「で、何のお話なのかそろそろお尋ねしても?」
 赤と青の思い違いについてもう少し言葉を重ねたい緑川ではあったが、そこで黒淵からそう問われてしまうとそういうわけにもいかない。
「あ、すいません長々と」
 オセロというゲーム、つまりは遊びでのこととはいえ、彼女にとっては相当な数の敗北を重ねたうえでの初勝利の直後。折角の気分に水を差してしまったか、と心配にならない緑川ではなかったが、しかし表情を窺う限り、どうやら黒淵の側にそういった感情はないようだった。もちろん、顔に出さないようにしているだけということも充分に考えられはするのだが。
 ともあれこうなれば緑川としては説明を始めざるを得なくなるのだが、しかし黒淵はそれに先んじてこう問い掛けてくる。
「緑川さんと親しそうな女の子というと、以前お会いしたあの方でしょうか? ご一緒に下校なされていた……ええと、こう、吹けば飛びそうなボンヤリ加減というか何と言うか」
 ――そういえば、初めて黒淵さんと会った時って澄ちゃんも一緒だったっけ。もちろん澄ちゃんには見えてなかった……いや、見えてない振りをしてたんだけど。
「あはは、間違いなくその人でしょうね」
 顔をしかめ、どう言い表したものだか随分と苦慮したらしい黒淵だったのだが、その割には随分と失礼に当たりそうな物言いなのだった。しかし水野をよく知る緑川からすれば、ここはむしろ黒淵の苦慮を称賛する場面ということになってしまうのだが。
「で、その方がどうかなさいましたの? わたくし達に会うってお話でしたし、だったらもうその時点で『どうもしない』わけがありませんけども」
「あー、ええと」
 黒淵を仲間外れにするつもりはなかったが、しかしその黒淵の「獄長」という肩書きを考えると、少々ながらも躊躇いを隠せない緑川だった。水野がまだ存命、つまりは幽霊でない以上、例え幽霊に関する事情を抱えていたとしても黒淵にそれをどうこうできることはない、とは思うのだが……。
「緑川さん」
 とここで、声を掛けてきたのはいつの間にか戻ってきていた桃園だった。いや、彼女がこの部屋を離れてからオセロ二ゲーム分ほどの時間が経過しているわけで、部屋を離れた理由がお茶組みであったことを考えれば、恐らくはもう戻ってきてから随分と時間が経っているのだろうが……そしてそのお茶も、気が付けば赤と青の手元に一カップずつ注がれている。
「……あ、はい?」
 つまりはオセロの間、一体どれだけ「あれ」に意識を奪われていたかという話になるのだろう。しかしそれはあまり考えないようにしつつ、努めて何でもないふうに尋ね返す緑川。
「大丈夫です。地獄の関係者が関われる領分ではありません」
「あ、はい。ありがとうございます」
 千春と水野が出くわした場面に立ち会っていた以上、当然桃園は水野の事情を全て知っていることになる。とはいえそこを考慮しても尚それは見事なフォローであり、ならば緑川としては、頼りになるなあ、と思わせられざるを得ないのだった。
「あら。あたくし、緑川さんのガールフレンドにちょっかいを出すと思われていたんでしょうか? これは心外ですわね」
「あはは、すいません」
 ――とか言いながら、何でそこでニヤリと笑うんですか黒淵さん。
「あ、それと、今のガールフレンドっていうのはそのまんま女友達って意味でいいんですよね? それ以外の意味だったら違いますからね?」
「随分拘りますのねえ、そこ。なんて可愛らしい」
 ――だから何でそこでニヤリと笑うんですか黒淵さん。怖いですって。
 怖いので、万が一そこから話が広がってしまう前にこちらの話を始めることにする。
「ええと、その女の子……水野澄っていうんですけど」
「水野?」
 始めたところ、のっけから想定外の事態。黒淵が水野の名に反応してみせるのだった。
「あれ? 知ってます?」
「いえ、よくありそうな名字ですし……まさか、あの霊能者一族の水野、なんてことはないですわよね? わたくし達に会うって言っても」
「…………」
 今は違うらしい。
 で、済ませられる話ではないだろう。恐らく、いやほぼ間違いなく、黒淵が言っている「水野」と緑川が語ろうとしている「水野」は合致している。
 とはいえそれでも万が一、億が一を期待して、緑川としてはこう言うしかないのだが。
「昔はそうだったらしいですけど、今は違うって話ですよ?」
「…………」
「…………」
 沈黙。黒淵が水野を知っていたところで「地獄の関係者が関われる領分ではない」という桃園の言がひっくり返るとは思えないし、そもそも昔の話とはいえ霊能者一族として有名だったのならば、幽霊である黒淵がその名をどこかで見聞きしていてもなんら可笑しいところはないのだが――とはいえ、それでも。
「『水野』とはどういうご関係で?」
 ここで黒淵へ詰問するような声が飛ぶ。他に誰がそんな態度を取れるわけもなくそれは桃園の発言であり、そして桃園は普段からそんな口調ではあるのだが、しかし状況がそう錯覚させるのかそれとも本当にそうなのか、緑川にはそれがいつもより厳しいものに聞こえてしまうのだった。
 黒淵はこう返す。
「いえ、わたくしではないのです。部下……うちの副獄長が、地獄に来る前は水野家に仕えていたとか何とかほざいてやがりましたので」
 なんだ他の人か。と、黒淵の言葉遣いの変遷をスルーしつつ安心する緑川だった。
 が、しかしその程度のことなら何故、他の皆はともかく黒淵本人まで深刻そうな表情をしていたのだろうか? とも。
 そしてそう思ったのとほぼ同時に、黒淵は更に深刻さを増して桃園にこう問い掛ける。
「これも、『最近この地区が騒がし過ぎる』の一つに入りますかしら」
 桃園は答えた。
「まだ分かりません」

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