「ヴほっ……!」
 その悲痛さに覆われた呻き声は、巨体が高所から落下、着地した際の衝撃音によって掻き消されてしまった。もしもそれを田上の耳が捉えていれば、また対応は違ったのかもしれないが……しかし捉えられなかったが故に彼は、聴覚ではなく視覚を頼りに、その状況に対応することになってしまった。
 周囲の住宅の屋根かはたまた電柱にでも上っていたのか、高所から落下してきたのは、金剛と並ぶほどの大男。
 そしてその脇には――傍には、という意味ではなく、本当に言葉そのまま脇なのだが――小柄な少女が抱えられている。彼女は地面に届かない手足をだらんと垂らし、ぐったりとしていた……腕を回されている腹部に、着地の衝撃がもろに伝わってしまったのだろう。
 その光景を前にした田上は、
「金剛さん! こ、こいつは……!?」
 金剛と並ぶほどの大男。それはまさしくつい先程その金剛がここで会うことになっていると語っていた「この地区の鬼」の特徴であるし、そしてそんな人間がそこら中にいるわけもなく、ならばほぼ間違いなく、目の前の男は金剛とシルヴィアが会うことになっていた人物なのだろうが、しかし田上はつい、その大男を「こいつ」呼ばわりしてしまうのだった。
 なんせ、どう見ても少女誘拐の現行犯にしか見えなかったのだ。
 が、金剛は溜息交じりに「安心しろ」と言う。
「こいつ等が今話していたこの地区の鬼だ。……見た目よりはまともな奴等だぞ、一応な」
 ――こいつら? やつら?
 大男の方はともかく、どうやら脇に抱えられてぐったりしている少女にまで今の言葉を向けたらしい金剛。であれば当然、あの少女もこの地区の鬼ということになる。
 その情報だけでも困惑しないではない田上だったが、しかしそれだけではなく。
 ――デカい男のせいで気絶してるだけっぽいのに、見た目よりはまともって……?
「おい安藤」
 困惑しっ放しの田上を横に、金剛が男に話し掛けた。
「おう金剛! 久しぶりだなわっはっはっは!」
 安藤と呼ばれた大男は、あからさまに困惑した表情の初対面の少年、そして呆れた表情の知り合いを前に、屈託の無さ過ぎる笑顔と共に挨拶をぶつけてきた。
「そうだな」とだけ返してから、引き続き呆れた表情のままの金剛は言う。
「……今回のこれもどうせ考えたのは華道なんだろうが、少しは労ってやれ」
「俺もそのつもりはやまやまなんだが、とはいえ弟子が師匠に逆らう訳にはいかんからな!」
 ――ええと? その華道って人がこの背も声もデカいオッサン、というか安藤さんの師匠で? そんでその華道さんがこの……安藤さんを高い所から飛び降りさせたってことか? でもそれだと、あの女の子は確実にただの巻き添えってことに……いやでも、そんな酷い話だったら金剛さんとシルヴィアさんがそれだけで済ませる筈が……んん?
 その認識であれば、例え初対面でしかも相手が鬼だとはいえ、田上にとっても憤慨して然るべき状況ではあったのだろう。が、先程から深まるばかりの困惑は、それをいとも容易く塗り潰してしまうのだった。
 そしてそんな田上の前に、より一層困惑を深める情報が。
「うむ! というわけで起きろ師匠!」
 安藤がそう言って、脇に抱えた少女の頭をぺしぺしと叩き始めたのだ。
 それはある意味、「答えが出た」と言ってもいい一コマだったのかもしれない。しかし田上は最早、その情報の整理を放棄してしまうのだった。
「落ちてはぁ、いないですよぉ」
 田上は理解を放棄したが、この地区の鬼であり安藤の師匠であり、今回の件の立案者でありかつ被害者でもある、華道と呼ばれたその少女は、まるで寝起きであるかのようなとろんとした声を漏らす。
 気絶と睡眠を一緒くたにはできないにせよ、ならばその言い分に反し、気絶していたと捉えられなくもないのだが――。
「あー、今度はそういう」
 何かを得心したかのようにそう呟いたのは、浮草だった。
「ん? 今度はって何が」
「はっ!?」
 どういう意味かと田上が浮草に尋ねようとしたその瞬間、たった今上げた力の抜けた声色はどこへやら、逆に力の籠った声を上げた華道。がばっと上げられたその顔は驚きに満ちており、その視線は田上と浮草に向けられており――。
 そして数瞬の間ののち、その顔は今度は羞恥で真っ赤に染まることになってしまう。
「ちょっちょちょちょ安藤さん!? 知らな、知らない人が居ますけど!? 私そんな話聞いてな――あーいや! いや説明の前に下ろして! 早く下ろしてお願いしますからあああーっ!」
「ふはははは! 師匠は可愛いな!」
「今そういうのいいですからーっ!」

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