第一章
「暗中模索、とは言っても外が明るけりゃ屁でもねえよな」



「じゃー状況整理とかそういうの始めまーす」
 緑川から「千春」が誕生した日から四日後、静まり返った廃工場にその主の声が響き渡った。
 廃工場の主と言っても、彼女は建物や土地それ自体の管理者というわけではなく、勝手にそこに住み着いているだけの身の上ではあるのだが。そしてその声は、響き渡るというほど張りのあるものではなかったのだが。
「あからさまにやる気なさげですねえ」
「ねーわけじゃねーよメガネ」
「だから黄芽さん、メガネをナチュラルに悪口扱いするのはやめてくださいってば」
 相方からの抗議に加え、更にもう一つ「ンヒヒ」と笑い声も飛んでくるのだが、しかし彼女はそれらを気に留めない。
 しかしだからといって完全に無視するというわけでもなく、
「やる気はあるっつの。俺らだけならともかく、あいつらの安全にもちったあ関わるんだしな」
 今この場には複数人、黄芽自身を含めて六名の鬼達が集まっていたものの、「あいつらとは誰々のことを言っているのか」という質問が出てくることはない。発言者が黄芽だったということも多少は影響していたのかもしれないが、ともあれそれが誰を指しているかは、その全員が容易に察せられるところなのだった。
 普段なら四六時中この廃工場内に響き渡っている幼く元気な声達は、今日は他所に預けられている。故に普段であれば、先の黄芽の呼び掛けが響き渡ることなどありはしなかったことだろう。
「ちょっとだけ、ですか?」
 廃工場なんかが賑やかなほうがおかしいんだろうけどな、などと今更になってそんなふうに思っても見ていたところ、白井はここでも重箱の隅を突くような質問を投げ掛けてくる。
 黄芽は、そんな彼を軽く睨み付けるようにしながら「そのほうがいいだろがよ」と。
「それともなんだ、ズブズブに関わってて欲しいか?」
「いいえ、全然」
「だろ。だからやる気はある……けど、面倒臭えんだよなあ最近なんかゴチャゴチャしてて。今迄みてえに悪い奴がいる! 見付けてぶっ飛ばして捕まえて終わり! で済みゃあいいのに、あっちからこっちから湧いてきたり湧いてきた奴同士で喧嘩おっ始めたりよ」
 言いつつ、面倒臭い、という感想を不足なく表したしかめっ面をしてみせる黄芽。周囲の面々もその現状には多かれ少なかれ似たような感想を持っているらしく、黄芽のそれと同じような表情を浮かべ、同じような空気を発散し始めるのだった。
 しかし、いつもならここに一人だけ、表情も空気も絶対に他者と同調させない人物がいるのだが……。
「うふふ、駄目ですよ黄芽さん」
 紫村が言う。
「桃園さんがいたら注意されちゃいますよ?『今のところ六親の二人は悪人扱いはされていませんので、もう一方の二人と同列に扱うのは如何なものでしょうか』ってね」
 桃園の真似ということなのだろう、彼女の台詞を想定した部分はやけに平坦な口調なのだった。――というのは、ともかくとしておいて。
 六親。先の黄芽の話から取り出すのであれば、「湧いてきた奴同士で喧嘩したり」の一方である。
 他人の姿と鬼道をコピーできる女・愛坂と、全てが実態でありかつ本体でもある分身を生み出せる男・田上。二人はその後「喧嘩」の現場に駆け付けた灰ノ原達から事情の説明を求められ、鬼の業務として拘束するに足る理由はない、とされていたのだった。
「ですね」
 黄芽としても彼らのその扱いに不満があるというわけではなく、なので今のは単なる言葉のあやである。もっとも、だからといって彼らを善人と思っているかと言われれば、やはりそんなことは全くと言っていい程にないわけだが。
「ところで紫村さん、今のってもしかして桃園の真似してました?」
「あら、わざわざ質問してくるなんて意地悪ですねえ。そういう疑問を持つ時点で答えは決まってるようなものでしょう?」
「いや、はは、意地悪なんてつもりじゃないですけどね?」
 ――何やっても可愛らしいってホントすげえなこの人。俺より年上なのに。
 と、それはともかく。紫村がわざわざ似つかわしくなく可愛らしくはある物真似を披露することになった原因として――いや、だとしてもそんなことをする必要性は全く無かったわけだが――今この場に、件の桃園は不在なのだった。双識姉弟に物騒な話を聞かれるのは宜しくなかろう、といういつもの配慮から、今回は彼女の住まいである廃病院のほうで面倒を見てもらっているのだ。
 いつもならその二人を引き受けるのは緑川家の役目だったのだが、今回は「先日知り合ったばかりの千春の部屋に遊びに行く」というちょっとしたイベントもあっての、このいつもと異なる采配なのであった。
「だからってなんでわたくしまで!?」
 そう抗議をしてみせた第四十三番獄獄長がいたりもしたのだが、彼女は双識姉弟が最近お気に入りの遊び相手なので、それは仕方のないことなのである。それにそもそも獄長であれ何であれ部外者は部外者であり、なのでむしろ、彼女がこの会議の場に残ることのほうこそおかしいといえばおかしいことなのだ。というのは、今更な話なのかもしれないが。
「あー、で、そろそろ初めちまっていいですかね?」
 今日もボードゲームなりカードゲームなりで負け続けるであろうその黒淵を内心せせら笑いつつ、しかし目の前にある仕事にも意識を向ける黄芽だった。ここまでの流れからとてもそうは見えないのかもしれないが、しかし先程も言っていた通り、やる気がないわけではないのだ。
 むしろ、大いにあると言って差し支えはないことだろう。

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