第二章
「表裏一体。……とはいかないものよ、案外ね」



「あの方達が、ですか」
「ああ。今のところおかしな様子はないが、さっき伝えた通りだ。注意はしておけよ」
 一週間半前の廃ビルから舞台は移り、現在の廃病院。かつては待受けロビーであったフロアで傷みの少ないソファを一ヶ所に集めながら、桃園は小声で金剛と話していた。
「言われるまでもなく」
「はは、お前ならそうだろうな」
 何の色味も含ませない、ただただ素早いだけの返事。いつもと変わらない桃園のそんな様子にその厳つい顔を苦笑の形へもっていく金剛だったが、しかし逆に彼のそんな様子を目に留めた桃園の方はというと、
 ――シルヴァーマンさんがパートナーだと大変ですね。
 などと思ってしまうのだった。もちろんそれはシルヴィアを小馬鹿にしているというような意味での話ではなく、金剛とシルヴィアの普段の様子をなぞっているだけのことではあるのだが。
 そして、それはともかく、である。
「騒がしいですね、ここのところ」
 現在はシルヴィアが話し相手をしている二人――金剛が携帯電話で話してきた「妙な二人組」を離れた位置から一瞥しつつ、桃園は抑揚なく呟いた。
「まったくだ。交代制の俺達はまだいいが、紫村は特に大変だろうな」
 二週間前に緑川が求道・穂村姉弟に襲われた事件を皮切りに、次の週には多数の黒服の男によって鬼達の住居が攻め立てられ、その隙を突いて響による再度の緑川への襲撃、そして今週は動物の頭を叩き潰して回っていた板梨の出現に、今回の二人組である。
 狭く穏やかなこの街でこれほどに事件が立て続けに起こるのは稀にも稀なことであり、その度に不愉快極まる悪意を感知してしまう紫村には、二人揃って同情を禁じ得ないところなのだった。
「それで、あの二人ですが」
 思うことこそあれ、肝心の紫村はこの場にいない。ならば優先すべきが今ここにある問題なのは間違いがない筈なのだが、しかし金剛から再び苦笑を向けられてしまう桃園であった。
 金剛のその表情が訴えようとしていることが分からないわけではない。ただ、人間それぞれ物事の捉え方が違うだけだ。いつもの如く無意識的にそう事態を整理し、桃園は話を続ける。
「女性のほうが愛坂真意を名乗った、ということに間違いはないのですね」
「ああ」
 それは、一週間半前に聞いた名であった。黄芽と白井の話では――厳密にはあの求道の話を又聞きした、ということになるのだが――なんでも、化け物を作り出し、その化け物に殺された女性だとか。
 しかし、
「名乗っただけだがな」
「ということでしたね」
 それは何も彼女を信用できないというだけの話ではなく、その彼女自身が自分の口でそう言ったのだった。
 自分は愛坂真意を名乗っているだけの別人だ、と。
「何がどうなってるんだかな」
「まったくです。仕事が多いのは歓迎ですが」
 仕事が多くなることを歓迎する。
 誤解を受けそうな表現だということは分かっているが、しかし金剛をはじめとする同僚達が今更こちらの意図を取り違えるということもない。なので桃園は思い付いたままを脚色なく口にし、
「こうなってくると、俺達もお前と灰ノ原を見習うべきなのかもな」
 そして金剛は引き続き苦笑い、である。
「そこまでは言いません。それに、少なくともシルヴァーマンさんに似合う思考だとは思えませんね」
 普通ならば仕事は少ないほうがいいと考えるのだろう。それは何も楽だからという話でなく、鬼としての仕事が少ないということは、周囲が平和だということの表れだからである。
 だが桃園と、そしてそのパートナーである灰ノ原は、仕事の対象になるような人物について「どうせそこらに潜んでいるならさっさと出てきてもらいたい」と考える。単純な話、さっさと出てきてもらえればさっさと出てきてもらえた分だけさっさと仕事が終わるのであり、つまりはさっさと周囲を平和にすることができるのである。
「……まあ、な。はは、我ながら過保護すぎるような気もするが」
「過保護だからこその金剛さんとシルヴァーマンさんだと思いますけどね」
「お前から言われると反論する気もなくなるな。――さて、これで人数分だな?」
 五脚目のソファを移動させながら、金剛が改めてシルヴィア達へ目を遣る。自分と桃園で二人、シルヴィアと怪しい客人二人で三人、計五人。確認するまでもない確認ではあったが、とにもかくにもこれで準備完了である。
「皆さん、こちらへどうぞ」
 怪しい二人組ではあるが、だからと言って今の時点から懐疑的な物言いをすることはないだろう。なので桃園は丁寧に、しかしやはり抑揚のない声で、シルヴィアを含む三名をコの字に配置した五脚のソファへと招くのだった。
 左右の辺には二脚ずつ、挟まれる辺には一脚のみ。それぞれの辺に客人二名、金剛とシルヴィアの二名が座り、そして桃園自身は挟まれる一脚へ。
「ではまず、お名前から。既に聞いてはいますが、念のため」
 通常ならばそれは本題に入る前のいわゆる前置きになるのだろうが、しかし今回はそうではない。そして桃園はその前置きではない話題へ、前置きであるかのように淡々と進み入るのだった。
田上たがみ行一郎こういちろう っていいます」
 外見は中学か高校生くらい、と言ったところだろうか。低めの身長でかつ活発そうな顔付きの少年が、まずはそう答えてくる。こちらは特に問題としてはいないのだが、取り敢えずは金剛から聞いた通りであった。
愛坂まなさか真意まい といいます」
 問題としているほう、赤いジャージに短めで手入れをしていないようなボサついた髪、そして眼鏡という出で立ちの女性が答える。田上と同じく、こちらも金剛から聞いた通りであった。無論、だからこそ問題なのだが。
「まあ、そう名乗っているだけの別人ではあるんですけどね」
 自身がこれから尋ねられようとしていることが何なのかは、理解しているのだろう。わざわざそう付け加える愛坂真意を名乗る誰かであった。
「本当の名前は明かせない、というのも既に聞いている通りなのでしょうか」
「ええ。愛坂真意を名乗る別人がそこらをうろついているという話は、あまり広まって欲しくないですから」
 広まって欲しくないと言う割には、別人であることを自分から言ったりしてもいる。が、まさかこれが「ついうっかり」などという話であることはないだろう、と桃園は考えた。恐らくは桃園でなく誰であっても、そう考えるところであろうが。
 桃園は、愛坂の様子を窺ってみる。眼鏡の奥、その微笑んでいる表情に対して気だるそうな眼からは、やはり失敗を犯した焦りのようなものは読み取れない。ならば訊いてみるまでである。
「少なくとも私達の中ではこれで広まってしまいましたが、それはよろしいのですか」
「ええ。なんたって鬼さん方は悪人を遣り込める方々なんですし、本物の愛坂真意と思われて私が遣り込められちゃったんじゃあ、元も子もないですからね。……まあでも、鬼さん方の中ではそう広まっていない名前だったようですけど」
 というのは恐らく、初めて金剛とシルヴィアに名前を明かした時の様子についてを言っているのだろう。一週間半前に黄芽と白井から聞いていた名前とはいえ、何しろそれだけのことである。そう大したリアクションは取れなかった筈なのだ。
「危険人物の名が広まっていないというのは喜ぶべきことだと、私は思いますが」
 いるのならさっさと出てこいと考えるのは、これまでと変わらない。が、一般的に考えればこうなる事も、理解してはいた。その名が広まるような事件が起こっていない、ということになるからだ。
 愛坂も「そうですね」と口元の笑みを強くするばかりであった。
「あなたが愛坂真意の名を騙っているその目的は、何なのでしょうか」
 見当が付かないこともないが、尋ねるべきことではある。そもそも何故彼女らが鬼にコンタクトを取ってきたのかも疑問ではあるのだが、話の流れからしても、まずはこちらだろう。
「彼女の所業が繰り返されるのを避けるためです。彼女本人であれ、他の第三者であれ、この名前に釣られて私のもとへ来た人物は――そうですね、成敗させてもらいます」
 冗談めかした物言いなのだろう。言い終えた後にくつくつと笑う愛坂であったが、しかしそれでも彼女の眼は気だるそうな色のままであった。
 そして笑みも納まると、やはりその眼のままで問うてくる。
「ちなみに、愛坂真意の所業というのがどういったものかは、ご存じで?」
「いいえ。教えていただけると幸いなのですが」
 全く知らないというわけではなく、ある程度はやはり黄芽と白井から聞かされている。
 が、所詮はある程度でしかなく、しかもその情報源が情報源であり、ここで首を縦に振るほどの確実性はないと、桃園は即座に判断した。加えてもう一つ、目の前の「愛坂真意」はまだ信用するに値しないという面についても。
「現在どこで何をしているかは分かりませんが、彼女はとある組織に属する研究員でした。その組織というのが物騒な研究ばかりしている集団で、そんな中で彼女が研究していたのは、人工の霊についてだったんですけど――」
「人工の霊、ですか」
 桃園は、空気が震えたように感じた。その発信源は金剛とシルヴィア、それにマスターだったのだろうが、自分はそうならなかったにせよ、そうなる気持ちはよく分かる。
 人工の霊。突拍子もなければ常識外もいいところな言葉であったが、そんなものを作ろうとすることそれ自体がいかに常軌を逸した行動なのかは、研究者とやらでなくとも誰にでも分かろうものだからだ。
「はい、人工の霊です。しかも単にそれだけではなく、物騒な研究ばかりな組織の中でのものということで……そうですね、そこの金剛さんを縦にも横にも倍にしたような、そんな筋肉の塊だったんですよ、生み出された怪物は。それでも一応、人の形はしていましたけどね」
「そんなものの例えにさらっと登場させてくれるな」
 話の中身よりも金剛としてはそこが真っ先に引っ掛かったようだったが、しかし冷静に考えれば、とんでもない話であった。ただでさえ一般人を遥かに凌駕した体格の金剛が縦に倍、更には横にまで倍になったとすれば、それはもう人の形をしていようが何だろうが、怪物呼ばわりも止む無しである。
「人の形はしていた、と仰いましたね。まるで自分で見たというような物言いですが」
「ええ。なんせ私、その怪物に殺されたんですから」
 ――さすがに、笑顔で言うようなことではないのでは、と思う。実際に笑顔で言ってしまっているうえ、それでも相変わらず気だるげな眼は相変わらずなままなので、判断に困りはするが。
「生きている頃の私は、幽霊が見えていたとは言ってもそんな組織のことどころか幽霊が本当に存在するってことすら知らなかったのに、たまたま近くを通りかかっただけで巻き添えですよ? 酷い話ですよ本当」
 事実だとすれば、疑う余地もなく酷い話であった。
 幽霊はその外見だけを考えた場合、そうでない人間との区別は付かない。なので幽霊が見える人間も、それが幽霊だと知らない、そもそも幽霊が実在することを認識していない、ということが殆どである。そこへ突然常識外の怪物に襲われて命を奪われたとなれば、それが無残な話であるかどうかなど、考証する以前の問題である。
「――というわけで、個人的な感情もそりゃあ込めて、この名前を名乗ってるわけです」
 それはまあ、そうなのだろう。込めないというほうがおかしな話である。見た目にそうは見えずとも。
 するとそここで、名前を名乗った以外ではまだ一度も口を開いていなかった田上少年が、意外なことを伝えてきた。
「ちなみに愛坂さんの本当の名前、俺達も知りませんよ」
 田上も彼女の本当の名前を知らないということはもちろん気を引くが、もう一つ。
「俺達、ですか」
 この場には見ての通り、金剛とシルヴィア(とマスター)を除けば愛坂と田上以外に来訪者はいない。が、それにも関らずの複数形である。
「はい。今回この街に来たのも、ここにお邪魔してんのも、その俺達の集まりの中での事情からですし」
 生意気そうな顔付きの割にはまだ丁寧に喋れるほうか、というのが彼についての桃園の感想であった。無論、それは顔付きに左右されるようなことではなく、そもそもこの場面で重要視すべきことがらでないということも、分かってはいるが。
 田上はそのまま、しかし苦々しい表情になりながら、言葉を続ける。
「板梨、なんですけど。ついさっき捕まったっていう」
 ここで出てくる名前だとはまさか思っていなかったのだが、しかし金剛が溜息を吐いていた。彼らがそれを話すのは二度目になる、ということなのだろう。
「……あいつを修羅にしたの、俺らんとこなんですよ。この街に来たのはあいつを止めるためだったんですけど、俺らよりも早く鬼さん達が捕まえちまって――だから、そのお礼を言いにここまで」
「もちろん、謝罪もですけど」
 大きなところから小さなところまで、やけに事情を絡め取って結び付けていく二人だった。
 桃園は、それを問題が纏まって好都合だと捉えるべきか複雑になって面倒だと捉えるべきか、少し考えてみることにした。

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