……という内情はともかく、表面的には釣れないものであった白井の返事に、しかし鰐崎はこれまで通りに「うふふふ」と笑ってみせる。
 やっとお話ししてくれましたね、という彼の言葉が頭の中で勝手に再生されてしまうくらい、それは実に楽しげな笑みだった。
 とはいえ前述の通り、それは「これまで通り」なのだが。
 そしてこれまで通りということは、つまり――。
「あまり力量の差を見せ付けてしまったら、『危険なので私達のことは見捨ててください』なんて言ってしまうかもしれませんものね? 逢染さんはともかく、私なんかは。求道さんが目的なのにそれは宜しくないでしょう、貴方がたとしては」
 ――おっと、元の話か。
「そこまでの仲間意識があるようには見えませんけどね、あなた達は」
 頭を切り替えるついでに嫌味の一つも返してやったところ、「ふむ」と顎に手を当てしばし考える仕草を見せる鰐崎。
「求道さんとお連れの姉弟、それに響さんと逢染さん、でしたよね? 貴方がたがこれまでに会った、我々『組織』の人員は。うふふ、ならまあ、そういう評価も仕方がないのかもしれませんね」
 ――穂村姉弟だけ名前で呼ばないのは……? いやそうか、確かあの二人は『組織』とやらに属してはいないんでしたっけ。求道が連れ歩いてることくらいは把握している、ってところですかね。
「鬼としてあなた達のような悪人と関わり続けている立場から言わせてもらえば」
「はい」
「あなたのような人の方が希少です。というか、異常です」
 死後の人間は他者への関心が薄れがちである。それが悪人ともなれば尚更に。
 他に比べて平和なこの地域を仕事場としていても――とはいえ、それも最近ではこの有り様なのだが――その定説から外れるような例は、そうそうお目に掛かるものではない。
 しかしその希少で異常な例は、ここでもやはり「うふふふ」と。
「ならば最後に一つ、異常ついでにお尋ねしておきましょうか」
「何ですか?」
 異常、という言葉に何か引っかかるものがあったらしい鰐崎は、次の話題を持ち出してくる。
 やっと最後か、という言葉は飲み込んでおいた。
「私は全人類を愛しています」
「…………」
「勿論、その全てを平等に、というわけにはいきませんがね。特別な人だってそりゃあいます――が、しかしどうやら、それでも私は普通ではないらしい……異常であるらしい。まず自分が人間だというのに、どうしてその自分と同じ人間を愛せないのか、愛せる人間と愛せない人間に分けてしまうのか、私にはさっぱり分かりませんがね」
 生返事くらいしか返せるものがなさそうな白井だったが、しかし次の瞬間にはそうも言っていられなくなってしまう。鰐崎はここで、例の槍を身体から突き出したのだ。今更第二ラウンドというのも考えにくくはあったが、しかしそうなれば白井としては当然、その意図は察せられずとも、身構えるくらいのことはしてみせる。
 しかし鰐崎、それにはまるで構うことなく、呑気にその突き出した槍を指差していた。
「その異常性が反映されて、これはこんな形をしているんでしょう」
 指し示された槍の先端からは、手が生えていた。いや、つまりそれは槍ではなく、腕だということなのだろう。
 そしてその腕はひらひらと、さも親しい友人か誰かに向けられるように、穏やかに振られていた。無論この場合、その相手は白井ということになるのだろうが。
「『シェイクハンド』。長さも太さも自由自在ということで、普段は可能な限り細めて槍として用いていますが、これが私の鬼道本来の在り方なんですよ。誰とでもいくらでも握手がしたい、というだけのね」
「……それで?」
「であれば、貴方はどうなんです? 僅かな血液から全身を再生させる、なんて怪物染みたその鬼道は、一体どんな異常性を根源としたものなのでしょう?」
 もちろん怪物だろうが何だろうが人間である時点で私は貴方を愛していますが、などと付け加えてもくる鰐崎だったがしかし、その言葉が白井の意識を掠ることはない。
「珍しい話でもないですよ、別に」
 ――やってみろ、と言われたことを実行しただけのことですしね。

「ただいま戻りました、黄芽さん」
「服着てからにしろボケ」
「着てますって」
 自宅を経由し、替えの服を着てから廃病院に戻った白井はまず、こちらを振り向きすらしない黄芽から、理不尽な叱責を受けることになった。裸のまま戻ってくるわけないじゃないですか――とまでは、しかし言い返さないでおいたが。
 黄芽は、気分でも悪そうにベッドに突っ伏していた。あの時あの場で別れてからすぐに戻ってきたのだとしたら、もう結構な時間そうしていることになるが……。
「もう少し後にしますか? 報告。なんだったら、他の皆にはもう話しましたんでそちらから――」
「うっせえ。虚勢くらい張らせろクソ眼鏡」
「……はい」
 服を着ているかどうかすら確認しないでいた黄芽は、ならばその時白井が浮かべた微笑も同様に確認できなかったことだろう。少なくとも、顔ごとそっぽを向けられたままのその目では。


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