第三章
「袖振り合うも多生の縁っていうけど、その相手が誰かくらいは自分で選ばせて欲しいよな」



「なんでこうなっちまったかなあ」
 田上はひとりごちた。が、彼は現在、一人でいるわけではない。
 なので必然、彼の隣にいるもう一人は、その独り言を独り言とは取らずに返事をする。
「なんでって、そんなのよっしーのため以外にあるわけないじゃないですか」
「だろうなあ」
 知りたかったのは動機ではなく原因だ、と言いたくなる田上だったが、それを口にしたところで無駄な問答にしかならないのは間違いない。故にこそ今のは独り言だったわけだし、故にこそ、質問に限らず頭に浮かんだあれやこれやの言葉を、ここはぐっと堪えておく。
 ……田上は今、浮草と二人で散歩に出かけていた。二人だけで。
「でも、それにしたってだよ」
「何ですか? しつこいですね」
「そういう態度を取るくせに自分から来たよな、お前。詠吉に言われて、じゃなく」
「そのほうがよっしーが喜んでくれると思って!」
「だろうなあ」
 一応程度に理解はできているつもりでいるのに、一言二言交わしただけで何故こうも疲れが貯まるのか。田上は大きな溜息を吐いた。
 が、しかしそれはともかく、今神が喜んでいたというのは事実であった。嬉しそうに口元を緩ませた後、田上を心配してもいたが。
 そしてその心配された田上としては自分と、いや今神以外の人間と二人で外出するという、前代未聞ともいうべき浮草の申し出については、断るという選択肢を取ることももちろん考えた。しかし嬉しそうにしている今神の手前ということもあり、そしてそれに加え、その直前までしていた愛坂との話について思うところがあり、こうして浮草の申し出を受け入れるに至ったのだった。
 ――至らないほうが良かったんじゃねえか? 俺。


「で、どうしたんだあれ。浮草のやつ」
 一方、先程まで浮草と田上がいた、今神と浮草が共同で使用している二人の自室。
 全てが本物の分身を作り出し、別行動を取ることができる鬼道を持つ田上は、こちらに一人、その分身を残していた。いや、全てが本物である以上、分身を浮草と共に送り出した、とも言えるのだが。
「あいつの頑張りがまた一つ実を結んだ、ってとことでしょうか」
 今神は未だに、加えてとても嬉しそうにしていた。田上が浮草との同行を受け入れ、心配の必要がなくなった――とは言わないまでもいくらか軽減されたこともあって、最早そこには気後れも遠慮もない。
 そして、田上がここに残ったのはそれが理由である。今神がそんな様子でもなければ、彼の読書を邪魔してまで話をしようとは思わなかっただろう。
「浮草の頑張りねえ。一応、趣旨は理解してるつもりなんだけど」
 言って、田上は表情を曇らせた。すると今神も、それに合わせたかのように。
「あー……いえ、田上さんに納得してくださいとはとても言えないですよ俺。説明しておいてなんですけど」
 とまで言った今神は、それに添えるかどうか迷ったような間を空けてから、一言付け加えてきた。
「誰が一番の被害者かって言ったら、やっぱりそれは田上さんなんですし」
 被害。田上がこれまで浮草から受けてきた被害は一つや二つで済む回数ではなかったが、この話について今神がそれら大量の被害のうちどれを指しているのかは、すぐに察しが付いた。
 ので、むしろ努めて明るく振る舞ってみせる田上。
「それはまあそうなんだろうけど、お前が気にするこたねえよ。いつも言ってる『彼氏だから』ってのも、あの時はまだそういう関係じゃなかったんだしな」
「それはまあそうなんですけどね」
 ぎこちないものではあったが、今神も田上に合わせた表情を浮かべてみせた。
 ――それくらいじゃねえと浮草と付き合ってなんかいられねえよな。っていうのは、言わないほうがいいんだろうか?
 と迷うくらいならそれは言わないでおけばいいとして、もう一つ。
 やはり田上の想定した件について話していたらしい今神に、こちらは口に出して尋ねたいことがあった。
「で、俺の方としても今更あのことはもうどうとも思ってねえんだけど、どうだよその辺。面倒臭えだろ、一々ぼやかした感じで話するのも」
 つまりはもっとはっきり具体的に話してもらって構わないと、いやいっそ具体的に話してくれと頼み込むくらいのつもりで、田上はそう言った。
 浮草のことが話題に上ると、時折この話が背景にちらつくことがある。しかし今もそうだったよう、それが表立つことはなく、互いに気を揉んでそれが背景を過ぎ去るのを待つ――というような状態を、田上はそろそろ脱したかったのだ。
 もちろん、控えめな性格の今神にとってそれは、田上がそうするのより敷居が高いであろうことは分かっていた。しかしこれが浮草に関わる話である以上、今神にとってもそうするほうがいい筈だ、とも思っていたし、そう判断したのであれば遠慮はしないとする程度には、田上は今神のことを気に入っていた。
 ので、もう一言。
「殺されかけた、なんて言ったらそりゃ大事っぽく聞こえるけど、実際にはあっさり俺が勝っちまったわけだしな。いやまあ、勝ち負けなんて話じゃねえんだろうけどさ」


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