「恥ずかしくなってきますね、今から思い返すと」
「ん? 何が?」
 基本的に十人を下回ることはない地区毎の配属状況の中、たった六人しかいないというこの地区の鬼。彼ら全員(と見るからに只者ではないらしい黒ドレスの女性)との面会を終え、田上は愛坂とともに帰路に就いていた。
 愛坂はあの廃病院を出てすぐに煙草を吸い始め、十分ほど歩いた現在で、既に三本目に達している。
 吸殻は携帯灰皿に収めているのだが、歩き煙草の時点でマナー違反といえばマナー違反ではある。が、それをわざわざ指摘する田上ではない。
「真意さんが落ち着いて話してる隣で、俺だけ苛立ってましたし」
「あらいいじゃない、落ち着き払ってるばっかりなのも印象悪いわよ?」
「まあ、そういうのもなくはないんでしょうけど……謝りに行ったわけですし」
 田上としては自分と愛坂の間においてのみの話をしていたつもりだったのだが、愛坂はそうは受け取ってくれなかったらしい。それほど意気込んでの話題ではもちろんないが、しかしいくらか、気勢を削がれてしまうのだった。
「面白い人達だったわねえ。仮装大会みたいで最初はちょっと怖かったけど」
「真意さんでも怖いものってあるんですか、やっぱり」
「もちろんあるわよ、それくらい。何言っちゃうのかしら、あたしみたいなか弱い女の子捕まえて」
「……すんません」
 当たり前の質問をしてしまったことを、やや後悔した。しかし、当たり前の質問だったという反省しておいてなお、愛坂のその答えが意外であった。
 まだ行動に出てはいないということで、大きな組織に敵対する小さな組織、つまりは「享楽亭」に敵対する「六親」としての厄介事には、まだあまり遭遇していない。
 だが、修羅の集団である。
 そのことだけでも危ない橋は何度か渡る羽目に陥っており――板梨の件はもちろんのこと、先程までの鬼との対話だって危険がないかと言われればそうではなかっただろう――しかしそんな中で、愛坂はいつもこの調子なのだ。気だるそうな眼差しに、うっすらとした微笑。どんな時でも、彼女はこうだった。
「そこの二人、ちょっと足を止めてもらえないかな?」
 どんな時でも、である。
 前方に少々肉付きのいい女性が立ち塞がり、それを合図にしたかのように後方からも――仮装大会の続きだと言わんばかりな――ぱっと見ただけでは目も口もすっかり塞がれている純白の仮面を付けた人物が現れてもやはり、愛坂の表情は相変わらずなのだった。
 ――顔見えねえけど、スカートだしあっちも女か。つうか前見えてんのかあれ?
「あら、どちら様? 待ち伏せか尾行でもされてたのかしら、いきなりこれっていうのは」
 表情を変えず、咥えたままの煙草を声に合わせて上下させながらそう言う愛坂に、やや肉付きのいい女性はくすくすと笑い返す。
「いやいや。偶々遠くから見掛けて、そこの相方に急いで背中側へ回ってもらっただけだよ。俯瞰してみると中々情けない」
 どうしていきなり和やかな雰囲気なのかと眉を寄せる田上であったが、しかしそれはひとまず気にしないことにしておき、顔だけでなく身体ごと振り返って、背後の仮面を付けた女と向き合ってみる。
 何の動きもなかった。両手もだらんと力なく垂れ下がっているだけで、今すぐ何かしらの行動を起こすつもりではないらしい。二人で挟み込むような格好にしておいて、ただ話がしたいだけ、なんてこともないとは思うのだが……。
「で、何なんだよお前ら」
 そう尋ねてはみたものの、返答は正面の――田上からすれば背後方向の、やや肉付きのいい女性からであった。
「『享楽亭』というところの者だよ。ただし、入社試験中だけどね」
 ――享楽亭!……の、入社試験中?
 社でいいのか、という疑問も浮かばないではなかったが、もちろんそれどころではない。自分達が相手取ろうとしている組織の者が、あちらからやって来たのだ。こちらにまだ行動に出る意思がない以上、率直に言ってこれは緊急事態である。
 ……のだが、しかし。
「まあ、だからと言ってやることは変わらないんだがな。私達は依頼者からの依頼をこなすだけだ」
 依頼者からの依頼をこなす。つまりこれは組織として自分達を叩きに来たというわけではなく、通常業務の一環としての行動であるらしい。もちろんまだ早計ではあるが、しかし安堵を隠せはしない田上であった。
 すると彼のそんな様子に対して、
「そっちの君の反応からして、享楽亭のことは知っているのかな?」
 と、肉付きのいい女性は言う。当然それは失態と捉えるべきであろう展開であり、ならば言葉を詰まらせるほかない田上ではあったのだが、するとそこへ「残念ながらねえ」と愛坂が。
「で、あたし達は誰のどんな依頼でこんなことになっちゃったのかしら?」
「誰の、というのにはもちろん答えられないんだが……愛坂真意、あんたを捕まえて連れて来いって依頼だ」
「人違いじゃありません?」
「だったら良かったんだがね。『愛坂真意が既にこの世に存在しないというならそれでいい』なんて言われたわけだし。存在しなけりゃ楽に済んだのに、顔も名前も幽霊だってことも一致してしまうと、なあ?」
 ――顔も。「本物」の顔を知ってる……ってことか、こいつら。向こうから声掛けてきたんだから当たり前っちゃ当たり前だけど。
「あらあ」
 胸の内に浮かんだものが熱かったのか冷たかったのか、自分のことながら田上は判断しかねていた。するとその隣では、愛坂がこう呟いてみせる。いつもの調子で。
「めんどくさいわねえ」
 めんどくさい。それはやる気になった瞬間に発せられる、愛坂の言わば口癖であった。
 聞き慣れたその言葉を耳にして田上は気を引き締めるが、同時に彼女らの目的が「愛坂真意」であり「六親」でないことに安堵を覚えたのは愛坂も同様なのだろう、とも。
 今の時点で享楽亭に六親の存在を知られたとなれば、押し潰されるのは必至。一方で今目の前に、そして依頼者としてその向こうにいる「愛坂真意を目的とする相手」は、この場にいる愛坂の目的そのものなのである。
 六親が一切関わらず、愛坂真意にだけ絡んだ話。突然降って湧いたこの事件は、良過ぎると言っていい程に都合の良いものなのだった。
「依子」
 仮面の女の名であろう。肉付きのいい女性がここで、田上と愛坂越しに相方へ呼び掛けた。
「はい、智代さん」
「享楽亭を知っているうえでやる気らしい。ということは、愛坂本人も修羅になっているとみて間違いないだろう。相手が複数だったらという約束通り、私も加わるぞ」
「二人くらいならわたしだけでも」
「依子」
「……分かりました。でも、無理はしないでくださいね」
 ――何だこいつら?
 その遣り取りから上司と部下のような関係なのだろうか、と田上は思ったが、しかし彼女らは先程の自己紹介において、入社試験中の身であると言っていた。であれば当然、役職上の上下関係などありはしないだろう。
 なら親分と子分みたいな? と続けてそんなふうに考えてもみる田上ではあったが、気になるのはそれだけではなかった。
 不気味だった――その風貌から白い仮面の女についてはもちろんなのだが、肉付きがいいほうの女についても、田上は不気味さを感じていたのだった。少し聞いただけのその声に、そしてそれ以外にもおかしい点は見当たらず、故に彼女を不気味だと感じる理由は、彼自身にも分からなかったのだが。
 そしてそのことが更に、不気味さを強めてもいるのだが。
 ……とはいえ、どちらも気にしたところで仕方のない話ではある。なので田上は結局、これらの話を横に置いておくことに。
 そして直後には一転、ほくそ笑んでみせもするのだった。
 ――二人くらいなら自分一人で何とかなる、ねえ。
「あら、にやにやしちゃって。まあ分かるけどね、何考えてるかは」
「ですか。ですよね、そりゃあ」
 ここまでの短い遣り取りから連想されるようなことは、そう多いということはない筈。ならば、同じことを考えているというのは間違ってはいないのだろう。
「にやにやしちゃって」いた田上がそう考え、更に口の端を釣り上げたところ。愛坂は咥えていた煙草を携帯灰皿に押し込んでその携帯灰皿ごと尻ポケットへ突っ込んでから、こう言葉を続けるのだった。
「でもその前に、もう一つ考えておきたいわねえ」
「え? 何ですか?」

「何ですか? 話って」
「いや……な。その前に、なんか凹んでたのはどうなったんだよ」
「それはその、なるようになったというか」
 ついさっきまでは皆一緒にコタツの中でぬくぬくとしていたのが一転、自宅の玄関先とはいえ、雪景色の只中。話があると黄芽に連れ出された緑川は、それまでとの温度差に体を縮こまらせていた。
「わざわざ外に出たってことは、青くんと赤ちゃんに聞かせられないような?」
「まあ、そうだ」
「それがわざわざボクにだけってことは、求道さんの?」
「……そうだ」
 眉間に皺を寄せる黄芽。もしかしたら求道さんに「さん」付けをしたことがそうさせているのかもと緑川は思ったが、しかしそんなことだったら黄芽のこと、即座に文句を付けてくるだろう。となれば、
 ――悩んでる、のかな。
「言おうかどうかずっと迷ってたことがあんだよ。でもオレや白井が迷ってたってどうにもなんねえし、だからいっそお前に決めてもらうことにした」
「ボクに?」
「ああ」
 肯定。しかしそれは半ば溜息に近いようなものでもあり、ならば思った通り、黄芽は悩んでいたようだった。悩んでいて、悩むことを諦めた、というような。
「十年前、お前が求道に何されたかが分かった。聞きたいか聞きたくないか言ってくれ」
「え? そ、そんないきなり……え?」
 ――言ってくれ?
 相変わらず語気は強いが、しかしその言葉は、黄芽に相応しいものではなかった。いつもならば間違いなく命令口調で「言え」である。
「聞きたいか聞きたくないかって言われたら、もちろん聞きたいですけど」
 突然の質問ではあったが、それについては大した問題ではない。突然であろうがそうでなかろうが、それに対する返事は同じだからだ。
 しかし、そしてだからこそ大した問題となってくるのは、
「あの、きつい内容だったりするんですか?」
 という点なのであった。なんせこの黄芽にこんな口調をさせているわけで、ならばどれだけ不安がっても足りなさそうだ、と。
 黄芽は、頭に手を当てた。
「きついっつうか、よく分かんねえんだよ。話がぶっ飛び過ぎててなあ。……いや、それが自分のことだってんだから、お前からすりゃきついことなんだろうけど」
「はあ……」
 見事なまでの生返事であった。それ以上もそれ以下も、どういう感想を持てばいいのか、分からなかった。
「ともかく、聞かせてください」
「分かった」

「六親番の二!《名称拝承》愛坂真意!」
「り、六親番の三!《独断軍団》田上行太郎!」
 ――恥ずかしい!
 愛坂が言っていた、「もう一つ考えておきたいこと」。それは、名乗りを上げるかどうかということであった。
 これまでにも何度かこういったことの経験はある。が、それでも未だ慣れられず、なので未だにちょっぴり――いやかなり、羞恥心に苛まれる田上であった。今名乗ったばかりの肩書きを考案した本人である愛坂は、これまで通りにノリノリであったが。
 ――こういうとこ子どもっぽいよな、この人。嫌いじゃないけど。嫌いじゃないけど恥ずかしいけど。
「六親……? ふむ。生前身を置いていた組織からは消えていたようだが、別の組織に入っていたとは意外だな」
 智代さんと呼ばれた女は、顎に手をやり興味深そうにそう言った。もちろん彼女からすれば「愛坂真意」はただ依頼主から連れてくるよう言われただけの人物であり、ならば興味を持ったところで何がどうなるというわけでも、何をどうできるというわけでもないのだろうが……。
「組織って程ご大層なもんじゃないんだけど――でもそれはともかく、一人でぶらぶらしてるほうがよっぽど意外なんじゃない?」
「ははは、確かにそうかもな。研究者というからには、設備やら協力者やらが必要なんだろうし。……えー、六親? と言ったか? ならばまた、というかまだ研究は続けているということか」
 研究。
 こちらの愛坂の目的は、愛坂真意の名前に釣られる者、つまり化け物を作り出したというその「研究」に惹かれる者を事前に潰すことである。ならばそこへ「愛坂真意が六親に属している」という情報を流せば、こちらから出向かずともあちらから出向いてきてくれるようになる。
 ということもあって今の、田上としては恥ずかしい名乗りを上げることになったのだが……しかしもちろん、六親が享楽亭に仇なす組織であることが露見していないからといって、ここで六親の名前を出すことに危険が全く伴わないというわけではない。だがそれは田上、のみならず六親の全員が納得していることなのであった。
「その六親がどういう集まりなのかはご存じかしら?」
「知らないし、興味がないな。私達の目的はお前個人だよ、愛坂真意」
「それは重畳。ね? 田上くん」
「ですね」
 これで享楽亭において――「入社試験中」という立場が、そういう扱いに適うものなのかどうかは定かでないのだが――唯一六親の存在を知ることになったあちらの二人にとって、六親は「享楽亭とは無関係な、ターゲットが所属しているだけの組織」となったのである。
 下手をすれば、無関係という関係性すら浮かんでいないかもしれない……なんせあちらとしてはまず間違いなく、六親は「愛坂真意の研究」を続けるための組織だと、そんなふうに解釈するほかないのだ。ここまでに出した情報からでは。
 ――怖いことしますよ、本当に。
 安堵もある。だがそれだけでない微笑を田上が浮かべていると、これまでこちらへの応答を引き受けていた肉付きのいい女が笑い、そして呟くように言う。
「目的。目的、か」
 目的。
 その言葉は彼女自身が発したものであり、つまりは独り言である。こちらが修羅だということは把握している以上、荒事は避けられないというこの状況で。
「まあそれはいい。それよりも、名乗られたというならこちらからも名乗り返さなければな。依子、それでいいか?」
「智代さんがそう仰るなら」
 ――こいつはこいつで返事しかしてねえし、やっぱ何か気味悪いなこいつら。というか、仮面なんて付けてたら名乗っても意味ねえんじゃ? むしろわざわざ顔隠してるのに普通に名乗るのか?
 という田上の考えも虚しく、仮面の女は仮面を外す素振りを見せないままである。少々肉付きがいい女も初めからそれは理解しているらしく、待つ様子も見せないまま名乗り始めるのだった。
「入社試験中ではあるが……享楽亭、定道さだみち智代ともよ だ」
「同じく、荒田あらた依子よりこ です」
 少々肉付きがいい女、定道。仮面の女、荒田。定道は直立したままであったが、荒田は懐から透明な液体が入ったペットボトルを取り出していた。
 何をする気かは分からないが、ここまでの遣り取りからしてあちらも修羅なのだろう。であるならばああいった「よく分からないもの」は、これもまたほぼ間違いなく、鬼道が関係するのだろう――。田上はそう考えたし、田上でなくともそう考えるところである。ならばもちろん、事ここに至ってもいつもの表情のままでいる、隣の愛坂も。
 そうして四人全員の名乗りが終わったところ、次に訪れたのは開戦の合図であった。
「さあ!『目的』を果たそうじゃあないか!」

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