「んん? ふっふっふ! 見ていますね!? 逢染さんを!『戦い』を始めたあの人を!」
「…………」
「素晴らしいでしょう!? 美しいでしょう! あれこそが愛の生物『人間』の、愛に満ち溢れた本来の姿! あの方こそが『人間』の体現者! 時間も状況も忘れて見惚れてしまいさえしなければ! 私だって今すぐ振り返ってこの目にあの美しさ素晴らしさ神々しさ、そして何より人間らしさを焼き付けたいものですが――!」
 その言葉通りに逢染には背を向けたまま、そして白井から目を離さないままに、鰐崎は吠えるようにして訳のわからない台詞を捲し立ててきた。人間の本来の姿、などと言いながらそれを神々しいとも言い表すのは矛盾なのではないか――という以前に、「アレ」のどこが人間らしいのか神々しいのか、と、白井としてはそう思わせられずにはいられない。
 そしてそう思ったところで、鰐崎はその訳の分からない台詞は締め括りに差し掛かる。
「なので貴方が不当に占有している私の今の時間とこの状況! 耳を揃えて今すぐ返して頂きましょうか!」
 ――勝手なこと言ってるな。占有してるのはそっちだろうに。
 今の言葉通りに二つ揃えて鰐崎の槍に刺し貫かれ、そのまま千切れ飛んだた両耳を再生しながら、
 ――それが『人間』ってことか。全く、チビっこの時分だけにしてくれよそういうのは。
 これまで意識して抑えていた憤怒を、少しだけ漏れ出させてしまった。

 多少時間を遡り、逢染が拳銃を取り出した頃。
「おーおー、張り切ってるねえ」
 軽口の最中に白井への攻撃を始めた鰐崎へ、逢染はそちらを振り向かないまま、やはり軽い言葉を投げ掛ける。その必要がないということなのか、それとも自分の大声で逢染の声が耳に届かなかったのか、鰐崎から返事はなかったが。
「さて、じゃあこっちもやりますか」
 それを確認するかのような間を取ってから、逢染はとうとうそう宣言する――宣言、と言うには、これまでに引き続いて気の籠もらないものではあったが、下手をすればこのまま何だかんだで戦闘にならないまま事が済んでしまうのではないか、という危惧の念を抱いていた黄芽からすれば、それでも十分に希望に沿うものなのだった。
 ――そうそう、やる気になってくれなきゃ困るんだよ。
 それはそれで逢染と同様に気の籠もらない感想ということになるのかもしれないが、黄芽はそれが顔に出ないよう気を付けつつ、武器である大金棒を構えた。
 大金棒。いつもなら構えも何もなく適当に持ち、力任せに振り回すだけなのだが、今回はその後ろに身を隠すような体勢を取る。相手が拳銃を、飛び道具を所持しているということで、今回はそれを盾のように扱うことにしたのだった。
 もちろんそれは、全身をすっぽり覆い切れるほどのものではないのだが……しかしどちらにせよ、やるべきことは同じである。
 ――距離を詰めりゃあこっちのもんだろ!
 そうしなければどうにもならないとはいえ、自分に銃を向けている敵に対して真っ直ぐに駆け寄るというのは、普通に考えれば異常な行動ではあるのだろう。しかし黄芽は、そして彼女に銃を向けている逢染も、人間の常識で測る限りはそもそもからして異常な存在なのだ。
 既に死んでいる人間であり、
 それ以上には死ねない人間なのだ。
 故に黄芽は、怖気付きもしなければ躊躇いもしない。逢染が銃の引き金に指を掛けたのをしっかりと確認しておきながら、彼女の足から勢いが削がれることは一切なく――そして同時に、「この時点」で逢染に対して攻撃を仕掛けることにも。
 既に死んでいるのだから、もう一度死に掛けたくらいで戦意を喪失するようなことはないだろう。
 ……目の前の敵、逢染という女がそんな予測の埒外にいる人間だということはしかし、この時点での黄芽には知る由もないことなのだった。

「何かあったか、紫村」
 そんな金剛の声に釣られ、緑川は視線を紫村へと向ける。
 修羅の二人組を追って窓から飛び出した黄芽と白井は――いや、修羅のうち片方は、その黄芽と白井の二人とほぼ同時にそこの窓から「発射された」のだが――もう、窓から顔を覗かせても目が届かない木々の向こう側へ行ってしまった。
 ならば目を向けるようなところはもう、その鬼道で以って外の様子を窺い続けている紫村くらいしかない。
 のだが、しかし彼女が察知しているのが「人の悪意」であることを考えると、じっと見ているのも悪いような気がしてしまう緑川だった。結果、暫くと経たないうちに彼女からも視線を逸らし、あとはもう当然ながら動きのない室内の様子や、同じく動きのない他の鬼達の様子を、当てもなく眺めているしかなかったのだが――。
 金剛の声に釣られて再び紫村へと視線を移したところ、紫村は酷い顔をしていた。
 ――何かこう、とてつもなく不味い食べ物を口に運んでしまった時のような……。
 などという表現をつい頭に浮かべてしまってから、この非常時に何を呑気なことを、と自省もすることにもなる緑川だったのだが、それはともかく。
「形忘れ」
 と、金剛の質問には短く一語だけでそう答える紫村。
 ナリワスレ。それは、緑川にも覚えのある言葉だった。とはいえ以前黄芽と白井から聞いたことがあるというだけのことで、実物を目にしたというわけではないのだが。
「どっちだ? 男の方か」
「女」
「そうか。……どうせ黄芽と白井に任せてあるんだ、無理はするなよ」
 気分の悪そうな紫村からそれ以上の返事はなかったが、金剛は彼女に合わせるようにして同じく黙り込んでしまった。

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