「じゃあこっちからの話が終わったところで、どういうわけか千秋そっくりな千春くんの話を」
 どうやらこちらが話をする番が回ってきたらしい。期待していた、というとなんだか可笑しな感じになってはしまうのだが、しかし自分でも不思議なくらいに乗り気で事に臨もうとする千春だった。
 が、しかし。
「――と言いたいところなんだけどお?」
 そう言いながら水野は、千春ではなく藍田のほうを向き直るのだった。そしてその藍田はというと、腕時計に目を落としている。
「そうだね、そろそろ時間のほうが」
 ――ああそうか。藍田さんと一緒にいるってことはそういうことだもんな。
 水野の世話役。中でも特に、両親との連絡役。ここまでの話にも出てきた通りに水野は自分だけでも普通に両親と連絡を取り合っていたりするのだが、しかしだからといって「仕事」としてのそれが不要になるわけではないのだった。
 ――まあ、仕事以外のところで偶然出くわす、なんてことも珍しくはないんだけどさ。生活範囲すっごい被ってるし。
 そういうわけでさらりと納得した千春は、ならば二人に対してこう返す。
「ああ、じゃあ別に今じゃなくてもいいですよ俺は。なんだったら千秋の奴に訊いてくれてもいいですし……ってそうか、それだと幽霊が見えてること千秋の奴にも教えなきゃいけなくなるのか」
「いやいや、それはもう心配無用だよお。それに隠すとしたら千春くんと桃園さんだって、ここであたしと知り合ったこと隠さなきゃいけなくなるわけだしい」
 俺は別に構わないんだけど、と思わないではない千春だったが、しかしそれを口にはしないでおいた。隠すとしたら、と言いはした水野ではあったものの、とはいえ隠したいとは思っていないだろうと踏んだのだ。これまでずっと隠してきたことではあるにせよ、今のところは「知り合ったばかりのただの他人」である自分に話しておいて緑川だけに隠すなんてことは望まないだろう、と。
 まあ、さすがに、緑川と瓜二つもいいところなうえ妙に事情にも詳しい自分に対して「ただの他人」もないだろう、とは思うのだが……。
「分かった。ならあいつにも伝えるってことで」
 まずはそう返事をした千春は次に、荷物を軽く掲げてみせつつ、
「で、俺今からその千秋にこれ返しに行くんだけど、どうする?」
 と、提案してみることにした。
「今ここで俺達が知り合ったこととか、その他もろもろとか、先に俺から伝えといてもいいけど」
 すると水野はしばし考え込むようにしたのち、「いや」と。
「知り合ったことはいいけど、『その他もろもろ』はねえ。どうせなら自分から伝えたいっていうか……ああ、だから、知り合ったこと自体もやっぱり言えないんだっけ」
「だよね、やっぱり」
「んふふ。優しいんだねえ、千春くんって」
 それはどうだろうか。
 緑川のなけなしの暴力性、という自分の出自から即座にそんな返事を頭に浮かべることとなった千春はしかし、頬の筋肉がそれに似つかわしくない形をとっていることにも気付いていた。
 ――俺が何であれこうなるしかないよなあ、澄ちゃん相手じゃ。
 そう結論付けたところで、水野が指差してきたのは掲げてみせたビニール袋。
「ところで、返しに行くっていうそれは何なので?」
「あ、これ? 服なんだけど……まあ、いろいろあってね」
 全裸で出てきたから、などとこじれること間違いなしな話を、その捕捉に使う時間が不足しているこの状況でする気にはなれないのだった。下手をすれば不審者、もしくは変質者扱いをされたままでお別れ、なんてことにもなりかねないのだ。
 水野ならそれすら笑い飛ばしそうだったが。
「いろいろ、ねえ。この季節に水浴びでもないだろうけど……まあ、それも次に千秋に会った時に聞かせてもらうよ。それじゃあ千春くんに桃園さん、またいつか」

「いらっしゃい、桃園さん。それに千春……くん?」
「自分にくん付けすんじゃねえよ気持ち悪い」
「う、うん」
 水野藍田の両名と別れた場所から緑川家は目と鼻の先だった。もしかしたらそれより先に桃園と相談したほうがいいようなことはあったのかもしれないが、しかし具体的に何かを思い付いたわけではなかったし、何かあったら自分よりも桃園のほうが先に動いていただろうということで、足を止めずにそのまま緑川家へ向かったのだった。
 チャイムを鳴らさず外から呼び掛ける、というのをまさか自分が、しかも自分の家に対して実践することになるとは思っていなかったが――しかしよくよく考えれば自分の家のチャイムを鳴らすことなど元から滅多にないことなので、これでも違和感は小さいほうなのかもしれなかった。
「ええと、上がってく? 黄芽さん達はもう帰っちゃったけど」
「いいよこれ返すだけだし。ほれ、借りた服」
 些か乱暴にビニール袋を突き出す千春だったが、それを受け取る千秋に面食らう様子はない。何の滞りもなくガサガサと中身を確認する彼を見て、千春は内心肩透かしを食らうと同時に舌打ちも。
「そのまま使ってくれててよかったのに。というかじゃあ、その今着てる服は?」
「テメエの服なんかずっと着てられるかっつの。これは買ってもらったんだよ、灰ノ原さんに」
「灰ノ原さんに? よかった、普通の服で」
「それは俺もホッとしたけどな」
 ――って、コイツと息が合うとなんかムカつくな。
「じゃあな。その服片付ける前に選択しとけよ、洗濯してねえっつうかやりようがなかったから」
「あ、うん分かった。じゃあね千春。桃園さんも、何のお構いもできませんで」
「いえ、こちらこそ急にお伺いして申し訳ありませんでした」

「お疲れ様でした」
 服を返してしまえばもう他に用事があるわけでもなく、なので桃園共々あの廃病院へ戻る、もとい帰ることになるわけだが、そうして帰路についてすぐ、何やら桃園から労いの言葉を掛けられる千春だった。
 廃病院、いや今の自宅から今回の目的地まではさほど距離があるわけではなく、その目的地ですべきことにも疲れるような要素は微塵もない。なので疲れなど全く――と言いたいところではあったのだが、
「一気に来るもんですね、あれやこれや」
 桃園の言わんとしていることが察せられないわけでもなく、なので話には乗っておくことにするのだった。
「面倒ごとというのはそういうものです。私と灰ノ原さんはその点、開き直って『来るなら纏めて一気に来てもらってさっさと終わらせたい』などと思っていたりもするくらいですから」
「開き直って、ですか」
「はい」
 それはとても桃園の人物像から掛け離れた言葉だったのだが、しかし本人がそう言うのならば疑ってかかるようなことでもないだろう。それに、その一言さえ除けば聞き覚えのない話でもない。
 鬼としての仕事の到来、言い換えれば悪人がこの地区に入り込んでくることを、桃園と灰ノ原は先の理屈から望んでいるのだった。
「あ、そういえば」
 悪人という単語、もしくは悪という文字からだろうか、千春はここで一つ思い出すことがあった。桃園が反応してこちらを向いたのを確認してから、続きを話し始める。
「いや、澄ちゃん達の話なんですけど、なんで一目見ただけで俺が千秋じゃないって気付けたのか訊き忘れちゃったなって。まあ時間がないって言ってたし、思い出してても聞けなかったんでしょうけど」
「幽霊の場所だけではなくその姿形や在り方も感じ取れる、ということなのでしょう」
「へ」
 期待するところがなかったわけではないのだが、しかしその淡い期待を遥かに飛び越えた濃い具体性を持った返答に、つい間の抜けたような声を上げてしまう千春だった。
「そうでもなければまず『千春さんを一目見る』ことがないでしょうからね。ずっと幽霊が見えない振りをしていたというのであれば、幽霊だと察知している相手と目が合う危険を犯しはしないでしょう。千秋さんそっくりの幽霊が通りかかったからついそちらを見てしまった、ということで」
「言われてみれば……」
 言われてみればそれはそうなのだが、それだけではまだ最初の疑問の答えにはなっていない。それではまだ緑川と思われたままになってしまう。
 が、そんな不備を生じさせる桃園ではない。千春が重ねて同じ質問をするまでもなく、説明を続けてみせるのだった。
「幽霊というのは精神体、つまりは精神の在り方そのものです。千秋さんの一部だった千春さんは見た目だけでなく『そこ』もそっくりなのでしょうが、とはいえこうして別の個人として存在している以上、何から何まで全く同じであるわけがありませんからね。千秋さんかと思って驚いてそちらを向いてみたものの、よく見てみたらやっぱり別人だった、ということなのでしょう」
「な、なるほど……?」
 納得するふりをしてみたものの、イントネーションは明らかにクエスチョンマーク付きのそれなのだった。
「……いや、それはなんとかそういうことで納得しておきますけど。それにしても桃園さん、ぶっ飛んだ話の割にえらく自信ありげというか……」
「霊能者を名乗るような人達であれば、これくらいはそう珍しい話でもないですからね。よくある例を一番可能性が高いものとして挙げたまでです」
「そ、そうなんですか」
 よくある例。そうまで言われてしまうともう、本当にそれで納得するしかないのだった。
「ところで千春さん、その実は霊能者だったご友人とその付き添いの方の件ですが」
「はい?」
「灰ノ原さんや他の皆さんに伝えておいても宜しいでしょうか」
「ああ、それはもう。駄目なんだったらまず桃園さんに教えてないはずですしね、鬼だってことはあっちも最初から知ってたんですから」
 先の話とは対照的に、それは実に分かりやすい話だった。その落差から生まれた余裕もあってか、
 ――「灰ノ原さん」と「他の皆さん」か。区別されてるんだなあ、やっぱり。
 などと妙なところで想像力を働かせ、勝手にいい気分になってしまうのだった。
 このまま家に帰れば、あとはゆっくりくつろいでいるだけで一日が終わることだろう。あれやこれやありはしたものの、しかし少なくとも最後は平和に過ごせそうだ、と足取りを軽くさせる千春だった。

 ――おかしい。
 桃園は強烈な違和感に苛まれていた。
 来るなら纏めて一気に来てもらってさっさと終わらせたい。それは確かに彼女が、彼女のパートナーと共通させている願望ではある。
 が、願望というのはそう易々とは起こらないことだからこそのものであり、そして最近は、纏めて一気に来過ぎていた・・・・・・・・・・・・
 ただの幽霊が起こす事件ですら稀であったこの地区に短い期間で数度に渡って修羅絡みの事件が発生し、そのうえ緑川と千春の件、更にはその友人の水野と世話役の藍田の件である。もちろん偶然ということもあるのだろうが、だからといって易々とその結論を採用する気にはなれなかった。たとえ本当に偶然であったとしても、この頻度はもう、それだけで異常事態だと見做せるレベルなのだ。
 ――灰ノ原さんはどう思っているのだろうか。
 今日済ませた問題が本当にそこで終わりならいいのだが、と足取りを重くさせる桃園だった。

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