「いきなり言われて信じられる話でもないが……」
 先程まで室内の空気をガチガチに固めていた――というふうに感じたのは千春だけなのかもしれないが――あの威圧感はどこへやら、金剛は力無げに目を細めてみせる。それというのは今この場で真っ先にすべき話、つまりは千春がどういう人間、あるいはどういう存在であるかが、黄芽の口から説明されたことを受けてのものだった。
 ……のだが、しかし。それこそ全員が等しく発していた先程の威圧とは違い、これについての反応は様々だった。灰ノ原と紫村は、そんな金剛を軽く笑い飛ばす。
「信じられない、なんてことを『幽霊』でしかも『鬼』なぼくらが言ってもねえ? ってところではあるよねえ。ンヒヒヒヒ」
「ふふ、そうですよねえ。死んだ後になってお巡りさんみたいなことしてるなんて、世間様は言っても信じてくれないでしょうしねえ」
「そういう問題なのか……?」
 いっそう力無げな表情になる金剛だったが、しかしもちろん、そういう問題ではないのだろう。と、当事者である千春からしてもそう思える話ではあったのだが、しかし当事者であるからこそ、そう言い出せもしないでいた。
 重くか軽くか。自分の話の扱われ方についてどちらが良いかと言われれば、迷う隙もなく後者を選ぶ千春なのだった。
 ――いやもちろん、灰ノ原さん紫村さんだって、言ってる感じのまま軽く扱ってるってわけじゃないとは思うけど。
「まあでも旦那、そこらへんは今んとこ裏の取りようがないから置いといてだな」
 とここで、掛けた梯子を自分から外すようなことを言い出す黄芽。
 ここまでの話が当人とはいえ自分の推測でしかないことが分かり切っている千春にとっては、耳が痛い部分もあるにはせよすんなり聞き入れられる話ではある。しかし、今ここで初めてその話を聞かされた金剛達からすれば――。
「ああ。で、本題は?」
 ……というのはどうやら素人考えだったらしく、あっさりと話題の転換を認める金剛なのだった。無論、ということになるのか、他の皆もそれと同様であるらしい。
 いっそ現実味を感じないくらいに感心しきりな千春であったが、するとそんな彼の方にぽんと手が乗せられる。
「こいつをどこで引き取るかっていうな。俺んとこはチビ達がいるし白井んとこはそれどころじゃねーし、ってことで、ぶっちゃけお三方の誰かに頼みてえんだけど」
 双識姉弟と一緒に暮らしている黄芽はもちろん、実家住まいの白井とも、自分のような不審者との同居は考え難いだろう。ここへ到着するまでに交わしていた話を改めて確認するにも、そうして自嘲を混ぜ込んでしまう千春ではあった。
 そしてそんな彼の前でにやりと笑んだのは灰ノ原や紫村――ではなく、今度は金剛。
「なるほど。『あっち』に引き渡す考えは全くないらしいな」
 あっち。引き渡す。今初めて聞いた話ではあったが、しかしそれが具体的に何を指しているのかは、千春にもすぐに察しが付いた。
 ――あの世に……そっか。幽霊なんだもんな、俺。
「今んとこ悪さはしてねーんだし、そういうわけにはいかねーだろ。今んとこは」
「ははは、今のところは、な」
「照れナくてもいーのにネー」
 そうやって金剛とシルヴィアにからかわれると、バツが悪そうに顔をそむけてしまう黄芽。そんな彼女を見て千春は、少し泣きそうにさえなってしまうのだった。
「では私達の所は如何でしょうか」
「おおう、さすが叶くん。素晴らしい仕事優先ぶり」
 流れを無視して話を本題に戻してしまう桃園と、それに即座に対応できてしまう灰ノ原。鬼として、という話とは随分と趣が違うもののこれはこれで感心してしまう千春であったが、しかし一方で、
 ――仕事優先じゃなくて千尋さんのことを気遣ったんじゃないかなあ。それにもしかしたら俺のことも……いや、それは分からないけど、多分誰から見ても泣きそうなの丸分かりだったろうし。
 とも。
 そしてその誰から見ても丸分かりだった筈のことは、しかし桃園に限らず誰一人として、触れようとはしないのだった。
「自分から手ぇ挙げてくれんのは有難えけど桃園、なんか理由とか?」
「紫村さんでは既婚者とはいえ男女一体一になってしまいますし、金剛さんシルヴィアさんはそういう観点からすれば論外でしょうし、そうなるともう私達しか」
 正直なところ、黄芽から「誰かの所に引き取ってもらう」という話が出てきた時点で、それは千春も思っていたことなのだった。とはいえそれは、「じゃあ灰ノ原さんのとこしかないなあ」というほど確定的なものではなかった、と、一応はそういう認識ではあったのだが。
 ……話の中身が中身なので、そもそも積極的に想像力を働かせようと思えなかっただけ、ということもないではない。
「論外って、酷い言われようだなまた」
「そんなにうるさくシないのにネー」
「いやお前、その返しはどうなんだ……」
 並べて名前を挙げられた紫村がくすくすと笑っているだけに留まるその横で、金剛とシルヴィアはそんな反応をしてみせてくる。それに関するあれこれは、引き続き皆までは言わないし思わないようにもしたい千春だった。
「ありゃまあ叶くん、それだったらぼく達だって」
「溶かしますよ」
「ンヒヒ、ごめんごめん」
 そちらについては冗談で済ませてしまえるのだが。
 そうして話が一旦落ち付いたところ、するとここで漸く口を開いたのは紫村。
「でも嬉しいですねえ、こんなおばさんが気を遣ってもらえるなんて」
 言われて即座に動くのではなく、周囲が鎮まるのを待ってから。彼女のそんな身の振り方は、年長者として敬うに相応しいものだと言えるのだろう。
 ……と一度はそう思ってもみた千春だったのだが、しかし。最年長者が彼女でなくよりによって灰ノ原であることに思い至ったところで、ああ年齢じゃなくて人柄なのかな、と意見を修正することになるのだった。
 そうして彼が苦笑いを浮かべているその横では、黄芽もまた同様の表情をうかべていた。が、とはいえその内情はどうやら別物だったようで、
「全く以っておばさんにゃ見えませんからね、紫村さんは」
 ということなのだった。
 紫村椿。死別したとはいえ夫も子もいる立派な淑女でありながら、緑川と同年代と言われても疑う者はいない、と断言するに差し支えない容姿を持つ女性なのだった。しかも、「若い」というよりは「幼い」ということになりそうな方向で。
 恐らくはそれを理由に桃園から彼女との同居を否定され、加えて自分でもやんわりと「それは厳しい」と判断していた千春だったので、ならば引き続いて黄芽と同じ内訳からくる苦笑いを浮かべることにもなったのだが――。
 ――それでもやっぱり鬼で、だからやっぱり強いんだよな、紫村さんも。
 そんなふうにも考えるのだった。似つかわしくない容姿を指した冗談ではなく、極めて真面目に、彼女は強いのだと。弱い自分とは違って、と。
 そして彼には、気付くことが出来なかった。緑川は――千春ではなくその大元であるところの緑川千秋は、それを冗談で済ませてきたということに。「千秋の頭の中身をそのまま持ってきた」と自分の精神性をそう表現した彼が、既に「そのまま」ではなくなっているということに。

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