と食い込んでゆく。結果、やはりこれまで通り、切り飛ばされた金剛の武器の一部が宙を舞う。ここまでの流れをその目に納めた緑川は、その常人では在り得ない速度に脳の反応速度がついていかないとは言え、これまで何度も何度も何度も何度も繰り返された動きが再び繰り返され始めると思った。いや、瞬間的な事であるが故に、考えたと言うよりは感じたと言ったほうが正しいか。
 とにかく彼の予想はそういったものなのであったが、
「ぬっ!」
 金剛が声を上げる。と同時に彼の武器を持っていない側、つまり左手が振り上がり、そして振り下ろされた。懐へ飛び込んだ響を目掛けて。
 緑川から見た限りでは、懐へ飛び込んだ響が武器も振らずに何をしたのかは分からない。だが金剛の拳を避けて懐から脇へ体を逸らせた響は、その左手で金剛の右の二の腕を、袖捲りでもするかのようにして掴んでいた。ただそれだけだった、とも言えるのだが――
「ぶっ壊れろ!」
 忘れていたのだ。緑川も、そして金剛も。「ナイフの切れ味を上げる」という副次的な効力が目先をちらつくばかりに、響の鬼道の大元、つまり「触れたものを振動させる」という効力を。特注のナイフでなければそれ自身が振動に耐え切れず壊れてしまうという、響本人が語った話を。
 ただの人体の一部でしかない金剛の腕は、当然ながら特注のナイフとは違う。
「……ぐ、ぬぅっ!」
 空の灰色。降る雪、積もりゆく雪の白。淡い淡い風景の中に、濃い赤が突如、現れる。
「ケッハッハァッ! これが『ターミネイトビート』本来の使い道だ!」
 振動によって破壊された金剛の右腕が、到る所から血煙の赤を噴出させたのである。と言って「噴出」と言うほどの勢いは出始めの一瞬だけであったが、それでも辺り一面に赤をばら撒くには充分であった。
 当然そんな状態の右腕で武器を握っていられる筈もなく、その氷の塊は力の入らない右手から抜け落ち、ごすんと音を立ててアスファルトの地面を打ちつけた。氷の透明とフライパンの黒が合わさったその武器自身、金剛の血にまみれて。
「ん? 手ぇ離れても氷は残るのか。俺のは触れてる間だけだってのにそりゃ便利だなぁおい」
 透明と黒と赤の塊をしげしげと見下ろし、同じく返り血に染められた響は興味深げに。
 しかし次の瞬間にはもう先程までの笑みを再起させていて、
「あのまま握り潰すのもアリだったんだけどな、お前の腕」
 振動によってナイフの切れ味を増す、とは言っていたものの、厳密に言えばそれは間違いである。切れ味が増すのではなくナイフから振動が伝わった「切る対象」が脆くなっているのであり、特別製でないとナイフが壊れてしまうと言うのは、振動によって脆くなるからなのである。
 つまりあの瞬間、響が金剛の腕を握って鬼道「ターミネイトビート」を発動させた瞬間、常人離れした修羅の握力をもってすれば、彼の言う通り脆くなった金剛の腕を握り潰す事ぐらいどうという事もなかったのである。――だが。
「でも使えねえもんがぶら下がってたら邪魔だろ? 千切れて無くなるよりは。ただでさえぶとくてゴツくて邪魔そうな腕だもんなあ、ケハハ」
 響の笑顔は初めて彼がここに現れた時と変わらないものであった。が、緑川の目にはより凶悪に、より邪悪に映る。それはその顔の左半分が血に染まっているという外見上の理由もあるのだろうがしかし、その笑い飛ばしている話の内容にも原因があるかもしれなかった。恐怖渦巻く緑川の心中では、それを認識する事さえ困難であったが。
「……心配するな緑川。これくらいは屁でもない」
 そんな緑川の混乱極まる胸中を察したか、血の滴る右腕をだらりと下げた金剛は、それでも普段通りのやや無愛想な顔をしていた。当たり前だが腕は痛むだろう。そしてだからこそその顔は、こちらの心配を削ぐための作り物であったのだろう。
 ――どうして、そんなに。
 自分の声だとは思いたくないような劣悪極まりない感情が、否応なく湧き上がる。こんなものは自分を守るために闘い、そして見るも無残な傷を負い、それでも尚こちらを励ましてくれている人物に向ける感情ではない。緑川は制服の胸の辺りをきつく掴み、唇を噛み、そんな考えを必死で抑え込んだ。
「強がり、ってわけでもねえんだよな? 本っ当最高だよお前は」
「気分は最低だがな。腕がこれではあいつを抱けん」
「抱く? なんだ女の話か? んなもん腕一本ぐれえでへこたれんなよでっけえ体しやがって」
「血に濡れた手でそいつに触れるのは禁じている。その血が他人のものであれ自分のものであれ、洗って落とそうが何だろうが、その日の内はな。例外はあいつから触れに来た時だけだ」
 話を聞いた響の笑みに陰りが生じる頃、緑川は顔を赤らめて気まずそうにそっぽを向いていた。こう見えても男子――いや、ここまでくると性別は関係無いのかもしれないが、「抱く」というのがただ抱き締めるという意味でない事も、抱かれる「あいつ」が誰なのかも知っている緑川からすれば、そういう反応を示してしまうのは仕方のないことなのかもしれなかった。もちろん個人差はあるのだろうが。
 響が返す。
「んだそりゃ? 見掛けによらずロマンチストなのかお前? 流行んねーぞ今時そんなの」
「流行りなど知った事か。お前も言っただろう、俺達は世間から隔絶されているとな。それにあいつは今の俺の全てだ。俺の中の世間において、あいつを汚すものは何人たりとも許さん。それが自分の血液でもだ」
 響の笑みが完全に消え失せ、恥ずかしいものでも見るかのような呆れ顔に。そこでようやく気になったのかコートの袖で血濡れの顔を拭きながら、響は言う。
「『愛してるよー』ってかぁ? うーん、ちょっと点数下がったぞお前」
 金剛が返す。
「夫が妻を愛してどこが悪い」
 威風も威風、堂々も堂々であった。
 それを受け、緑川は考える。
 日常生活でも血を流す事はままある。一般的な部類で言うなら転んで膝を擦り剥く、と言ったところだろうが、まさかそんなところにまで今のルールが適応されるという事はないのではないか。金剛がシルヴィアから遠ざけたいのは血そのものではなく、今ここで繰り広げられているような争いなのではないか。――金剛とシルヴィアは、仕事が無ければただの夫婦。その場にまでこんな非一般的に過ぎる状況は欠片でも持ち込みたくない、という事なのではないか、と。
 もちろんそれは推測でしかないのだが、もしこの推測が当たっているのならばそれは響の言うようなロマンチストでも何でもなく、極々当たり前の感情なのではないか、とも。
 ――誰だって、落ち着ける場所にわざわざ嫌な気分になる話を持ち込んだり、しないもんね。
 緑川がそう考えている間に、金剛はその堂々とした言い様に合わせて右腕の袖を肩まで捲り上げ、すると機能を失っていた血まみれの右腕がその付け根から丸ごと氷に覆われ始める。次第に現れる氷の所々に流れる血が混ざり込み、出来上がった氷のギプスとも言うべきそれには、赤い筋が何本か閉じ込められていた。
「止血のつもりか? それ」
 確かに血は止まる。それは間違いなかったがしかし、金剛はふんと鼻を鳴らし、氷のギプスの上から袖を降ろした。
「武器を握れないのなら武器にすればいい、というだけの話だ。幸い肩関節までは達しなかったようだからな、お前の鬼道は」
 響の顔が、再び気味の悪い笑顔に。
「なるほどな。――やっぱ握り潰しときゃ良かったか、こりゃ失敗だ」
 フライパンに氷を張った鈍器が駄目なら、腕そのものを鈍器にすればいい。その話を聞いた緑川は、状況に圧倒されてはいたものの、当然残った左腕でフライパンのほうを拾い上げると思っていた。
 が、だらんと垂らしたままの状態で右腕を氷漬けにした金剛はしかし、その右腕が落としたフライパンに目もくれない。自身の失策を嘲るように笑み続ける響に相対した金剛の左腕は、ただきつく握り拳を作るのみであった。
「一度血に濡れたのならどこまでいっても同じ事だ。もう武器は要らん」
「素手でやるってのか? おいおい、いくらなんでも嘗め過ぎ――」
 一瞬驚いたような顔になる響であったが、そしてそれは緑川も同じような心境であったが、
「――いや、そっちが本気って事か」
 瞬間、驚きを収め、笑みをも収め、声を低くし、響は緊張とも取れる表情へ。
「そういう事だ。お望みの全力で行ってやる、感謝しろ」
「ケハハ、感謝してやるよ。……女絡みって怖えな」
 ぼやくように呟きながら右手のナイフを体の前に構えると一拍、すう、とその息遣いが聞こえてくるような間を置き、
「ありがとよ女ぁ!」
 見も知らない女性へ礼を言いながら、響は進攻を開始。相手が射程距離に入るまでに時間は掛からなく、即座に右手のナイフを持ち上げ始める。
 しかし、金剛の動きは違った。その場から足を動かさず、氷の塊と化した右腕を胸の前で横にすると、そのまま横方向へ振るった。と言って響はまだその腕が届く範囲におらず、ならば当然腕は、それに続いて神主衣装の腕から垂れるような形状をした袂は、空を切る。
 目が慣れてきてなんとか動きを掴めたとは言え、意味の分からない行動。それ故に緑川は背筋が凍る思いであったが、
「ぬぐおっ!?」
 響が声を上げ、その足が止まる。何が起こったのか……いや、何も起こっていないはずなのだが、その「止まり方」を見る限りはどうやら顔面に何かしらの衝撃を受けたらしい。響は顎を引き、眼を閉じていた。
 何が起こったのか緑川には分からないが、とにかく響は怯んだ。一瞬とは言え眼を閉じさえした。金剛がそれを黙って見ている筈もなく、ここぞとばかりに響との五歩ほどの距離を詰める。一気に、体格から想像もつかないような俊敏さで。
 体勢を崩したままの響は、堪らず後ずさる。だが、常識的に考えて後退と前進なら前進のほうが速度が出るのは当たり前。その常識通り、金剛は易々と響を射程距離に捉えた。
「こなくそぉ!」
 無言で振り抜かれる左腕をあまり華麗とは言えない体勢でかなり危なげに回避し、半ば無理矢理に反撃を試みる響。間合いもタイミングも合っていないそれは――と言っても緑川にそこまでの判断はできないのだが――それでも一応金剛の左腕を捉え、浅いながらも傷を加える。
 が。
 金剛はまるでそんな掠り傷など知った事ではない、とでも言わんばかりに氷付けの右腕を肩関節の力のみで以って振るい、響の側面から直撃させる。結果として響は木っ端の如くに吹き飛ばされ、短く声を漏らし、しかしそれでも右手のナイフは離さず、体を捻って地面に降ろした足の力だけで踏み止まった。
 その空中で体勢を立て直す動きは緑川からすればアクロバティックとしか言い様のない見事さであったが、それもまた金剛には関係がない。自分で吹き飛ばした相手をすら追跡し、血の流れる左腕を振り上げていた。
 素人ではあるものの、緑川から見て圧されているのは明らかに響。だがその響はそれでもこれまでの笑みをそのまま継続させており、
「ケッハッハァ!」
 笑い声を上げてさえいた。
 吹き飛んだ先へ金剛が到達するまでの正に「あっ」と言う間。その僅かな時間に――いや、空中で体制を立て直したあの動きからそこまでが一連の動作だったのかもしれない。響は再び構えを作り上げ、踏み込んでくる金剛を万全の体制で迎え撃たんとしていた。
 振り下ろされる金剛の拳。
 そして交差する響のナイフ。
 血が舞う。血と共に金剛の左拳が、その手首から切断されて宙を舞う。
「ん、これまでか」
 緑川の耳に届く。敗北を察した――
 響の声が。
 リーチを削り取られ空振った左腕に引き続き、氷漬けの右腕が振り下ろされる。足を踏まれて動きが取れない響の、にやついたままのパーツを含むその頭部目掛けて。

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