「話戻しますよー」
 と、白井からそう呆れたような声が発せられたところで、その白井自身を除いた全員の顔がそちらへと向けられる。話を逸らした本人として二度目は控えておこう、と思っていたのに頭の中ではすっかり紫村を小学校の教壇に立たせていた黄芽は、そこに多少の苦みを含ませてもいたのだが。
「その『複数の修羅の集団』についてですけど、一つめに挙げるとしたらやっぱり享楽亭ですかね。話に聞く大物がまさか、こんな田舎に現れるなんて」
「大物っつってもその下っ端、というか新入社員だったって話だけどな」
 言いつつ、新入社員、というまるでそれが真っ当な企業であるかのような単語を持ち出すことに違和感がないではない黄芽ではあったが、当人がそう言っていたというのだから仕方がない。
 そしてそれはともかく。
 違和感というのであればそこよりもむしろ、白井にこそ違和感を覚える黄芽。一つめに挙げるとしたら、などと彼は今そう言ってみせたわけだが、そうではないだろう、と。選んで一つ上げるとしたら別の集団だろうと、黄芽はそう思わされざるを得なかったのだ。
 が、しかしだからこそなのだろう、とも。「黄芽はそう思うだろうからここは敢えて外しておこう」という考えがあってああ言ったんだろうと、彼女はそんなふうにも思わされるのだった。
 なんせ、壁を叩き壊してしまいそうだと宣言したのはつい先程のことなのである。
 一方で黄芽からそんなふうに思われていた白井はというと、「それですよねえ」と素直な反応。
「あまりお関わりになりたくないっていうのもないではないんですけど、だからって捕まえても大して得るものがなさそうだっていうのは、それはそれで歯痒いというか何と言うか」
 鬼という職業を警察に置き換えた場合、警察官が警察の一員として逮捕すべき犯罪者に対して「関わり合いたくない」などと言って退ければ、それは問題のある発言ということになるのかもしれない。しかし少なくとも今この場、鬼という職業においては、それを咎める者は一人もいないのだった。
「ぼくと叶くんはまた来て欲しいと思ってるけどね? ンヒヒヒ」
 不在のもう一人を勝手に巻き込みながらそんなふうに返してくる者は一人だけいたのだが、それも別に白井の言い分を咎めるものではない。彼らがいつも言っていることを今回も言っていると、ただそれだけのことである。
「まあ、今回は取り逃した張本人だということもあるだろうしな」
 金剛からそんな言葉が飛んでくると、その「彼ら」のうちの一人である灰ノ原は、「おや手厳しい」と全く厳しさを感じさせない表情のまま、手をぷらぷらと振って見せながらこう返す。
「そういうのもないではないんだけどねえ、そりゃあ。ぼくだってちょっとは悔しいしさ」
 そんな灰ノ原の返しを、周囲は笑みと共に和やかな雰囲気で受け止める。先の白井の発言を何でもないふうに聞き流せたのと同様、これもまたこの鬼という職業に特有のものなのだろう。
 ただし今回は一人だけ、ぷらぷらと振られる灰ノ原の手に苦々しい目を向ける者がいた。白井である。
「あれだけバッキバキに指折られてて『ちょっと悔しい』で済んじゃうっていうのは、今更ですけどとんでもない話ですよね」
「ンヒヒ、言われてみれば確かにそうかもねえ。ただ、白井くんもそのとんでもない人達の一人なわけだけど」
 猛烈な速度で逃げようとする享楽亭の下っ端、もとい新入社員を捕まえようとした際、そのあまりの速度に捕まえようと伸ばした手の指を一本残らず折られてしまった灰ノ原。そんな彼の骨を元通りにしたのが、他の誰であろうわけでもなく白井だったのだ。
「まあ、そうなんですよね悲しいことに」
 言いつつ、全く悲しがる様子のない白井だった。なので特にそこに拘るようなこともなく、「で、また話戻しますけど」と。
「その享楽亭の二人が追ってたっていうのが別の修羅の集団、六親さんだったようで――」
「おっと、そこは直接関わったぼくから説明させてもらおうかな。ちょっとややこしいことになってるんでね」
 ここで灰ノ原が説明役を名乗り出た。今の言葉の通り、現場に立ち会い六親の二人から話を聞いたのは彼と桃園であり、ならば彼がその申し出をすることに何ら不自然さはないのだが――。
 ――いつもなら桃園の仕事だよなあこれ。
 と思ったのは、恐らく黄芽だけではなかったことだろう。もちろん、灰ノ原はそんなことお構いなしなのだが。
「六親さんとこの二人、愛坂さんと田上くんなんだけど、享楽亭の二人が狙ってたのは六親そのものじゃなくて愛坂さんだったわけだね。つまり今回の件は別に組織同士のぶつかり合いって話ではないんだけど……でも、六親のほうは享楽亭を潰すための組織だっていうね。今はまだ準備中だから喧嘩しないし目的も隠しとくよっていうだけで」
「その愛坂さんが狙われてた理由っていうのが?」
 話をさらに進めさせようとする白井。しかしその顔には、既に「ややこしい」と書かれていた。
「昔、って言ってもどれくらい前のことかは知らないんだけど、『人工の霊』を作ったからってことらしいね。ただまあ、ぼく達が会った愛坂さんはその人の名前を騙ってる偽物ってことらしいけど」
「……本当にややこしいですねえ。しかも『らしい』だらけですし」
「ンヒヒ、当人からの証言だけだからねえ。でもまあいいんじゃない? ここで悪さしたら捕まえるってだけなんだからさ、ぼく達は」
 白井に同調して湿り気を帯び始めていた室内の雰囲気は、しかしその灰ノ原の返しで簡単に晴れてしまう。
 が、
「で、更にややこしいことに本物の愛坂さんはどうやらもう一つの修羅の集団に属していたようで――」
 室内全体の話はともかく、ここで壁を叩き壊したくなってしまう黄芽なのだった。

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