第六章
「三度目の正直。今度こそ――」



「行ってきます」
 黄芽に行ってこいと言われて軽く肩を叩かれた、つまりは今日初めて黄芽に触れられた白井。そう返事をしたその瞬間に彼は、弾丸の如くと表現しても過言ではない程の猛烈な勢いのもと、吹き飛ばされるようにして黄芽から離れることになる。
 そしてその「黄芽から離れる」方向は、今しがた追っている最中の二人と黄芽を最短距離で結ぶものでもあった。
 故にそれはそのまま、弾丸のような勢いで二人に迫るということでもあった。
 もちろん黄芽の狙いは初めからそれであり、そして白井が黄芽に期待したのも、同様のものではあったのだが。
 ともなれば当然、逃げる二人と白井との距離はあっという間に詰まってしまう。
 そしてその「あっという間」に、逃げる二人が白井の急接近に気付けたかというと――走って逃げる以上は後方ばかり見ているわけにもいかず、なのでそうなっても仕方のないところではあるのだろう。気付きこそしたものの、それは一瞬遅れてからのことなのだった。
 二人のうちの一方、つい先程まで拘束していた全裸男の鰐崎が振り返り、猛追しつつある白井を視認し得た時。その白井は既に、手にした金鎚を鰐崎の頭目掛けて振り下ろし始めたところであった。
 そうなれば最早、鰐崎には声を上げる暇すらない。追い抜きざまに振り抜かれた白井の金鎚を、何の抵抗もできないままその頭部に――
「ぅおっとっとっとっとぉ!?」
 甘んじて受けるようなことはなかった。が、紙一重で躱したのちにバランスを崩し、慌てた声を上げながらその場に転んでしまうのだった。
 となれば当然、逃走の足は止まってしまう。鰐崎から逢染と呼ばれた女も、大砲で撃ち出すという先程の手荒に過ぎる扱いとは打って変わり、転んだ鰐崎を守るようにその傍で立ち止まる。
 ……のだが、
「おうおう何だ何だ? メガネ男子がすっ飛んできたぞ。……あと何やってんの鰐崎君?」
 白井と鰐崎の間に一瞬の攻防があったことには、まるで気付いていないのだった。
「今更どんなバカやって見せたって、素っ裸でいる以上のインパクトにはならないよ?」
「おや、これは嬉しいお話ですね。まだ私の裸体に衝撃を感じて頂けているとは」
「いや、それが皆無だからもうどうしようもないって話だよ?」
「うふふ、そうですか。それは残念」
 逢染と鰐崎がそんな軽口を交わしている間に、すっ飛んできたメガネ男子――こと白井は、その二人の前方へ十メートルほど行き過ぎたところで漸く地に足を付け、即座には殺し切れない勢いにガリガリと靴底をすり減らしながら停止。そしてその白井をすっ飛ばさせた黄芽は、停止した白井が首以外の姿勢を整えたところで、その二人の下へ到達する。
 追っていた二人を通り過ぎ、その前方に立ち塞がった白井。そして後方から追い付いた黄芽。実に分かり易く、それは挟み撃ちの形なのであった。
 ともなれば、全く動じずに迎え撃つ、というわけにもいかないのは挟まれた側である。
「ねえ鰐崎君? これ結構マズくない?」
 その言葉の割には緊張が籠らない、どこかふざけているような口調ではあったが、前方からゆっくり歩み寄ってくる白井から視線を逸らさないまま、背中合わせの鰐崎へそう問い掛けたのは逢染。
 しかしそれに対して鰐崎は、「いえいえ、案外そうでもありませんよ」と。
「向き合ってようが挟まれてようが、あちらとこちらの人数が同じならそれは、一対一が二組できたというだけのことなんですからね。なんだったら、お互いの距離が近い私達のほうが有利とも言えるかもしれませんよ?」
 その口調に焦燥感はまるでなく、ならばそれは気休めではないのだろう。
 とはいえもちろん、彼のその言葉に納得するかどうかは聞き手側の判断である――彼のパートナーとして彼のことを良く知っている逢染がここでみせたのは、大きな溜息だった。
「一対一が二組って……護衛対象を戦力として数えちゃうのかね君は」
「おや、大人しく護衛されてくださるんですか? 私としては歓迎ですが」
「ん? んー、絶対ヤダ」
 軽く首を傾げ、返事をするまでに少し考えるような間を挟んだ逢染。しかしそれは、何も鰐崎に限らず誰の目からしても、形だけのものであった。そして同じく誰の目からしても、彼女の口調は初めから回答が用意されている体のものであった。
「あたしの邪魔をする奴は、誰だろうと絶対に許さない。たとえそれが正義の味方でも――」
 前後を塞ぎ、行く手を阻んでいる鬼二人へ、彼女はここで初めて明確な敵意を浮かべてみせた。……がしかし、「それに」と後から追加する相手に対して、その敵意は更に強められることになる。
「それに、仲間だったとしてもね」
「……ああ、いつ何度聞いても素晴らしい」
「いつもいつも、脅かしてるつもりなのになんでテンション上げちゃうのかねえ君は」


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