第二章
「自業自得。でいいのかな、この場合」



「うわー! すごーい! そっくりー!」
「赤と青よりそっくりだねー!」
 という二つの明るい声が響いたのは、緑川家の玄関先。
 緑川が抱える「自分への苛立ち」から誕生した――と、少なくとも本人はそう語ってみせた――彼にそっくりな男性、千春。その特異かつ重々しい背景を思えば違和感を拭い切れない光景ではあったが、双識姉弟はそんな彼を大喜びで迎え入れるのだった。もちろんのこと、その背景を伝えたわけではないのだが……。
 そして一方の迎え入れられた側はというと、
「いやいや、見た目が似てるわけじゃないでしょ赤ちゃん青くんは。性格は似てるけど……おお、それって俺達とまるっきり逆だな。考えてみたら」
「おおー」
「おおー」
 何を気兼ねする様子もなく、ごく当たり前のように小さな友人二人に接しているのだった。
 そしてそんな彼を視界の中心に据える黄芽は、眉をひそめていた。
『俺、こいつと全く同じだけ好きなんだよ? 千尋さんと修冶くんのこと』
 あの言葉に嘘偽りがないのであれば、初対面な筈の赤と青に対するこの打ち解けようもそれと同様、ということになるのだろうが――しかし、だからこそ気が重い。まだそれを信用できる状況にないということ、そして信用できないのであればそれに相応しい対応を取らざるを得ない、ということが。
「今日はもう帰るけど、また今度時間があったら遊ぼうな」
「うん!」
「千秋お兄ちゃんも一緒にね!」
 そんな返事に躊躇いがちな笑みを浮かべた千春は、二人に合わせて屈めていた腰をゆっくりと持ち上げた。
 ――せっかく手に入れた「自分の身体」で赤や青と遊びたかったろうけどな。
 ついつい、彼のあの言葉に嘘偽りがない前提でそんなふうにも考えてしまう黄芽。千春を信用できない以上、黄芽と白井は彼をこの緑川家に長居させるわけにはいかないのだった。
「んじゃあ俺ら二人で千春お兄ちゃんのお見送り行ってくるな。良い子で待っとくんだぞ、芹お姉ちゃんも一緒に」
「はーい!」
「行ってらっしゃーい!」
 そう言ってまだいくらも距離が離れていない、どころか歩き出してすらいない黄芽と白井にぶんぶんと元気よく手を振ってみせてくる赤と青だったが、しかしその向こう、子どもが苦手だという黒淵からは、恨みがましい視線を送られてもしまうのだった。
 そしてそのどちらにも遠慮なく口の端を持ち上げてみせた黄芽は、二階、今この場にはいない緑川の部屋の窓を見上げてから、目の前の彼女らに背を向けた。

「そのお見送り先が自分達の家だなんて、まあ思わないんだろうなあ。赤ちゃんも青くんも」
「赤と青の扱いも俺らと一緒なのか? お前」
 緑川家からある程度離れたところで、これから向かう先があの廃工場であることに苦笑いを浮かべてみせる千春。しかしそれを受けた黄芽からは、開き直ったかのような露骨さで話を逸らしに掛かられるのだった。
 いや、彼女からすればそれは「逸らした」のではなく、「戻した」という認識になるのかもしれないが。
「……幾つか段落すっ飛ばしてません? 千尋さん」
「先にそれ済ませねーと喋れることねーしな、今は」
「ふう。まあ、千尋さんらしいっちゃらしいですね」
 ――あの二人が最優先。そうですよね、千尋さんはそうじゃないと。
「そうですよ。赤ちゃんと青くんも一緒です。大事な友達です、二人とも」
「そっか」
 睨みの一つでも利かされると踏んでいた千春だったのだが、しかし黄芽は意外にもあっさりと返事を受け入れてみせた。
 ――俺にその言い分を証明するような確たる根拠がないのと同じで、千尋さんにもそれを否定する確たる根拠は、多分、ない。だから無駄に張り合ったところで大した意味はない……ってことなのかな、やっぱり。
「それにしても、従兄弟かあ。やな感じだなあ、あいつとなんか」
 話題を更に逸らし返しつつ、ぼやくように言う千春。それというのは、赤と青に対して「自分と緑川はどういう関係ということにするか」という話である。単に顔が似ているだけの友人とするには些か無理がある程の瓜二つぶりであったし、だからといって兄弟だとするには、今まで姿を見せたことが無かったどころか話題にも上がらなかったというのが不自然だった。
 そんなわけであの二人の前では「緑川の従兄弟」ということにした、もといされてしまった千春だった。しかし、従兄弟同士でそっくりっていうのは無理があるんじゃないかとか、そもそも赤と青なら無理も不自然も気にしないでくれるのではないかとか、そんな未練がないでもなかったりはするのだが。
 といったところで、黄芽からは呆れたような声が。
「どうせ従兄弟に限らず何でも嫌がるだろお前。休日に家まで遊びに来るような間柄なんて」
「そりゃまあそうですけど」
「即答かよ。……つーか、千秋だけはやっぱそんな感じなんだな。俺らとか赤と青のことは良く思ってるって話なのに」
 良く思ってるって話、という言い方からはまだ信用してくれていない心情が見て取れ、ならば千春としては溜息の一つでも吐きたくなってしまうのだが、とはいえ黄芽のその態度も仕方がないところではある。なんせ自分自身ですらそう思えるような状況なのだ、むしろそれくらいの態度を取ってもらわないと困るくらいですらある。
 強引に気を取り直し、千春はこう答えた。
「好き嫌いって言い方だと確かに『あいつだけ』ってことになっちゃいますけど、でもそういうわけでもないですよ実際。ルール、なんて言い方するのもなんか変な感じですけど、あいつも黄芽さん達も扱い方のルールは一緒です」
「…………」
「みんなが好きで自分が嫌いなあいつの頭の中身をそのまま持ってきた、っていうね」
 反応があるわけではなく、驚く様子もなく。恐らくは今ここで言うまでもなく黄芽は、そして何やら家を出てからずっと静かにしている白井も、今ここで説明するまでもなくそれは把握しているのだろう。
「そんなわけで俺はあいつのことが嫌いですけど……でもまあ、大丈夫ですよ。みんなに嫌われてまであいつにちょっかい出そうだなんて思ってませんから。自分よりみんなの方がよっぽど大事ですもん、あいつ。ああ、だからつまり俺もなんですけど」
 さっき「殺す」なんて言っちゃったのはその場の勢いで、などという下手な言い訳はしないでおく。するだけ無駄、どころか間違いなく逆効果にしかならないうえ、万が一「その思いもまた緑川のものである」というところにまで話が及んでしまうと、怒らせるだけでなく悲しませることにもなってしまうと踏んだからだった。
 ――どれだけ好きなのかはもちろん、どれだけ好かれてるかも知ってるわけだしなあ。
「…………」
 ――いや、そろそろ好き好き言い過ぎて自分でも恥ずかしくなってきたけど。
「あのよ」
「あっ、はい?」
 場違いなことを考えていたおかげで、振り向き方が驚いたようなものになってしまう。自分からすればただの恥ずかしい失態だが、しかしそれが黄芽の目にどう映るかというのは、気にしないわけにはいかなかった。
 自分は今、異常事態の只中にいる――なんせ、自分が自分として今ここにいることそれ自体が異常であり、ならば只中にいるどころか自分自身が異常な存在なのだ。そんな状況にある自分の心ここにあらずな様子というのは、周囲の人間からすれば気を揉まされるようなものなのだろう。
 相手が親しい人であるほど、そして優しい人であるほどに。
 案の定、黄芽が質問をしたのは躊躇うような間を挟んでからのことなのだった。
「俺達ゃあそりゃまずチビ達のこと心配するけど、お前自身はどうなんだ? そっちより自分のことじゃねーのかよ、普通」
「いやあ、普通に考えたらそうなんだろうなっていうのは自分でも分かってるんですけどねえ。でも、何て言うかこう、理屈は抜きにして今の状況がしっくりきちゃってるっていうか……心配とか不安とか、そういうの全然ないんですよ。少なくとも俺自身のことについては」
 そう言っている今この瞬間ですら自分でそのことに違和感を覚えないではないのだが、とはいえ何ともないものは何ともないんだからしょうがない、としか言いようがなかった。
 そして、ここまでのことがあってということなのだろう、黄芽もそれを特に疑うような様子は見せてこない。その代わりに、今度は別の質問を投げ掛けてくる。
「少なくともってのは? 他にも何かあんのかよ」
 ――…………。
「あー、その……仲良くしてくれてた人達に信用されないってのは、割とキツいなって」

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