乗った、というほど積極的なものではなかったが、しかし少なくとも鰐崎の案を否定はしなかった黄芽。ならば当然、その案の通りに逢染と相対することになるのだが――。
「十番、日本刀」
 ――お、早速か。
 黄芽からすればそれは少々意外な所ではあったのだが、逢染は無駄口を挟むようなこともないまま臨戦態勢に入る。どうしてそこを意外に思ったかと言われれば、もちろんそれは実際の口数はもとよりその出で立ちからしてやかましいことこの上ない、彼女のパートナーの存在が原因である。
 そしてその臨戦態勢に入った逢染の手にはたった今彼女が口にした物が、つまりは日本刀が収まっていた。
 しかし彼女はこれより以前、病院の室内に大砲を出現させている。手の内に日本刀、よりもそちらのほうが余程インパクトは大きく、なのでそれを見て今更驚くようなことはない。そういう鬼道なのだな、というだけのことである。
 驚きはなかったが、黄芽はここでも意外に思うところがあった。
 先の大砲のこともあり、ならばこの場面、それと同じ要領で何かしら武器になるものを出してくるのは容易に想像できていたのだが……しかしその「容易にできる想像」の中で彼女が持ち出していたのは、刃物ではなく鈍器、そうでなければニッパーのような工具なのだった。
 何故なら、彼女がまずしなければならないのは黄芽への攻撃ではなく――。
「分かってるよね? 鰐崎君」
「勿論ですとも」
 何をとは明示しない逢染の呼び掛けに応じ、鰐崎は両腕を差し出す。手錠が嵌められたままになっている、不自由な両腕を。
 相対することとなった黄芽への攻撃を後回しにしてでも逢染がまずしなければならなかったのは、味方である鰐崎の両腕を繋ぎ、その自由と、そして彼の鬼道を封じている、その手錠を破壊することである筈だった。
 鎖部分を切断すれば両腕に対する縛めは解かれるが、しかし錠が掛けられたままであれば鬼道は封じられたままであるし、そもそも日本刀で鎖を切断するということ自体、そう易々と実行できることではない。修羅の膂力があるにはしても、それはどちらかといえば技術に左右されるところではあるし、そして特に鍛えているふうでもない中年女性である逢染は、とてもその技術を有しているようには見えなかった。
 さらに言えば、その手錠は鬼道を封じる性質を持つものである。鬼道によって呼び出した日本刀では、切れるかどうか以前の問題にすらなり得るのだが……。
「一応作ってはみたものの、仮にも頭脳労働者がこんなもん使うことないだろって思ってたけど」
 日本刀を振り下ろした逢染は、それを杖のように地面に突き立ててから満足げに言ってみせる。
「いやあ、何でも練習はしとくもんだね。お見事じゃんあたし」
 彼女は見事に切断していた。
 鰐崎の両腕を封じていた手錠を。
 ではなく、鰐崎の両腕を。
「……ぬぅ、っぐうううううう!」
 例えそうなることを事前に把握していたとしても、両腕を切り落とされればそうもなろう。鰐崎から殆ど悲鳴に近い苦悶の声が上がる。
 言い換えればそれは、彼がぎりぎり悲鳴にならないところまで己の声を抑え込んだ、ということにもなるのだが……しかしそれよりも前のタイミングで、彼はもっと明確に激痛に耐えてみせていた。
 自分の両腕を切り落とした逢染が、その為に使った日本刀を地面に突き立て、更には切り落とした感想を口にまでしてから。それら一連の動作が済まされるまでの数秒間、彼は声量どころか声自体を完全に押し殺していたのだった。
 何のためにそんなことを?
 ――自分の腕ぶった切った感想聞きたかったから、とか言わねえだろうなオイ。
 そしてそんな彼に対し、逢染は悪びれるふうでもなくこう告げる。
「ほらほら、もう腕と一緒に手錠外れてんだから鬼道使えるっしょ?」
「ぐぅぬおおおおっ!」
 許しが出た、と言わんばかりに鰐崎は鬼道を発動させる。
 全身どこからでも槍、もとい腕を伸ばせる鬼道。を、落とされた腕の切断面から。たった今切り落とされたばかりの両腕は、すぐにまた生えてきたのだった。
「はっはっは、手錠が腕に嵌めるもんでよかったねえ。足に嵌めるもんだったらアウトだったよ――って、そりゃもう手錠じゃなくて足枷か」
 逢染がそう言い終わるまでに乱れた息を整え終えていた鰐崎は、まるで何事もなかったかのように爽やかな笑みを浮かべてみせる。
「いえいえ、逢染さんがお望みであればお安い御用ですよ。足から腕を生やすくらい」
「望まんよそんな気持ち悪いこと」


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