が、黒淵はそれを難なく避ける。「槍」は数こそ多かったものの、しかしその全てが黒淵を狙ってきたというわけではなかった。
 ……というか、黒淵の身体と交差する進路をとっていたのは、そのうちのたった一本だけなのだった。であれば、その槍を見てからの判断、反応が間に合う黒淵からすれば、それをただ回避するのは容易なことである。
 が、
「ちっ」
 自分へ向けて伸びてきたその槍を回避した直後、黒淵は舌打ちとともにその回避したばかりの槍へと手を伸ばす。その一本以外、自分へと向けられなかった槍についての判断はさすがに一瞬遅れてしまった――とはいえ、伸ばしたその手がしっかりと槍を掴んでしまえる辺り、常人からすればそれは一瞬にも満たないほどのタイムラグでしかなかったのだろうが。
 四方八方へと伸びた槍。それらは周囲の地面や木々等、あちらこちらへ突き刺さる。「こちら」を仕事場とする夜行や陰とは管轄が違うにせよ、その破損や破壊は鬼として看過できるものではなかったのだが、しかし今この時点で憂慮すべきことは他にあった。それはもちろん、次の鰐崎の行動である。
 鰐崎は、追い詰められ自棄になって器物破損に走った、というわけではなかった。多量に放ち、それぞれ別の場所に突き刺さった槍のうち一本を基点にして――黒淵の憂慮の通り、ということになるのだが――その一本を引き戻すことで、高速でそちらへ跳躍してみせたのだった。
 もちろんそれを黙って見ている黒淵ではなく、掴んだ槍を同じく引き戻そうとして――しかしそれは、実行前に断念した。掴んだ槍は、その頃には槍というよりロープのようにぐにゃぐにゃになっており、加えて黒淵と鰐崎両者の相対距離より長くなっていた。ならば、引き戻そうとしたところでその槍だかロープだかが虚しく波打つだけなのは明白である。
「結局のところ、貴方の目的は何なのでしょうか?」
 まんまと自分を飛び越え病院との間に障害物がなくなった鰐崎に対し、黒淵はそう問い掛ける。
 すると鰐崎は、警戒を緩めながら「おや、これは予想外」と。
「間髪入れずに追い掛けてくるかと思っていましたが、ここでご質問を頂くようなことがあるとは」
「もう少し別の予想も立てて然るべきだと思いますけどね、その格好なら」
 頭の先から爪先に至るまでの全身から槍を突き出した鰐崎。
 であれば当然、その衣服は上から下までただのぼろきれに成り下がっていた。しかも直後の跳躍でそのぼろきれが脱げた、もとい撒き散らされたこともあり、鰐崎は現在、ほぼ全裸と言っていい格好になってしまっているのだった。
 長さだけでなく柔軟性も可変であるらしい「槍」を駆使し、隠すべきところは隠してはいた鰐崎。しかしそれも身体の一部である以上は肌と同じ色をしており、はっきり言ってあまり意味があるようには思えなかった――というのは、全く動じていない黒淵だからこその感想なのかもしれなかったが。
 そして鰐崎のほうも全く動じてはおらず、「格好のことはさておき」と平気で話題を変えてしまう。そして、これまでとは違い本当に嬉しそうな笑みを浮かべながら「実によい質問です」とも。
 そしてどういうわけか大きく腕を広げてみせ、かつ天を仰ぎすらしながら高らかに宣言する。
「私の目的! それは常に! いつだって! 愛で世界を救うことただ一つです!」
 黒淵は信じなかった。
 それは、質問者の意図に沿わない素っ頓狂な答えが返ってきたからでもなければ大層な物言いと現在の格好が全くそぐわないからでもなく、ただただ単純に、どうせ嘘なのだろうと判断しただけのことだった。
 妙なタイミングで妙なことを言い出す輩は見慣れている。
 そして、自分が嘘を吐いていることに自分で気付けない人間も見慣れていた。
 ――どうせまた。
 と、黒淵は呆れつつ考える。
 ――常人には理解できないあれやこれやが目一杯に混ぜ合わされたものを、耳障りの良い一言に無理矢理纏めているだけなんでしょうね。
 そうして黒淵が呆れている間に……いや、恐らくは彼女の反応を窺うような間は挟まずに、鰐崎は引き続き嬉しそうにこう続ける。
「『愛に世界を救う力なんかない』でしょう? ええ、もちろん私もそれは理解していますよ。愛ではどうにもならないことだって世の中には沢山あります――それどころか、愛ではどうにもならないことのほうが遥かに多いことでしょう。しかし! だからといって愛は無力なのかと言われれば断じてそんなことはないのです! では黒淵さん、今度はこちらから質問です!」
「なんでしょうか?」
「愛で世界を救うためにはどうすればよいと思いますか!?」
「…………」
 どうやら、彼の目的は「世界を救う」ではなく「愛で」のほうであるらしい。それはこれ以上なく分かり易い「手段と目的が逆転している」状態なのだが、本人はそれに気付いていないようだった。
 そして、気付いていないだけならまだましですが、とも思う黒淵。
「逆転などしておらず、初めからそれが正しいと思っている」――世の中にはいるものなのだ、そういう人間が。
「わたくしにはちょっと分かりかねますわね。どうすれば宜しいのでしょうか?」
 質問に対する返答へは一切頭を働かせることのないまま、黒淵は解答を求めた。
 鰐崎は答える。
「どんな手段を使ってでも世界を救ったその後に、『全ては愛ゆえの行動だった』と一言発すればそれでいいのです!」


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