この鰐崎という男に求道が関係しているかもしれない、という疑念。緑川は鰐崎についてまだ何も知らされてはいなかったが、しかし「たまたま自分が訪れていたタイミングでこの鬼の住処にわざわざ修羅が現れた」という点だけでも彼、そして千春にとっては、そんな考えに結び付ける要素としては充分なものなのだった。桃園に無理を言ってここまで通してもらったのもそれが理由である。
 そして故に、黄芽の許可を得た桃園に招かれて室内に踏み入り、千春と共に鰐崎と対面することになった緑川はまず――。
「ひゃあわわっ! 御免なさいっ!」
「うわキッツ」
 ――全裸で仰向け、しかも腕だけとはいえ拘束までされている成人男性に対し、それ相応の反応をすることになるのだった。
 いくら黄芽達がいるとはいえ、相手は修羅。緊張も緊迫も抑えられるものではなく、また抑えるべきものでないとも思っていたのに、そんな心構えは粉みじんに打ち砕かれてしまうのだった。
「うふふふふ。いやはや、漸くのことこの醜態に相応しいリアクションをして頂けましたねえ」
 そしてその醜態を晒している鰐崎は、満足そうに微笑みながらそう言ったところで初めて、こちらを見遣ると――。
「おや?」
 と、首を傾げてみせてきた。こちらを見遣ったものも含めて仰向けのまま行ったので、上下が反転したその動作はどこか滑稽でもあったのだが、しかしそれはともかく。
「女性と見間違えるような顔立ちの少年……兄弟がいた、なんて情報はなかった筈ですが……?」
 それは例えば、この男がこの地区の鬼全員の容姿を把握していることを知っていた黒淵であれば、眉を顰めるくらいのことこそあれ驚くようなことではなかっただろう。
 しかし緑川、そして千春は、先述の通りにまだ鰐崎については何も知らされていない。そこへこうして、まるで予め緑川のことを知っていたような口ぶりをされると、先に浮かべた疑念はほぼ確信へと変わってしまうのだった。
 ……とはいえ、そうなったところでどう反応していいものなのか。部屋に入る前の気勢を削がれてしまったこともあり、緑川は身動きが取れないでいた。
「おい」
 しかし、それは緑川だけの話でもあった。恐らくは同じような確信に至り、そして緑川とは違い、そこで途方に暮れるようなことがなかったのだろう。千春は一人、鰐崎に詰め寄るのだった。
 もちろん、そうは言ってもあちらの手が届くほどの位置にまで踏み込みはしないし、黄芽と白井が警戒するような動きを見せてもいたのだが。
「何でしょうか? ふふふ、同じような顔なのにこちらは女の子には見えませんねえ」
「求道って奴のこと知ってるか、お前」
 鰐崎の軽口を無視し――千春のことを知らないらしい鰐崎からすれば、それは軽口ではなく探りを入れているだけなのかもしれないが――千春は初手から核心に触れた。
 求道という人物を知っているのか。
 知っている、つまりはあの求道の関係者であるうえで、しかしそれと今回のこの件は無関係だ、などということはまずありえないと言ってしまっていいだろう。……無関係な二者から同時に狙われるなんてことはあって欲しくない、という願望も、含まれていないではなかったが。
 鰐崎は答えた。
「ええ。なんせ今回、私はその求道さんの依頼でここへ来たのですから」
 その瞬間に放たれた害意、もしくは殺意ですらあったかもしれないものは、もはや「誰がどれだけ」などという区分けが不可能なほどに室内を埋め尽くしてしまう。自分へ向けられているわけでもない「それら」に委縮し切ってしまった緑川に付けられるのは、発している者とそうでない者の区別だけであった。
 発していないのは鰐崎と自分、そして黒淵。それ以外の者は全員、躊躇もなく求道との関係を認めた鰐崎に対し、容赦のない感情を向けている――。
 ――え、千春も?
 委縮している中で一筋、そんな疑問を閃かせる緑川だったが、しかしやはり身動きは取れない。一方、緑川が委縮し切りの「それら」を直接ぶつけられた鰐崎はしかし、とぼけたような口調でこんなふうに続けてもみせるのだった。
「とはいえ本当に、これに何の意味があったんでしょうかねえ?『緑川千秋くんを見てくるだけでいい』だなんて。取り違える可能性を考えたら、そっくりな兄弟がいるということも前もって教えて頂きたかったものですけどねえ……?」


「ふーむ、部屋の位置は大体わかったけど……」
 その頃、病院の外では女が一人、小さな機械を片手に困ったような表情を浮かべていた。
 部屋の位置が分かった、というのはもちろん、鰐崎が今いる部屋のことである。しかし大体分かったと言う割にその視線は一つの部屋を見定めるわけでなく、病院の一階から最上階までをゆっくりと一往復するのだった。
「……当たり前だけど、俯瞰視点だけじゃあ何階なのかがわっかんないなあ。うーん、勿体ないけど作り直すかあコレ」
 拗ねたようにそう言って、女は作り直しが決まったその小さな機械を軽く手で弄んでから、ズボンのポケットに無造作に突っ込んだ。そしてその姿勢のまま、何かを考えるように数秒ほど立ち尽くしたのち――。
「そうだそうだ、憂さ晴らしにちょうどいいものがあるぞ。にっひっひ、用意がいいねえさっすがあたし」


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