「てめえ……!」
「またお会いしましたね」
 純白の仮面で顔を覆っている――覆い尽くしている女、荒田頼子。敵である彼女と偶然にも再開してしまった田上はしかし、その時座っていたブランコから立ち上がるようなことはしないでいた。
 あまりに突然の出来事に身動きが取れなかった。
 ということでは、なかった。
 荒田は水を操る鬼道を持つ。それもただ液体として自在に操るというだけではなく、「水で殴り掛かる」、「水で壁を作り敵の攻撃を防ぐ」という、およそ液体の性質を無視したような扱い方すら可能なものである。
 そしてその液体らしく自在に形を流動させ、かつ液体らしからぬ硬度を持たせられる「水」を、彼女はペットボトルに入れて持ち歩いていた。今現在は視認できないが、だからといって今は持っていないなどと楽観はできないだろう。
 つまり、もしかしたら同じ公園の中にいる時点で既に、田上は彼女の射程圏内に入っていたかもしれないのだ。ましてや、こうして隣り合うブランコに並んで座っている状況など言うに及ばず、である。なので田上は、不用意に立ち上がろうとして隙を作ってしまうことをこそ警戒したのだった。もちろん座ったままの体勢にも隙があると言えばあるのだが……そちらについてはしかし、対応策がないわけでもない。少なくとも、余計な動作の最中を狙われるよりはずっとマシだと判断した。
 ちなみに、攻撃するつもりがあるならそもそも自分からこちらに近寄った挙句ブランコに座ったりはしないだろう、という判断ができたのは、もう少し後のことである。
「こんな所で何やってんだてめえ」
 数瞬の間を挟んでも攻撃を仕掛けてくる様子のない荒田に、田上はそう問い掛けた。彼からすればそれは、当然の疑問だと言えたのだが。
「…………」
 荒田は暫く黙り込んだ。なんせその顔をすっぽり仮面で覆ってしまっているので、答えに窮しているのか返事をするつもりがないのかは、判断のしようがなかったのだが、
「それはもしかして、今の今まで私の存在に気付いていなかった、ということですか? 自分で言うのもなんですが、こんな分かり易い格好をしているのに」
 その格好のおかげで表情は窺えないながらも、その声には微かに嘲りの色が含まれていた。となると田上としては返事をし難いところではあるのだが、しかしそもそも、そうして体裁を気にしてみせるような相手ではない。
「気付いてたらこんなとこで呑気にブランコに座ってるわけねえだろ」
 加えて、人がいることには気付いていたが、こちらに背中を向けていたせいでそれを荒田だとは気付けなかっただけだ――ということも説明しようと思ったが、それこそ体裁を気にした言い訳にしか聞こえなさそうだったので、それは省略しておくことに。
「つーかお前の方こそ、俺だって気付いてたんならなんで並んでブランコに座ってんだよ」
「不意打ちなどしなくても、貴方くらいいつでもぶちのめせるからです」
「――――!」
 その発言に、臨戦の緊張をいっそう張り詰める田上だったが、
「冗談です」
 と、荒田は言った。しかしもちろん、敵である荒田のそんな言葉で素直に緊張を解けるわけもない。神経を張り詰めさせたまま、田上は尋ねた。
「冗談って、何がどう冗談なんだよ」
「戦うつもりはない、ということですよ。……ああ、『貴方くらいいつでもぶちのめせる』というのは本心なので、勘違いなされないよう」
「ああそうかい。で、じゃあ結局、こんなところで何やってんだっていう最初の質問に答えろよ」
「この公園の掃除です。貴方は気付いていなかったようですが、ここに座るまでずっとその作業をしていたんですよ、私」
「…………」
 それは知ってるっつの。とは、わざわざ言わないでおく。
 そして田上は、ここでとうとう全身に張り詰めさせていた緊張を解いた。掃除をしていたのが事実だということを知っていたとはいえ、戦うつもりがないという荒田の言葉を信用したわけではない――が、しかし未だに彼女が武器とする「水」を持ち出す様子がない点について、「俺だけ必死で馬鹿みてえじゃねえかこれ?」と思ってしまったのだった。
「……で、なんで公園の掃除なんだよ」
「単に今日の仕事がそれだというだけのことですが。一つの仕事に拘っているわけにもいきませんのでね、私と智代さんは」
 その名前をはっきりと覚えていたわけではなかったが、しかし荒田がここで名前を出す何者かとなれば、まず間違いなくあの女だろう。荒田に同行し、愛坂と戦闘を――気付けばただの口論になっていたのだが――を繰り広げていた、あの小太りの女。
 田上は周囲を見渡した。が、思い浮かべたその人物の姿はない。
「智代さんなら今日は私とは別の仕事に就いていますよ。と言っても、後で合流することにはなっていますが」
 荒田のその言葉を、田上は無視した。当たり前だが、その「後で」のタイミングまで荒田と一緒にいるつもりなど更々ない。


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