一方その頃、廃病院。
 赤と青の求めに応じない者などここにはおらず、なので千春はそれに従い黒淵とオセロを打っていた。口に出しての拒否こそしてはいなかったものの、どう見ても嫌そうな顔をしていた黒淵には同情の念すら覚えたものだったのだが、しかし。
「……結構強いじゃないですか、黒淵さん」
 いざ勝負を始めてみると、彼女は想像していたよりずっと手応えのある相手だった。一ゲーム目は勝ちこそしたものの僅差であり、現在行われている二ゲーム目は危うい……正直に言って、負けが濃厚な流れである。
 ――あんまり嫌そうにしてるし、それに今まで見てた限りでは赤ちゃんと青くんに負けてばっかりだったから、下手なんだとばかり思ってたけどなあ。
「お世辞なら結構ですわ。自分がどれほど脆弱で矮小な存在なのか、この短期間で嫌というほど叩き込まれてきましたもの」
 一応ながらも千春のそれは褒め言葉だったのだが、しかし前のめりになってオセロ盤にかじりつきになっている黒淵は、そこから目を逸らさずかつ身動き一つせずに、冷めた口調でそう返してくる。
 真っ黒なドレスが普段着という奇抜な出で立ちとは裏腹に――と言ってしまっていいものかどうか、悩まないではない千春ではあったが――これでも黒淵は「地獄の偉い人」であり、ならばそんな彼女がゲームとはいえ小さな子ども相手に負け続けるというのは相当に堪えることだったのだろう。と、千春はそんなふうに考えた。
 そしてもう一つ。
「それはともかく黒淵さん、もうちょっと姿勢は良くしたほうが……」
「そんなこと気にしてる暇があったらさっさと打ってくださいませ。終わったら姿勢でも何でも正してさしあげますわよ」
 相も変わらず黒淵は盤から目を逸らそうとしない。彼女の勝ちが濃厚という現状も加味すれば、それは感心すべき集中力だと評しても過言ではないのだろう。
 が、しかし。
 胸元が大きく開いたドレスでの前傾姿勢――しかもオセロでの対戦中ということで当然、ばっちり真正面である――というのは、健全な男子高校生には辛いものがあった。
 ――いや、それ相当の年齢ってだけで、俺は高校通ってないんだけど……ああもう、でっけえなあこの人も。
 それとなく遠回しに伝えることぐらいは千春にもできないことはなかったのだろうが、しかしそれはこの場に双識姉弟がいなければ、という条件あっての話である。こんな小さな子達の前では、遠回しにすら「それ」に言及することはできないのだった。
 第三者に助けを求めようにも、ただでさえ頼りにならない頼りにしたくない緑川は双識姉弟と一緒に黒淵の側に座っているし、一方で唯一かつ抜群に頼りになる桃園は、あっさり飲み尽くされてしまったお茶の注ぎ足しのために席を外している。
 強固な集中力を発揮している黒淵を前に、前にしているからこそ集中できない千春なのだった。

「何とかして捕まえらんねーかなあの野郎」
「全くですね」
 灰ノ原が言及した「もう一つの組織」。それを耳にしたところで黄芽が口にし、白井が同調してみせたのは、組織それ自体ではなくそこに属する一人の男の話だった。求道と名乗っていた……いや、同行者にそう呼ばれていただけで自分では名乗っていなかったのだが、それは考慮するほどのことではないだろう。
 ともあれ、求道という男。
 彼はこの短期間で頻繁にこの地区へ足を踏み入れてきた修羅の中でも、最も注意すべき人物だと認識されていた。黄芽と白井がこれまで二度も相対しておきながら未だ確保に至っていない理由、突然その場から消える鬼道も要因の一つではあるのだが、しかし何よりもまずは――。
「いつまた緑川を狙ってくるか分からんからな」
「……だよな」
 戦闘の末に彼の部下を確保した、ということもあってのことなのだろうが、やはり鬼道ではなくそちらに言及してきた金剛。それに対する黄芽の返答は、物理的な重さを感じかねないほど低いものだった。
 明確にまだ生きている人間、しかも緑川を目的としていることが、求道を「最も注意すべき人物」とする要因としては最大のものなのだった。
「求道、だっけ? その人も所属してるっていうその組織が、享楽亭、六親に続いて三つめの修羅の集団ってことになるね。これについては名称をまだ把握してない、というかもしかしたらそんなものないのかもしれないけど」
 形としては黄芽に説明を遮られた格好になる灰ノ原だったが、それを再開するにあたって不満そうな様子は欠片もない。だからといって黄芽と同様に声を低くしているわけでもなく、それは実に普段通りのどこか気の抜けたような調子ではあったのだが、
「それにそもそも、三つめどころか一つめに持ってくるべきなんだろうけどさ」
 と、気の抜けた調子のままそんなふうに言って退けもするのだった。
「個人の話を抜きにして三つの組織の話だけするなら、享楽亭以外の二つは揃って享楽亭とやり合うための組織って話だったね。その二つに繋がりがあるっていうような話は今のところないけど、なのにそれが両方とも享楽亭と何の関係もないこの地区に来ちゃったっていうのは……ンヒヒ、もう言うまでもないかなこれは」
 偶然にしては出来過ぎていて気味が悪い。そもそも今回こうして皆が集まった理由に改めて行き着いたところで、「じゃあ簡単な纏めは以上ってことで」と、説明を切り上げに掛かる灰ノ原なのだった。

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