「あら。ここは一体どこじゃらほい」
「初めて聞きましたよそんな言い回し」
 求道の鬼道によって転移した先で、口調はともかく台詞の上では困惑がちな声を上げたのは、その転移に際して元の姿に戻っていた逢染であった。
 が、その疑問はすぐに横に置いておかれることになる。
「おや求道君いつの間に。――ってことはそうか、逃がしてもらったわけだねあたし達」
 もう一人の男の返事を無視し、やや遅れて求道が傍にいることに気が付いた逢染は、今いるこの場所が何処なのかはともかく、どうして自分がこの場所にいるのかをすぐに察した。
 ちなみにその無視をされたもう一人の男、鰐崎は、しかしそれしきでめげる男ではない。というか、めげるなどという後ろ向きな思考をまずしない。してくれない。逢染とは違い異形のままだった姿を今になって元に戻し、違和感でも残っているのか腰を捻ったり曲げたりしてみせてから、
「その通りです逢染さん」
 と。
 しかし、そこから更に続けられる言葉には、これまでの彼にはない焦りが含まれていた。
「えー……なのでここはひとつ、我々は求道さんに対して惜しみない感謝の念というものをですね」
 ならば逢染、そんな鰐崎の様子を見て口元に軽く笑みを浮かべてみせるのだが、しかしそれは、見た目通りの朗らかなものではない。
「つまり求道くん、あたしの部下を勝手に鬼にけしかけちゃったわけだ?」
「あー……」
「邪魔者は排除しちゃうぞ?」
 鰐崎の取り成しも虚しく、逢染の敵意、害意が求道へと向けられてしまう。それが殺意にまで達してしまう前に何とかしなければ、彼女はまた先程までのように我を忘れて暴れまわることになってしまいかねないのだが――。
「お叱りは後程。それよりもまず鰐崎くん、一つ確認しておきたいのだが」
 と、求道がそう話を逸らしたところ、逢染は大人しく口を噤むのだった。
 一度怒りが閾値を超えれば、前述の通り我を忘れて暴れはじめる逢染。しかし逆にそこへ達しない限りは、むしろ冷静に物事に当たれる人物でもあった。そうでもなければ生前死後ともに「研究者」に位置することなど、言い換えれば頭脳労働に従事することなど、できはしないのだろう。
 そして今回、その冷静さで何を察したかといえばそれは、「避難が完了した筈の今でも求道はまだ何かを警戒しているらしい」ということだった。
「ここへ移動する直前に君と逢染さんが鬼どもと戦っていたあの場所は、一体どこだったんだ? 見た感じ、山道のようだったが」
「ああ……実際に訪れたことがあるかどうかは存じ上げませんが、求道さんもご存じではあるでしょう? 鬼の一組が住んでいる、山の中の廃病院。あそこから出てすぐの所ですよ」
 求道自身の犯行ではなかったが、しかし以前、彼の部下であるナイフ使い、響峡慈が黄芽、金剛とシルヴィア、灰ノ原と桃園の住処を襲撃している。「なんでおめえん家だけ無事なんだよ」と白井が黄芽からボヤかれもしたのだがそれはともかく、ならばつまり求道が、どころか彼と同じ「組織」に属している者全員がその場所を把握しているとみて、まず間違いはないのだろう。
「やはりか。……『近く』ではなく『出てすぐ』ということは、まさか一度捕まったのか?」
「おっと。うふふふ、お恥ずかしい話ですが実はそうなのです。逢染さんが助けに来て下さらなかったらどうなっていたことか」
 危機一髪もいいところだったというのに、まるで良い思い出だとでも言いたげに頬を緩めてみせる鰐崎。しかし当の助けに行った側は、良くもなければ悪くもなさそうに、言い換えれば至極どうでもよさそうに「いや、助けに行ったわけじゃないんだけどねあたしは」と。
「鰐崎くんが捕まってるなんてこと、どころかそこが鬼さんの住処だってこと自体、全然知らなかったんだから。いやあ悪いことしちゃったなあ、鰐崎くんで窓ガラス割っちゃったし」
 鰐崎くんで。一から十まで説明されたわけではないが、求道は眉間を抑えた。
「……しかし、だとしたらそもそも逢染さんはどうやって鰐崎くんと合流を? 鬼の下へ向かわせたことは知らなかったんでしょう?」
「なんか朝から様子が変だったから、朝ご飯のあさりの味噌汁に発信機入れといた」
「うふふ、問い詰められれば素直に白状しましたのに」
「面白くないでしょうが、そんなあっさりご破算にさせちゃったら」
「……本題に戻します」
 無為な遣り取りを強引に中断させ、求道は眉間から指を離す。
「あそこが廃病院の近くだったというのなら、鰐崎くん。何故戦っていた鬼は『あの』二人だったんだ? 確か別の組だったろう、そこに住んでいるのは」
「それでしたら、住んでらっしゃるお二人どころかあの地区の鬼全員、あの場に集合していましたよ。それにもうお一方、地獄の長でいらっしゃる美しい女性も」
「また急にとんでもない話が出てきたものだな」
 地獄の長。間違いなく想定外だったであろう人物の登場に、しかし求道が浮かべた表情は焦りや驚きのそれではなく、その話の出所が鰐崎だというところが大きいのだろう、強い呆れを含ませたものだった。
 しっかり一呼吸を挟んで気を取り直したのち、求道は続ける。
「それも含めて、ならば尚のことだ。あの二人以外の鬼達はなぜあの場に居なかった? 一度は捕まえた鰐崎くんにまんまと逃げられたというのに、追って出てきたのが二人だけ、なんてことがどうして起こった?」


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