――どこも撃たれてねえな! よっしゃ死ね!
 自分の身体に異常がないことを確認すると同時、黄芽は金棒を横薙ぎに振り抜いた。本当に殺すつもりなら(もちろん幽霊である以上死ぬことはないのだが)、狙うべきは頭だったのだろう。が、黄芽が狙ったのは胴体部分であった。
「本人の頭じゃねえのは見た目通りだろうしな、どうせ」
 全身をくの字に曲げて吹き飛ぶ逢染の様を見届けながら、黄芽は誰にともなく毒づく。
 本人のものではない二つの、二人の男性の頭部。この「二人の男性」が何者であるのか、この時既に黄芽は見当を付けていた……が、それは今重要なことではない。毒づくような気分にさせられ、逆にあの二つの頭を優先して叩き潰してやりたいとさえ思わされても、今優先すべきは逢染なのだ。別人に構っている場合ではない。
 そしてその逢染。吹き飛ばされた先で体勢を立て直し、いや横倒しになったまま接地している面から足を生やして無理矢理に立ち上がって、今度は自分から黄芽へと突撃を仕掛けてきた。そのうえ身体から生えていた刀の刀身ような物を三本全て、空いている手で引き抜き――柄に当たる部分があるようには見えないが――それこそ刀として、その手で強く握り締めて。
 逢染は。
 目の前の「敵」を。
「止めろ!」
 その声は、しかし誰も止められはしなかった。黄芽に切り掛かろうとする逢染も、そしてそれを迎え撃つ黄芽も。
「お前は、逢染!? 馬鹿な、死体は確認したはずだ! あの男も確かに殺したと……! 金だって全額払ったんだぞ!」
 三本の刀全てが黄芽に向けて振り下ろされる。うち二本を金棒で受け止め、腕の生えている位置と可動域の関係か狙いが甘かった残り一本はそのまま躱し、黄芽は思い切り握り込んだ右の拳を逢染の胴体に叩き込む。
「幽霊……? 化けて出た、だと!? 何を訳の分からんことを! 霊などと、そんなものがこの世にいるわけがあるか!」
 無論、金棒で殴り飛ばされても構わず突撃してきた今の逢染に素手での打撃が有効打になるわけもないが、しかしもう一度金棒を叩き付ける隙を作る程度のことは、
「まさかお前、あの男とグルになって私を嵌めたのか!? あいつから幾ら貰った! ふん、その分じゃあ家族の方だって本当は死んで――」
「じゃかましゃあああああ!」
 黄芽はもう一度金棒を叩き付けた。ただし今度は胴体ではなく、聞きたくもない話を勝手にベラベラと喋り出した男の顔面に向けて。
 そしてそれきり耳障りな声は収まり、その顔は醜悪な身体ごと、地に伏すこととなった。
 …………。
 ……形忘れとは、強過ぎる思いに囚われた結果、自分の形を忘れてしまい、実際に自分の形を保てなくなった者達を指す言葉である。そして自分でなくなった後に取る「形」は、その強過ぎる思いに沿ったものになるのが大半である。
 そこで逢染が浮かび上がらせたのは、二人の男の顔だった。
 そして黄芽は以前、誰からとは言わないが、こんな話を聞かされている。逢染も所属している「組織」は、享楽亭を相手取るための集団なのだと。
 であれば、そこから推測を立てるのは簡単だ。逢染も含めた「組織」の構成員は、享楽亭から何らかの被害を受けた者達がその多くを占めているのだろう、と。全員が霊であるという話を考えれば、その被害については「何らか」も何もありはしないのだろうが……。
 そして今しがた叩き潰したやかましい方の男は、その口ぶりからして、享楽亭に逢染とその家族の殺害を依頼したのだろう。であればもう一方、黒塗りで顔かたちを窺い知れない方の男が何者であるかも、やはり推測は容易に――。
『ヴァああえぇああああああ!』
 怒りの咆哮か、嘆きの悲鳴か。叩き潰した男の頭があった位置にはいつの間にかぽっかりと穴が開いており、そこから耳をつんざく絶叫が放たれた。
 そしてそれは、叩き潰された男と逢染の声が混ざり合ったものだった。
『死ねええええええっ!』
「俺が誰に見えてんだよテメエはよ!」
 それが逢染のものでない以上、男の頭を狙ったところで逢染は止められないだろう。初めからそう考えて行動していた黄芽は、なので逢染が再び襲い掛かってきたことに驚きはしなかった。むしろ、彼女が一度倒れたことの方こそ意外だったくらいである。
 ――オッサンの頭潰しゃあちょっとの間とはいえ動きが止まるってんなら、もう一人の真っ黒野郎も狙ってみていいのか……!?
 理屈のうえではそういうことになるのかもしれないが、しかし形忘れに対しては、そもそも理屈も何もあったものではない。なにせ「自分」という、誰にとっても最大かつ最重要であろう「理」を反故にしてしまっているのが、その形忘れと呼ばれる者達なのだ。
 故にそれは、賢明な判断だったと言えるのだろう。黄芽は結局、黒塗りの顔には手を出さないことにしたのだった。

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