「あ、あの、ありがとうございました」
 助けた少女は、おずおずと頭を下げてきた。
「ありがとうございました」
 もう一方の少年も同様に頭を下げてくるのだが、しかしそれは形だけ少女に倣ったという体のものであり、その声と表情からは不審そうな、もっと言ってしまえば田上達に対する警戒の色が滲み出ていた。
 が、それは無理もないことなのだろう。怪我こそしていないようだが、彼は田上の、つまりは修羅の力で突き飛ばされたのだ。それは力加減や打ちどころを一つ間違えれば、あの暴走車に接触するのとそう変わらない結果に繋がっていたかもしれない――それを考えれば、荒田が操る水の球でゆっくりと安全に運ばれた少女との対比から、不満を持つなという方が無理というものなのだろう。
 ……が、そもそもそれ以前に気に掛かることが、田上にはあった。
 ――なんでこいつら、二人揃ってこんな平然としてんだ?
 田上と荒田が共に鬼道を使ってみせた、ということについては、この様子を見るに鬼道、ひいては修羅や幽霊のことも、どうやら知っているということではあるのだろう。しかしそれにしたってたった今死に掛けたばかりなわけだし、そしてそれより何よりも、
「貴方からはお礼はないんですか?」
 ――どう見ても怖えだろ、いきなりこんな仮面してる女が出てきたら。
 謝礼の言葉を求めてくるその仮面女を前に、助けた二人の様子に首を傾げる田上。しかし、今はそれよりも優先すべき話があった。緊急に。
「これ以上死なねえっつっても助けてもらったのは事実だし、礼はあとでちゃんとする。ただその前に、一ついいか」
「……何でしょうか」
 この場面で別の話題を持ち掛けたことについてなのか、それとも敵である自分に素直に礼をすると言ってみせたことについてなのか。返事の前に、怪しむような間を挟む荒田だった。
 ただ、今の田上は、その間すらも惜しいほど時間に追われている。その点については、横で置いてけぼりになっている二人を助けている最中から何も変わっていない、と言えるのかもしれなかった。
「その仮面外せるか、お前」
「急に何を馬鹿な」
「時間がねえ。外せるかどうかだけ先に答えてくれ。っていうか外せるなら今すぐ外して、無理ならどっかその辺に隠れてくれ」
「…………」
 田上の切羽詰まった物言いに気圧された、というわけではないのだろうが、荒田はそれ以上悪態を吐くこともなく、しばし考えるような間を置いたのち、言われた通りに仮面を外してみせた。
「で、何なんですか」
「…………」
 ならば今度は、田上が黙り込んでしまうことになる。荒田が仮面を外した時点で時間の制約からは解放されているのだが、心労の方は解放されるどころか増すばかりであった。
 そんな田上を鼻で笑ってから、荒田は言う。
「お気遣いは結構ですよ。隠したいものは『これ』ではありませんし、隠したい相手も貴方ではありませんしね」
 そう説明を受けた田上は、元から出せそうになかった言葉を、すっかり飲み込んでしまうほかなかった。
 ――……悪いな、こっちの都合で。
 説明に入る。
「俺が鬼道を使うと、その鬼道を使ったことと使った時にいた場所が、他の俺にも伝わるんだよ。で、俺は今日、ここに来る前から二人に別れて出掛けてたんだけど――」
「ああ、前に見た時より人数が少ないと思ったらそういう」
「そのもう一人の俺が連れてる奴が、敵だと判断したら問答無用で襲い掛かっちまうような奴でな。で、話だけとはいえお前、というか『白い仮面の女』のことは聞かせちまってたから……」
「そんな奴は二人もいないだろうって話ですか。ふん、貴方の仲間くらい、そうなったらなったで返り討ちに――」
「そういう問題じゃねえんだよ」
 食って掛かるように割り込んだところ、荒田の顔が苛立ちに歪む。
 今まで仮面に覆われて見えていなかったものが見えた田上は、しかし委縮するでも同調して苛立つでもなく、何故だか無性に、彼女が気の毒に思えてしまうのだった。
「無用な喧嘩は避けようって考えにはなんねえのかよ、ちょっとくらい」
「うるさい……!」
 凄みを効かせた低い声を上げる荒田だったが、しかしそれに反し、苦々しそうにそっぽを向いてしまう。
 彼女が先程言っていた、隠したい相手。荒田に関連のある人物を定道しか知らない田上は、ならばそれは定道のことなのだろうなと思うしかないのだが、一方の隠したいものというのは――たった今隠すようにしてみせたその苛立ちの表情なのではないかと、そんなふうに思えてしまうのだった。


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