「皆さん、ちょっといいですか」
 殺気立っていた室内に、その殺気を押し殺した声が通る。その声の出所は紫村であり、そして彼女がそうして話題を遮る場合――今回の場合は何かを話していたわけではないのだが――それは大抵、
「また反応がありました」
 というものである。
 そして紫村は鰐崎を見下ろし、同時に見下しもしながら、こうも続ける。
「そちらの方と同じく……いえ、そちらの方以上に弱々しい反応ですけど、病院のすぐ前です。窓から覗けば見える位置に」
 窓から覗けば見える位置。紫村からそう説明された夜行一同は、しかし窓に近付くような素振りは見せないでいる。緑川と千春の最も近くにいた桃園に至っては、二人が窓に近付かないよう手で制止してみせてすらいた。
 その存在を感知し位置まではっきりしている以上、わざわざ目で見る必要はない、ということなのだろう。……が、しかしやはり、そこには先程の鰐崎の言葉も影響を及ぼしているのだろう。
『緑川千秋を見てくるだけでいい』
 今病院前にいるのが何者なのかはもちろん現時点では不明なのだが、そんな話を聞いた直後にこちらから不用意に顔を晒すのは、誰であれ避けようとするところなのだろう。
 ――それに気付くのが桃園さんに止められてからっていうのは、ちょっと情けないんだろうけど……。
 室内の雰囲気もあり、緑川は苦笑を浮かべることすらできないでいたのだが、しかし周囲は当然その新たな事態に対して動き始める。
 一番手は金剛。まずは、紫村に状況の詳細を求めた。
「紫村、いきなり『病院の前』というのは? そこで初めて感知したのか、それとも高速で突っ込んできたのか?」
「前者です。とは言っても、あんまり弱々し過ぎていっそ悪戯を思い付いた子どもレベルの悪意ですけど――」
「こいつの後じゃあ、それでも油断はできんか」
 そう言って先程の紫村と同じく鰐崎を見遣る金剛だったが、その視線に先の彼女ほどの圧はない。
「苦労を掛けるな、そんな町中いくらでもありそうな程度のものにまで気を配らせて」
 いっそ自分の方こそ疲れていそうな表情でそう言い、紫村を労ってみせるのだった。
「いえいえ、これもお仕事ですから。喧嘩しなくていい分くらいは頑張りますよ」
「はは、どっちのほうが楽だったんだろうな」
 紫村が笑みとともに返事をし、金剛もそれに合わせて笑い返す。二人のそんな様子に、そういえば、とふとした疑問を頭によぎらせる緑川ではあったのだが、しかしそれは現在直面している問題には全く関係のないことだったので、ひとまずは胸の内にしまっておくことにした。
 そうしているうち、今度は黄芽が口を開く。
「で、なんでテメエはニヤついてんだよ」
 それは鰐崎に対して向けられたものだった。何故、と問い掛ける形をとった黄芽ではあったが、しかしここで鰐崎に何を言わせようとしているのかは、自明と言って問題はないだろう。
 外に現れた人物は、彼の仲間なのか否か。
 ……しかし、直接そう尋ねられたわけではない鰐崎は、尚も笑みを浮かべたままとぼけるような返事をする。
「ふふ、いやあ、私はこれからどうなってしまうんだろうと思いましてね」
「どーもなんねーよ。強いて言うなら地獄行きだ。……で、どうなんだよ外のヤツってのは」
「さて? 私は今回一人で動いているつもりでしたし、求道さんが後から合流するなんて話も聞いていません――と、そう説明したところで信用してもらえるかどうかは別の話、ですよね?」
「たりめーだボケ。無駄だと分かってて訊かなきゃなんねえこっちの身にもなれってんだ」
「ふふふ、柄の悪い女性も嫌いではありませんが――ふむ、なのでここはむしろ、正直にお話ししてしまいましょうか」
 何が「なので」で「むしろ」なのか、そして正直だろうがそうでなかろうがそもそも何を言っても信用などされるわけがないという状況で、しかし鰐崎は変わらず笑みを浮かべ続けながら、こんなふうに言ってみせた。
「『悪戯を思いついた子どもレベル』の方でしたよね? ここで会う予定はありませんでしたし、だからどうしてここにいるのかはさっぱり分からないのですが、しかし思い当たる人物が居ないではないのです――いえ、居るのです。居過ぎるくらいに居るのですよ」
 居過ぎるくらいに居る。それはなんとも珍妙な、分かりそうで分かりそうにない表現だった。もちろんその意味するところがどうであれ、この男の言葉が信用に値しないのには変わりないのだが、とはいえそこは先程自分で言った通りということなのだろう。黄芽はうんざりしたような表情を浮かべながらも、続けてこう尋ねるのだった。
「なんだそりゃ? 居過ぎるって、沢山いるってことか? それとも」
「強烈なのがお一人だけいるんですよ」


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