六親。
 構成員の大多数を享楽亭の被害者が占めているこの組織は、その享楽亭の壊滅を目指している。
 が、今それを口にするわけにはいかなかった。
 自分が六親という組織に属していることは、前回の戦闘時に名乗り口上という形で伝えている――思い出すだけでも恥ずかしいが――しかし、六親が何を目的としている集団なのかは、その時は伏せていた。
 荒田と定道、そしてその二人に愛坂真意の確保を依頼した何者か。「本物の愛坂真意」に近付こうとする者を潰す、という愛坂の目的のため、六親という名前だけを餌の情報として流したのである。
 いずれ行動を起こす時は来るのだろうが、少なくとも今ではない。なので今はまだ、敵対組織として享楽亭に相対するわけにはいかない――ので、
「今回こちらに戦う意思はありませんが、そちらがその気であれば応じない理由はありませんよ」
 その白い仮面を叩き割ってやりたくなる衝動を、田上は抑える必要があった。
 故に、話題を逸らす。
「なんで享楽亭なんかに入ったんだよ、お前」
「貴方には関係のないことです」
「へー、つまり何かしら理由はあるわけだ。暇だったから、なんて適当なもんじゃなしに」
 仮面の向こうから、舌打ちが聞こえた。
「小賢しいな糞餓鬼」
「そりゃどうも。普段周りから馬鹿馬鹿言われてる俺からすりゃあ褒め言葉だわ」
 荒田は黙った。
 彼女は以前、口調が荒れたのを定道に咎められた、というようなことを言っていた。今この場に定道はいないが、しかしこれは、それでも口調が荒れそうになるのを抑えている、ということなのかもしれない。
「お前の都合にもう一人が付き合ってるのか、それとももう一人の都合にお前が付き合ってるのかって考えたら、まあ付き合わされてるのはお前の方だよな。前に二人でいた時の雰囲気を考えたら」
「黙れ……!」
 具体的にどんな都合かについてはまるで見当が付いていないのだが、しかしどうやら痛い所を突いてやれたらしい。絞り出すように吐かれた荒田の声は、怒りに震えさえしていた。
 ――って、自分で怒らせといてなんだけど、享楽亭で働く都合が「痛い所」だなんて、何か変な話だな……?
 荒田の怒りぶりに中てられた結果、逆に昂った気分が治まった田上は、続けて「何か知らねえけどキレるほど嫌なんだったら止めときゃよかったのに」などという感想を抱く。
 そしてその抱いただけで口にまでしなかったことは、この場合、それが功を奏した、ということになるのだろう。怒りに震える荒田はとうとう懐から水の入ったペットボトルを取り出すのだが、しかしそれでも、襲い掛かってくる様子はないのだった。
 そしてそのペットボトルについて、やっぱり持ってやがったか、と田上。それもわざわざ人目に付かないよう懐に忍ばせていた辺り、油断も隙もないことだが――。
「何も知らねえ癖に勝手なこと言うんじゃ――! 言わないで、下さい……!」
 ――…………。
 先述の通り、昂った気分が治まったというのもあるし、そもそも今回ここで事を構えるつもりはなかったというのもある。必死になって怒りを抑え、口調を正そうとする荒田のことが、田上は気の毒に思えてきてしまうのだった。
 もちろん荒田が憎むべき敵である以上、それは同情というよりも「いい気味だ」という思いを皮肉で覆い隠しただけのものなのだが。
 何であれ、今の田上には戦うつもりがないどころか、これ以上嫌味を言うつもりすらない。そして荒田の側も、これ以上こちらから何もしなければ、手を出してくることはなさそうだった。
 これらの状況が重なった田上に最早緊張感は全くなく、なので、手を出してこなさそうとはいえ武器であるペットボトル、もとい水を手にしている荒田を前に、その視線を逸らしさえしてしまうのだった。とはいえ他に見るべきものがあるわけでもなし、それは今まで隣のブランコに座っている荒田、つまりは横へ向けていた視線を、何の気なしに正面へ向けたというだけのことだったのだが――。
 田上はそこで彼の鬼道、「分身」を発動した。
 目の前に二人、その向こう側にもう一人。最大数である五人から浮草と行動している一人、そして今ここにいる自分自身を除いた残り三人の自分を全て、正面に並べさせた。
 無論、いきなりそんなことをしてみせれば荒田は動く。どうやら今まで座っていたブランコを跳び退いたようだったが、しかし田上はそのことについて、音と気配だけで察する他なかった。
 何故ならば事態には一刻の猶予もなく、荒田の動向を確認している暇などない。それ故に田上は、今回荒田と邂逅した直後と同様、ブランコから立ち上がるために要する一瞬の時間すら惜しんだのだった。
 が、事態に対してどう行動するかを決め、分身を呼び出した後であれば、最悪「この自分」ならぶん殴られても問題はない――何がどうなろうが、分身は動けるのだから。


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