「緊急性によっちゃあただ走るより速い移動方法もあるんだけど、その辺どうですか? 田上さん」
「あー、ええっと……」
 二組の鬼と、一組の修羅。六人総出で「もう一人の田上」の反応へ向けて移動していたところ、もう一人の時分の反応を感知できるということから自然、その先頭を走っている田上へ、華道がそんな質問を投げ掛けてきた。
 田上は考える。なにせ自分自身のことであり、戯れに鬼道を使う、なんてことがまず有り得ないことなのは分かっているのだが、とはいえ「あちらの自分」に何が起こったかが分かるわけではなく、なたば、到着してみればそう大したことでもなかった、とういことになる可能性も充分に考えられる――なにせ幽霊である、そうそうには「大したこと」になどなりようもないのだから。
 鬼まで巻き込んでおいて肩透かしな結果に終わってしまうことを考えると、ここで大層なことは言いにくい田上だったのだが、
「あー、じゃあ田上さん、あたしが先に行ってますよ。しょーもないことで走ってるのも馬鹿らしいですし」
 悩んでいたところへ、浮草がそう提案してきた。
 ――対象が俺だってだけでしょうもないことだと断定しやがったなお前。
 と、しかし浮草ならそこはそうもなろうという話でもある。が、それに加えて、
「というわけで方向は? このまま真っ直ぐでいいんです?」
 提案に対する了承など待たずに行動に移ろうとまでする浮草だった。
 とはいえ、どうしたものかと悩んでいたこの場面において、浮草の提案自体は有り難いものではある。ので、余計なことはいわないでおくことにする田上だった。
「いや、あっちの方。なんかちっさい公園あっただろ、移動してなけりゃ多分その辺だ」
「りょーかーい。んじゃ行ってきまーす」
 そう言うや否や、浮草は鬼道を発動させた。
 ふわり、とその身が宙に浮かび上がったかと思うと、今しがた田上が指さした方角へと空中を移動し始めた――。
「わーっ!」
 その様子を見て声を上げたのは華道である。
 そしてその途端、彼女もまた空中を移動し始めたのだった。
 ただし、文字通りに空を飛び始めた浮草とは違い、華道は空中を移動し始めてからも足を動かし続けている……つまりは、空中を走っていた。
 それぞれ別のものである二人の鬼道の詳細は、しかし今はともかくとしておいて。華道が声を上げたのは、なにも浮草の鬼道に感激したというような話ではなかった。
「浮草さん! スカート履いてるのにそんな!」
 田上は無言でうんうんと頷いた。
 一方の浮草はというと、
「あ、そういうの気にする人でした?」
「少数派みたいな扱い方!?」
 彼女自身に代わってその全身でガードに入った華道に対し、何の問題があろうかとでも言わんばかりの調子である。そして残念ながら、実際にそう思っているのは間違いなかった。
「安藤さん! 上見ちゃ駄目ですよ絶対!」
「はっはっは! もう遠過ぎて何も見えんぞ師匠!」
「ならいいですけどー!」
 最後に安藤とのそんな遣り取りを残して、華道はそのまま浮草と共に飛び去って、もとい走り去ってしまったのだった。
「い、今のは……?」
 という質問をすべきタイミングはとっくに逃してしまっている気がしたが、とはいえ尋ねないわけにもいかない田上であった。というのはもちろん、空中を走り去った華道についてなのだが。
 答えたのは、彼女のパートナーである安藤。
「うむ! あれこそが師匠の鬼道、『エア・ココア』だ!」
「ココア?」
 エアは分かる。見ての通り、空中を移動していたのだから。しかしそこにあの甘い飲み物がどう関係するのか……それとも、原料の植物のことだろうか?
 どちらにせよまるで関連性が見出せないその名称に田上が困惑していたところ、
「後で怒られるぞ安藤。勝手に教えて」
「うむ?……うむ! そういえばまだ言っていなかったな!」
 そりゃ今初めて鬼道見たんですし、ということでは、しかしなく。
「華道心亜! それが師匠の名前だ!」
「いやだからお前勝手に……」
 勝手に教えたら怒られかねない情報を、更に詳しく教えてくれた安藤だった。
 ――そういえば華道さん、下の名前は名乗ってなかったっけか。ココア……まあ、確かにちょっと変わった名前ではあるよな。
「師匠はどうも自分の名前が好きではないらしくてな。俺は似合っていると思うのだが」
「ネー。可愛イのニ」
 華道の怒る理由に納得しないでもないでいる田上とは反対に、そんなことを言って頷き合う安藤とシルヴィア。止めに入っていた金剛は、もちろんというか何と言うか、あきれ顔である。
「似合うから嫌いなんだろうに。それに字面のことだって――いやまあ、お前は敢えて無視しているのかもしれんが」
「字面?」
 訊き返したのは田上である。この時点では花道の名前にどういう漢字が当てられているのか知らないので仕方のないことではあったのだが、教えたら怒られるという話であることを思えば、自分から教えてくれと言っているようで、失敗したと思わないでもない。
 が、ここまで来てしまうと、金剛にも最早渋る様子はなかった。
「心臓の心に……あー、亜熱帯とか亜鉛とかの亜だな。あいつの名前はそう書くんだが、その二文字を縦に並べたらどうなる?」
「縦に、ですか」
 今更ながら現在、田上を含めた全員が、全力とは言わないまでも疾走中である。この状況で頭を使うのには難しいところがあったが、
「ええと……あっ」
 心と亜。
 縦に並べると、悪。
 であった。


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