全身、と言っても遜色ない範囲に、しかも深手と言って差し支えない傷を負いながら、しかしそこで白井が取った行動は鰐崎の観察であった。有効打、どころか普通に考えれば間違いなくこの時点で決着が付いたと捉えるであろうこの状況に対し、この男はどんな反応を見せるのか、と。
 鰐崎は口の端をにやりと持ち上げていた。……が、これまでのように無駄な語りを以ってそれを表現するようなことはない。どうやら、勝ちを確信して油断するようなことはないらしかった。
 それは恐らく、黒淵とのことがあったからだろう。白井はそう考えた。
 黒淵も片手に穴を空けられていたが、鰐崎本人の言い分によると、それは『反撃に転じるためわざと負ったものだった』とのことだった。ならば、今回の「これ」に対して楽観的な見方というのは、しようとしてもできるものではないだろう。
「貴方もわざと攻撃を受ける方なのですね」
 やはり、と言ったところだろうか、鰐崎はそう語りかけてくる。
 が、その黒淵とのことだけを問題視しているわけでもなかったらしく、
「それにしても今回のそれは重傷でしょう。となればやはり、貴方なのですよね? 傷を治せる鬼道を持っているのは。眼鏡の男性、ですもんねえ。車椅子じゃないほうの」
「…………」
「先程のあの私を飛び越えながらの一撃もあって、半信半疑になっていたりもしたのですが……となると、あれはあちらの女性の鬼道だったと。ふむ、聞いた話では『物を引き寄せる』という性質のものだった筈ですが、逆に吹き飛ばすこともできるという可能、ということなのでしょうか?」
 質問を受けたが、白井は答えない。首から下には十数本はあろうかという槍が突き立てられ、そして首から上にも、避けた槍と初めから何処にも当たらない方向へ突き出されていた槍が、今すぐにでも首から下と同じ状態にできるよう白井の頭部を捉えている。
 状況を見る限りそれは、質問に答えるよう強要、もとい脅迫しているとも取れなくはなかったが、しかし鰐崎の口調にそれらしい強硬さは見受けられず、そしてそんな彼の認識がどうあれ、白井は初めから答える気などありはしなかった。
 誰がむざむざ仲間の情報を敵に漏らすものか――という以前に、そもそも口を開く気が皆無なのだ。質問に答えるかどうかなど、そんな思考は頭を掠りすらしない。
 その代わり、自分と黄芽の鬼道の情報の出所が誰なのか、ということは頭を掠めていく。……その瞬間の感情の高ぶりを鑑み、掠めたそれを頭に留まらせはしないでおいたが。
「お返事は頂けませんか。ふふふ、その職務に忠実な感じ、どちらかと言えば好きですよ私は」
 まるで「これが職務でなければ返事をもらえている」とでも思っていそうな台詞をのたまう鰐崎。一体自分を他人からどんなふうに見られる人間だと思っているのか、などとつい思わされてもしまう白井だったが、しかし今そんなことは重要ではない。どころか、いつどんな時でもそれが重要になることなどありはしないだろう。
 であれば自然、今重要なこととは何か、という話になるのだが、
「!?」
 異変を察知したらしい鰐崎は、驚きの表情と共に、白井へ突き立てていた槍を全て引き抜いた。皮膚を突き破り肉に食い込み、そうして身体に突き刺さっていた以上、そこから引き抜かれた槍には当然血液が付着している。
 が、一方で引き抜かれた後に残る傷、つまり白井の首より上を除いたほぼ全身からは、しかし一滴たりとも血が流れるようなことはない。
「突き刺したままにしていれば傷の治しようはないと思っていたのですが……まさか、私の身体を巻き込んでまでとは。これは恐れ入りました」
 鰐崎の槍に付着していた血液は、実のところ白井のものだけではなく、鰐崎自身のものも含まれていた。白井の傷と無理矢理に癒合させられそうになったところで強引に引き抜いた結果、所々で皮膚が破れていたのである。
 ……とはいえそれは、所詮皮一枚の話である。それを指して「痛手を負わせられた」などと言えるようなものではない。
 そしてそれと同じ傷は、当然白井も負いはしたのだが――例え全身を穴だらけにされようとも腕を焼き切られようとも、それらを一瞬で完治してしまえる彼にとっては、擦過傷程度の傷など、血が滲み出るのに先んじて塞いでしまえる程度のものでしかない。
「聞くだけなら穏やかで心優しそうな印象だったんですけどねえ。傷を治す鬼道、なんて」
 軽率に攻撃を仕掛けるのは躊躇われるということか、鰐崎はここでそう語り掛けてくる。それだけを切り取るのであれば、逢染と無駄話をしていた先程までの様子に立ち戻った、というふうにも取れるのだが、しかし白井の身体から引き抜かれた多数の槍が未だ白井へと向けられたままであることを見るに、やはり今は「戦闘中」なのだろう。
「となれば、気になるのは貴方の人となりでしょうか? 聞いた通りに穏やかで優しい方なのか、それとも見た通りに不気味で禍々しい方なのか」
 もちろん白井はその質問にも答えないのだが、しかし――。
 ――ここまで散々褒めちぎっていた相手が「アレ」なんじゃあ、まずその価値観からして人とは違っているんだろうしな。なのに優しいかとか不気味かとか訊かれても。
 白井に攻撃を仕掛けた鰐崎、そしてそれを受けた白井の二人とも、戦闘が始まってからまだ立ち位置を変えてはいない。ので、白井には逢染と黄芽の戦闘が、そちらに意識を向けるかどうかはともかく、鰐崎の向こう側で常に視界に入ってはいた。
 そして視界だけでなく意識もあちらへ向けたところ、白井の目に映った逢染の姿は……。

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