第三章
「働かざる者食うべからず。と、それは別に重要ではないんだけどね」



「本物の『愛坂真意』が入ってた危ねえ組織ってのも、気にはなんだけどよ――」
 黄芽と白井への、愛坂と田上についての諸々の情報。桃園がそれを手短かつ的確に纏めて済ませたところ、以前廃ビルで聞いた――心情としては「聞かされた」というほうが正確なところではあるのだが――「本物」についての話もあって、黄芽はまず眉を寄せてみせる。
 が、しかしそれはひとまず後回しにしておき、件の二人組にこう尋ねた。
「お前等の方は、結局どういう集まりなんだ? 本物の愛坂真意を追っ掛けるために集まってんのか?」
「いえいえ、それは私の個人的な話でして」
 即座に返すは愛坂真意。「本物の」という言葉に対応させるならば、こちらは「偽物の」ということになる。
 ……本人はもちろん、周囲の様子から見ても、同じ説明を二度繰り返したというふうではなかった。ということはつまりこれまで誰も今の質問をしなかったということになるのだが、それに対して黄芽は、自分達が到着するまで先送りにしていたんだろう、と考える。特に桃園と金剛の二人はその辺り、きっちり仕事をし通すタイプだと評価していた――逆に言えば残りの二人、灰ノ原とシルヴィアがそう評価し難い、ということでもあるのだが。
 ――上手い具合にペアになってるもんだよな。今更だけど。
 そして今更であろうがそうでなかろうが、今すべきはそんな話ではない。偽物の愛坂真意は、返答の先をこう続けてきた。
「私達は『六親』という……組織というほど大層なものでもないんですけど、でもまあ、組織ですね。そこに属しています」
「で、何する集まりなんだそれ? 悪さだってんならわざわざこんな、鬼を集めたりはしねえだろ」
「もちろんです。悪さをする組織を相手取っている組織、ということになりますね」
 そう言われて思い出す話がなかったわけではない黄芽ではあったが、しかしここでその話を持ち出す必然性があるわけではない。どころか、確保したばかりの不審人物にそんな情報を漏らしていいわけがなく、なのであの思い出すだけで機嫌を損ねかねないにやけ面を掻き消しつつ、
「悪い奴の敵が良い奴だとは限らねえぞ」
 とだけ。
「そこは信用して頂くしか。もちろん、今の状況からして無理のある話だということは、承知していますけど」
 相も変わらず気だるそうな目のまま、加えて口元を僅かに微笑ませながら喋る愛坂であったが、そこまで話すと更に少し、笑みの度合いを強くしてみせた。
「とはいえ六親は現状人員も少なく、組織としては――いや、なんか照れ臭いですね自分で組織とか言っちゃうのも――組織としては、弱小もいいところです。なのでどのみち、鬼さん方を相手取るような真似はできませんよ」
 信用させるための媚びやへつらい、というわけではなさそうだった。隣で苦々しい顔をしている田上を見る限り、どうやらそれは真実であるらしい。
「ん? じゃあ――もしかして、だけど」
 灰ノ原が割って入った。何か思い付くことがあったようだが、しかしそれを尋ねる前に、手元にあった茶を一口。
「うん、今日も美味しいよ叶くん」
 もちろんそれに返事はなかったが。
 ちなみにそのティーカップ、ちらりと確認してみるに中身は既に半分以下なのだった。今の一口でそこまで飲んだとは思えず、なので「口付ける度に言ってんだろうな」と黄芽は内心で溜息を吐く。そしてその溜息という行動のせいなのだろう、隣の眼鏡の顔が浮かんで消えた。というより、浮かんだので消した。
 かつん、とティーカップを受け皿に乗せる音。
「今日捕まえた板梨ってさ、人増やすのために迎え入れた新人とか、そういうこと? 一人だったし自分勝手だしで、あんまり『正義の組織の一員です〜』みたいな感じじゃなかったし」
 そう問われて苦虫を噛み潰したような顔になったのは田上のほうだったのだが、しかしそれでも、口を開くのは相変わらず愛坂であった。それまでずっと湛えていた笑みを多少歪め、しかしそれだけでもありつつ、
「お恥ずかしい話ですが、そういうことです」
 と。
「恥ずかしいって?」
「その結果が今回の失態ですし、それに……こっちは私達の中での話なんですけど、反対もあったところを押し通したんですよ。増員については」
「ほほう」
 灰ノ原はにやけ面を更ににやけさせる。すると、彼がそのにやけ面からどんな質問を投げ掛けようとしているのか見当が付いたのだろう、愛坂は質問されるまでもなくこう答え始めるのだった。
「今この場にいる私と田上くんで言えば、私は賛成、田上くんは反対でした」
「他のメンバーは?」
「秘密です」
「だよねえ」
 気だるそうな目はともかく、灰ノ原に合わせるかのように微笑む愛坂。一方で隣の田上が組んだ手を固くしているのを見て、黄芽は口元を緩ませてしまいそうになった。分かり易いな、と。
 人のことを言えた義理ではない、というのもないではなかったが――と、それはともかく。
 迎え入れたばかりの新入りという話ではあったにせよ、犯罪者を出してしまった組織。通常であればそれに関する質問に対して「秘密です」などと、黙秘権というものがあるにせよ軽々口にできる言葉ではないだろうし、黙秘される側も軽々とそれを受け入れられるものではないのだろう。
 が、しかし。
 その辺りについては、この世の警察とあの世の鬼の立場の違いが現れるところでもある――「知らなかったでは済まされない、では済まされない」。この世の人間がどうあっても知り得ない「あの世の法律」に基づいて動いているという事実は、黄芽達に限らず全ての鬼が常に考慮していなければならない案件なのであった。
 ――現場からすりゃ悩みの種みてーなモンだけどな。
 板梨の行動が六親なる組織のそれと合致したものであったなら、つまりは六親なる組織それ自体が「悪」であったのなら、ここでその話を持ち出してくる必要もなかったのだろう。歯痒さを味わう黄芽ではあったが、しかしそれは自分に限る話ではなく、なのでこれ以上引きずりはしないでおくことにした。
 悲しいかな慣れてしまった話でもある――と、せっかく自力で気を取り直したその途端のことであった。
「賛成反対がどうであっても、こうなった以上は控えざるを得ませんけどね」
「お気の毒です」
 そんな遣り取りの最中に揃って笑みを浮かべていた愛坂と灰ノ原両名に対し、そこは少しぐらい残念がる場面だろう、と黄芽はむしろ自分が残念そうな顔になってしまう。
「そういう台詞くらいは真面目な顔で言ったらどうですか」
 思うだけだった黄芽とは違い桃園が声に出して指摘すると、金剛がその太い首で首肯してみせた。
 言ってどうなるものでないというのは愛坂と田上以外全員が認識しているし、その愛坂と田上にしたところでそろそろ気付いているのだろうが、わざわざ声に出して指摘するのは桃園と金剛くらいのものである。
「や、こりゃ失敬。生まれつきとまでは言わないけど、性分なもんでして」
「いえいえ、お気遣いなく」
 それにしたって愛坂は馴染み過ぎだ、と黄芽は思うが、まあそういう人間なのだろうなと。今しているメンバー増員がどうのという話も合わせて考えれば、どうも愛坂はお人良しであるらしい。シルヴィアなんかとは気が合いそうだな、とも。
 ――いやあいつのことだ、もうとっくにそうなってるのかもな。ベアがあれだし。膝の上だし。
「人数増やすよりも前に、俺ら自身が強くなりゃいいんですよ。それで足りないってんならそこで初めて増やしゃいいわけで」
「というのが、田上くんの意見なんですけど――」
 気の抜けた遣り取りへの苛立ちが募ったか、田上がそれに準じた口調で意見を述べる。するとそれにやんわり続いた愛坂は、
「鬼さん方の意見を聞いてみたいですね、その辺りについて」
 話をこちらへと向けるのだった。
「意見って……強くなるったって、お前らも修羅なんだろ? 板梨っての追っ掛けてたんだし。じゃあもう充分だろ」
 順当に考えれば、返答するのはここまで会話をしていた灰ノ原だったのだろう。だがそれも順守すべきようなことではなく、なので黄芽は、思い付いたことをそのまま口にした。
 それこそ順当に考えて、修羅だったという板梨を止めようとしていたこの二人が修羅でないわけがなく、ならばそれだけでも「強さ」は折り紙付きである。自分達も同様に折り紙付きである、というだけで。
「では……黄芽さん、でしたね? 修羅になっただけの素人である私達と、修羅同等の力を持ちかつ経験豊富なあなた方。強さが同じだと思います?」
「好きで経験豊富なわけじゃねえよ。なんて、まあ確かにその通りだな」
 ――そこまで考えなきゃなんねえとこ相手取ろうとしてんのかよ、こいつらも。
「でもまあそれも、お前らが本当に素人だったらの話なんだけどな」
「でしたらしてみましょうか? お手合わせ。すぐ分かっちゃうと思いますけど」
 そんな台詞を挑発的でなくこれまで通りの口調で言ってしまう辺り、少なくとも舌戦については素人以上であるように思える黄芽なのだった。続けて、いや自分が素人以下なだけか? とも。
「勘弁してくださいよ黄芽さん、こんな所で荒事なんて」
「言ったの俺じゃなくてこいつだろ眼鏡」
「この場だけで眼鏡掛けてるの三人もいるんですけど……」
 白井が自分を除いた眼鏡二人、灰ノ原と愛坂に目を遣ると、
「はーい眼鏡二号でーす」
「三号でーす」
 その二人が手を上げた。
「とは言っても度が入ってない、どころかレンズからして入ってないんですけどねこれ。ほらほら」
 言いながら愛坂は、レンズがあるべき部分に人差し指を突き通してみせてくる。
 だから慣れ過ぎだろ、と思わされる黄芽であった。ちなみに、笑っているのは愛坂本人を除けば灰ノ原とシルヴィアだけである。同行者の田上ですら苦笑止まりであった。
「冗談はさておき」
 やや満足げな表情で、愛坂が仕切り直す。田上は溜息を吐いていた。
「さっきお話しした『悪さをする組織』っていうのがこれまた、修羅を大量に抱え込んでるんですよ。大量も大量なんで、どうせ正面からぶつかれる相手ではないんですけど……しかしどうであれ、こちらの戦力を増強してはおきたいところなんですよね」
「なんもしねーで大人しくしててもらうのが一番なんだけどな、俺らとしては」
「あはは、確かにそりゃそうですよね」
 ――逆に言って、よっぽどのことしねえ限り俺らが動けねえって知ってるんだよな、こいつら。ここでこうして正義の味方気取ってるってことは。
「ちなみに、そのやたらデカそうな『悪さをする組織』ってなあ何てとこなんだよ? 俺らのほうで手ぇ付けてるかもしんねえぞ」
 協力をするという意味ではもちろんないが、愛坂の言う通りに悪事を働くような組織であるなら、むしろ鬼が手を付けていないほうがおかしい。知った名が出てくるのではないかと質問をしてみた黄芽であったが――。
「『享楽亭』って、ご存知です?」
 つい最近、とてつもなく腹の立つ相手から聞かされたのと、それは同じ名称であった。
 ――お前らもかよ。
 そして案の定、白井の溜息がその言葉に続くのだった。

『おかえりなさーい』
「おう、ただいま」
 部屋にいるのは三人だが、返事をしたのは二人だけ。ならばつまり、ということで、
「おうおう、こっちはまーだへこんでんのか」
 残る一人の傍へ歩み寄り、うつ伏せになったままの彼を真上から覗き込む黄芽だった。
「へこんでまーす」
 その彼、つまり緑川は、掲げた手をひらひらさせながらそんなふうに。顔も床にへばり付かせたままだったので、声がこもっているのもそのままである。
 それでも、冗談交じりな返事ができている分だけまだマシになってはいるのだろう。自分のことながら、他人事のようにそう判断する緑川であった。
「ま、寝てるもんだと考えりゃ同じだな」
「ここ、緑川さんのお部屋ですわよ? もう少し遠慮なさったらどうなんです?」
「真っ先にコタツに入ってる奴に言われたかねえよ」
「ふん。修治さんの場所を確保しただけですわ」
「また黒淵さんの隣ですか、僕」
 自分が原因であるとはいえ、この状況を考えると黒淵の言い分が正しいと、緑川にもそう思えた。だがしかし、黄芽がそういう人物だということは初めから知っているし、そういう人物であるということを悪く思っているわけでもない。正直なところを言えば、むしろ心強いとすら。
 もちろんそれは黄芽に限った話でなく、黒淵の心遣いとこちらに触れてこない白井についてもそれは同じなのだが……だからこそ、なのかもしれない。
 ――要するに、自分一人でウジウジしてるだけなんだよねえ。
「いいじゃありませんか修治さん、減るものではないのですから。――うふふ。修治さんでしたら、例え減るとしても構いませんけどね」
「何が減るんですか……」
 などと渋い顔をしながらも、結局黒淵に逆らうことなくその隣へ腰を下ろす白井。それに対して黒淵本人がにこやかなのは当然として、黄芽は呆れと苛立ちが混じったような表情である。
 しかしそんな黄芽とは対照的に、つまり黒淵と同じように、赤と青は楽しそうであった。黒淵のそれが恋愛感情というものであること、加えて一方的なものであることも理解はしていないのかもしれないが、しかしだからこそ、表面的であれ白井と黒淵が仲良くしていることを嬉しく感じているのだろう。
 ――などと、落ち込んでいることをアピールして顔を伏せておきながら、だというのにそれら周囲の表情だけは確認している自分を、可笑しく思う緑川であった。
 気分が軽くなってきている……収まる時にはこうもあっけないものかと、そんなふうにも思わされながら。

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