――だーもう畜生! 白井に任せねえで俺が手錠嵌めてりゃ良かった!
『引き寄せ』。
 あまりにもそのままに過ぎる名称の通り、触れた事のあるものを自分へと引き寄せる、という鬼道を持つ黄芽。なので未だ嵌められたままになっている鰐崎の手錠はもちろん、鰐崎自身についても、触れてさえいれば追い掛けるまでもなく自分の側へ引き寄せられていた――ので、つい先程まで手元に拘束していた相手を追わなければならないというこの状況には、激しく後悔させられることになるのだった。
 とはいえもちろん、後悔してばかりいるというわけにもいかない。突然現れ鰐崎を脱出させた(というふうには見えなかったが)謎の女と、その謎の女から極めて乱暴、乱雑に扱われながらも、健気に(というふうにはとても見えないが)その後ろに付いて走り始めた鰐崎の二人を、黄芽と白井は追跡し始めた。
 後悔ばかりしているわけにもいかずに追跡を始めた黄芽だったが、しかし追跡を始めればそれはそれで、追跡だけしていればいいというわけでもない。足を動かす一方で、頭も働かせなければならなかった。
 追跡ということなら黄芽の『引き寄せ』以外にも、視界内であれば何処にでも移動できる灰ノ原の『好奇の穴』も有用ではある。が、今回は場所が悪かった。なんせたった今後にした廃病院は山の中に立地しており、ならばそこから移動を始めれば、足を踏み入れることになるのは山道である。当然その道自体はきちんと舗装されたものではあるのだが、しかし山道である以上はこれもまた当然のこととして道の左右は木々に覆われており、更にはその道自体が曲がりくねっていることもあって、「視界」の通りはお世辞にも良いとは言えないのだ。
 ――なのになんでこんなとこに住んでんだよアイツはよ!?
 と、ただの愚痴、しかも今更にすぎる内容のものに陥ったところで、この話についてはここまでにしておく。
 そして次に挙がる議題は、ここで漸く目の前を走る二人、謎の女と全裸の男なのだが……少しずつではあるものの、どうやらその距離は縮まってきているようであった。ならばこのまま追い続けていればいずれ追い付くことになるのだが、しかしもちろん、そんな単純な足の速さ比べで事が済むわけもない。何故か自分達ではなく仲間である鰐崎に対して使用されたあの妙な鬼道が、どういう形になるかは不明であるにせよ、いずれこの場面でも使用されることだろう。
 ならば、こちらが動くべきはその前かそれとも後か――。
「黄芽さん」
「ああ!?」
 状況に追われて、と言うとどうしても全裸で全力疾走している鰐崎がそれをぶち壊しに掛かってくるのだが、それでも一応は切迫した状況ではあるので、つい白井への返事が荒っぽくなってしまう。
 しかし白井のほうはまるで構わず、引き続き平坦な口調で問い掛けてくる。
「今日僕、黄芽さんに触るようなことってありましたっけ」
 黄芽の荒っぽい口調は聞き慣れているということなのか――いや。
 ――そうだな、そうなるよな。
「ねーよ。ほれ行ってこい」
 白井の心情。そしてその心情を以て、彼が何をしようとしているのか。その二つを瞬時に悟った黄芽は軽い口調でそう告げ、そしてその軽い口調に合わせたかのように、軽い力で白井の肩をぽんと叩いた。
「行ってきます」
 対して白井も同じく軽い口調でそう返すのだが、しかし軽いのはその口調だけである。
 先程病室で鰐崎が求道の名を口にした際の、軽さとは真逆の位置にあったそれと同様の――いや、もしかしたらその時よりも更に重くなっているかもしれない表情を、白井は浮かべていた。……少なくとも現在、その「重さ」に負けて、彼の首は横に傾いてしまっていたのだった。

 ほんの少々時間を巻き戻し、鰐崎と女が逃げ出したその直後。
 黄芽が頭を働かせ始めた頃、女と鰐崎はこんな遣り取りを始めていた。
「それで鰐崎君、言われた通りに逃げてはみたけど何なのかねこの状況は?」
「後ろの二人は鬼です」
「それはまあ分かるよ、その手錠を見れば……それに好き好んで君を追っかけるのなんて、正義の味方やってる人達以外には在り得ないだろうしさあ」
「うふふふ、流石は逢染あいぜん さん。その僕に対する理解の深さには感動させられるばかりですよ」
「とんでもない変態だってことだけだよ、あたしが君について知ってるのは。で、裸ってことは喧嘩になっちゃったってことなんだろうけど、手錠されてるってことは負けちゃった? まあさすがに二人掛かりじゃあねえ」
「いえ、負けたのはここにいない一人だけにです。しかもそれがまたとびきり素敵な方でして」
「ってことは女か――ん!? 女一人にぃ!? はー、そらまたショッキングな……君、うちの中でも結構強いほうなのにさあ」
「おっと。予め断っておきますけど、彼女の美しさに心を奪われて油断した、なんてことはありませんからね? 私にはただ一人、貴女という特別な女性がいるのですから」
「死に別れたとはいえ旦那と子どもがいるオバチャンに、しかも素っ裸でそれ言っちゃうんだから本当凄いよね君は。いつものことだけどさ」


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