「それじゃあ、俺らはこれで。今日は本当にありがとうございました、色々と」
「ありがとうございました」
「べろー」
 もう何度目になるのか分からない礼を言って、二人は――もしかして三人とすべきなのだろうか?――は、去っていった。荒田が礼を言われることに鬱陶しさを覚えているらしいことを考えると、この後自分からも礼を言わなければならない田上としては、気まずさを感じないでもない……のだが、そうは言っても避けて通れない道である。
「死に掛けたってのにえらい爽やかに帰っていったなあ、二人とも」
 なんてことを言いながら、まずは荒田の様子をちらりと窺ってみる田上。先述した事情もあり、予想していた彼女の表情は憮然としたものだったのだが、
「ふむ」
 そこにあったのは、予想とはずいぶんと違う表情であった。頬に手を当てた荒田は、何やら思案顔をしている。
「……どうかしたか?」
「いえ、大したことではないのですが」
 内心ホッとはしつつ、しかしまだ慎重に声を掛ける田上に対し、荒田はさらりとこう返してくる。
「結局、最後まで誰も『これ』には触れてこなかったな、と」
「…………」
 それだったらまだ礼にうんざりしているという話をしてくれた方がまだマシだったなあ、と田上。とはいえ、それを口にはできないのだが。
「そりゃお前……初対面の相手でそこには触れられねえだろやっぱ。一応、女だってのもあるし」
「男だ女だって話はあんまり好きじゃないんですけどね」
 とは言うものの、それが影響してくること自体は否定しない荒田。彼女の本性を知っている田上としては意外に思える反応だったが、しかし同時に、危ない危ない、とも。彼女の「恋人」の件に限らず、性別の話はあまりしないほうが良さそうだった。
 ――って、別に今後長々と話をする機会があるような相手でもねえけどな。
 と、それはともかく、彼女の言う「これ」であるが。
 思案顔の彼女は、その手で自分の頬に触れていた。……それが、いやそこがそのまま、「これ」なのであった。
 彼女の顔――普段は仮面の下に隠れている彼女の素顔は、その右半分が、酷く焼け爛れていた。
 そして、更に。
「……そっちからその話題持ち出してくるってんなら訊いちまうけど、それ、やっぱ見えてねえのか? 右目」
「見えてないというか、ありませんよ」
 それまでずっと閉じていた右目を、ならば何故そうしていたのかと言いたくなるくらい、あっさりと開いてみせる荒田。しかしそこには、見せるようなものは何もなかった。強いて言うならば、空洞があるだけである。
「この状態のまま霊になるくらいには長い付き合いなんで、私自身は何とも思ってないんですけどね」
「そうか」
「それだけですか?」
「何か言って欲しいのかよ、俺に」
 まさか同情して欲しいなんてこともないだろうし、と眉を顰める田上だったが、
「『霊になったら傷は消えるんじゃないのか』なんて、言われがちではあるんですけど」
 そうしているほうが普通になっているということなのか、開いてみせた右目を閉じつつ、拍子抜けしたように言う荒田。憮然としているか仮面越しに激怒しているかの印象しかなかった田上としては、彼女のそんな気の籠もらない表情には「意外なものを見た」という感想を持たないではなかったのだが――ついでに、それを荒田だと知らないまま彼女の素顔を見た時に持ってしまった感想も、思い出してしまったのだが。
 その焼けた右半分から気を逸らすためでもあったとはいえ、まさかよりにもよって、この荒田を。
「ああ、そういう」
 それはともかく、現在進行中の話について。
 幽霊は、どれだけ大きな怪我を負っても――例えそれが身体の一部を欠損するようなものであっても、である――そう時間が掛からないうちに、その全てが治ってしまう。故にこそ、鬼も修羅もあの人間の身の丈に合わない多大な力を振るえてしまうのだが、という話は、今はともかく。
 その幽霊が持つ治癒力は、生前に負った傷に対しても有効である。なので幽霊になる際に負った傷、つまりは命を落とすに至る程の致命的な外傷はもちろん、それとは関係のないようなものであっても、全て治った状態で幽霊になるのが通常なのだが――。
「それ言うんだったらまあ、最初に仮面外したとこ見た時点で言ってるわな」
 という尤もらしい返事をしつつ、さてどうしたものか、と。つまるところ田上は「霊になっても傷が消えない場合もある」ということを知っているのだが、果たしてそれを荒田に話してしまってよいものか、悩むことになったのだった。
 が、
「そういう事例を知っていたということですね?」
 荒田に先回りされる形になってしまう。
「『六親』でしたか、もしかしてその中の誰かが」
「さあ。……少なくとも、浮草の性格は治らなかったみてえだな。知り合ったの死んでからだけど」
「ふん。まあ、深く詮索するつもりもありませんが」
 そりゃあそうだろうな、と田上。彼からすれば荒田は六親が敵と定める享楽亭の一員だが、荒田からすれば六親は今のところ、「自分には何の関係もない集団」でしかない筈なのだから。

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