その声がしてから一、二秒ののち。
「馬鹿な」
 初めに口を開いたのは求道だった。そしてその頃には既に、突然現れた第四者こと白井は、鰐崎の首に腕を回していた。
「動かないでくださいね? どれだけ突き刺しても無駄だというのはご存知でしょうし」
「……うふふ、ようやくお話ししてくださいましたねえ」
 どれだけ突き刺しても無駄。確かに鰐崎はそのことを十分に承知していた、いや承知させられていたことだろう。が、しかしだからといって自分の背後を取りつつある――どころの話ではないのだが――白井に対して何もしないでいるというのは、通常なら在り得ない選択だと言っていい。
 ならば何故彼がそうしなかったかというのは、白井の鬼道の特性を考慮してのことなのだろう。
 どんな傷でも一瞬で治す鬼道。それをどう使えば「敵の背中から身体を生やす」ということになり得るのかを考えれば、ここで下手に手を出すことなどできようはずもない。この密着した体制で白井を刺し貫き、彼の返り血を浴びるなどと。
 鰐崎の首に絡めた腕はそのままに、白井は求道へと視線を移す。
「で、何か言いたそうですね? 求道さん、でしたっけ?」
「……君の鬼道に『そういう使い方』があるという可能性は、考えないわけではなかった。しかし君は以前、由也くん……炎使いの弟のほう、と言った方が分かり易いか? 彼に腕を焼き切られていただろう。が、その時の君は『そんなこと』はしなかった。腕を治した時、焼き切られた方の腕は消え失せていた……そこからの一撃で決着をつけていた以上、あれは手の内を隠すような場面ではなかっただろう? 今回とあの時で、何が違う?」
 身体を二つに切り分けると、それぞれが全身を再生して二匹に増殖してしまうプラナリアのような――というのは、求道のその話を聞いて白井が思い浮かべたイメージの話なのだが、しかしともあれ、彼が言いたいのはそういうことなのだろう。
 そしてその言い回しからして、どうやら「二人以上に増えたりすることはできない筈だ」と結論付けているようにも。
「貴方の鬼道のことを教えてくれれば、こっちも快くお教えしますよ」
 白井はそう答えた。
「……まあ、そうなるだろうな。私を戦力外としても、丸腰なうえに二対一だ。ここで我々三人を独力で捕らえよう、などと思っているわけではないのだろう?」
 そこにどういう理屈が伴っているかどうかはさておき、傷を治すという鬼道を用いて今この場に現れた白井は、ならばその身以外のものをここに持ち出せるわけもない。故に言葉通り、いや言葉の意味するところ以上に、今の彼は丸腰なのだった。
 武器の金鎚はもちろん、他の鬼達と連絡を取るための携帯電話、そしていつも掛けている眼鏡すらない。
「あー、あと二十歳若かったらなあ」
 とここで、残念そうな声を上げたのは逢染。
「素っ裸のイケメン二人が絡み合ってんのにおばちゃん何の興奮もないわ」
「…………」
 明らかに何かを言おうとした求道だったが、どうやらその言葉は飲み込むことにしたようだった。
 対して逢染は、求道の質問に対して返答をしないでいる白井を一瞥してから話を続ける。
「お互いやる気ないってんならもう帰っちゃわないかね求道くん。要求通りに鬼道の教え合いっこするってわけにもいかんでしょ?」
「……そうする他ないでしょうね」
 逢染と鰐崎の二人掛かりで何とかして白井を無力化できたとしても、求道達には何の見返りもない。廃病院での鰐崎の証言を信じるのであれば、逢染と鰐崎はそもそも求道の私用に巻き込まれただけである。そしてその求道にしても目的は飽くまで緑川である以上、言ってしまえば彼らは全員、鬼とは一切関わらない方が都合が良いのだ。
 ……言うまでもなく、手遅れではあるのだが。
「というわけだ、鬼。鰐崎くんを離してやってくれないか? お前としても長い間密着していたくはないだろう」
「それはまあ、そうですね」
 相手の方が大して嫌がってなさそうだというのも実に気持ち悪い……などとふざけたことに頓着していられる状況でもないのだが、しかし鰐崎を捕まえている理由がなくなったのも間違いない。
 黄芽達に連絡が取れさえすれば、このまま鰐崎だけでも強引に確保する、というのも考えられなくはないのだろうが……。
 ――本当に、役に立たない能力だなあ。


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