「んで、俺に話があるってのは? あ、もしかして今のがそれか」
「いえ」
「違うのか……」
 相手が相手なので、要件があるというのなら早めに済ませてこの場を去りたい田上だった。が、しかししそれを意識したところで、
「あそうだ、助けてくれてどうもありがとうございました」
 自分の用事を思い出したのだった。
「……そういうのはもういいと言ったはずですけど」
「だからなるべくさらっと済ませただろ今。本当ならもっとちゃんと言いたかったんだぞ、こっちだって」
 …………もちろん。
 そう言ってみたところで荒田が田上の心情を汲んでくれるようなことはなく、気分を害したことを隠そうともしない左目からの視線に、真っ直ぐに射貫かれることになる田上。何か悪態の一つでも吐いてくれれば話が進んでむしろ都合が良かったのだろうが、荒田は憮然としたままである。
 ので、
「んで話って何なんだよ、結局」
 無理矢理に場面を次へ移行させることにするのだった。なんで敵同士がお互いに気分悪くしながら話なんかしようとしてるんだ、なんて疑問は、実に今更なことではあったが。
「そうですね、さっさと済ませてしまいましょう」
 あからさまに今現在の不機嫌さに左右されていそうな言い草だったが、そんなことを指摘しても余計に話が捻じれていくだけのような気がしたので、ここは黙って要件とやらを聞き流す体勢に――
「では、構えてください」
「は?」
「喧嘩しようってんですよ」
 聞き流せる類の要件ではないのだった。
 構えてください、という割に荒田自身はその姿勢を全く見せないでいるのだが、それはそもそも彼女がそんなものを持ち合わせていないからなのだろう。前回の戦いでも、たった今彼女がそう言ったよう、型に嵌らない『喧嘩』然とした――言い方を変えれば、素人同然の動きをしていた。
 ――まあそもそも、ペットボトル持ったままそれっぽい構え見せられたら笑っちまいそうだけどな。と、それは今いいとして。
「なんで急にそうなるんだよ。今更言うまでもねえけど、真意さんいねえぞ今回」
 という話は今日顔を合わせてすぐにも済ませたはずだったし、そうでなくともついさっき会った鬼達がまだ近くにいる可能性もある。まさかそんな状況で悪事を働こうとするほど馬鹿ではないと思うが、と田上がそう考えたところで、
「ただの興味です。ちょっと確かめたいことが出来まして」
 と荒田。どういうつもりかは不明ながら、つまりは手合わせとか腕試しとか、そういう意味合いのものなのだろう。それを「喧嘩」と表現するのはどうかと思ったが。
 表現の仕方はともかく、喧嘩を通して確かめるようなことというと、やはり鬼道についてということになるのだろうか。丁度、あの二人組の少年を助けた際にも鬼道を使ってみせたわけだし――と、そう推測を立ててもみる田上だったのだが、
「ああ、鬼道はお互いになしということにしましょうか。ややこしいんで」
 続けて出てきた荒田のその発言には、首を傾げさせられることになってしまう。
 ――鬼道のことじゃなかったら何に興味持ったってんだ? 他に何もしてねえだろ、今日は。
 こうも疑問ばかりを浮かべさせられてしまうと、敵である人物から喧嘩を売られたというのに、どうにも気乗りできそうにない田上。しかし、
「大丈夫ですよ。すぐに済ませてあげますから」
「……あんだと?」
 荒田の安い挑発に、あっさりと乗せられてしまうのだった。
「やる気になりましたか? ならいつでもどうぞ」
 ここまでと変わらず何の構えも取らないままそう言ってみせる荒田だったが、しかし田上はすぐには動かない。挑発に乗せられこそすれ、だからといって勢い任せに何の考えもないまま突進するほど、彼は無鉄砲というわけでもなかった。
 ――そもそも、鬼道は無しってのもただの口約束だしな。アイツがそれを守る保証なんてどこにもねえし、今日は目的の真意さんがいねえってのも、俺に手を出さねえって理由にはなってそうでなってねえ。むしろ俺が一人でいるうちに片付けちまおうって考えんのも、だとしたら舐めんじゃねえぞコラって話ではあるけど、まあ、考えられねえわけじゃねえんだしな。先にただの手合わせだってことにしとけば、もし鬼さん達が通りかかってもそういうことで通せるわけだし……ってことは、どうするか?
「来ないならこちらから行きますよ」
「好きにしろよ」
 ――よし。鬼道は使わねえ。けどアイツが使わねえとも思わねえ。使う前提で立ち回って、もし本当に使いやがったらその瞬間、迷わずこっちも全開で行ってやろう。ペットボトル……には限らねえかもしれねえけど、何かしら水の入ったもんを持ち出すってんなら、見逃すようなこともねえだろうしな。じゃあそういうわけで――。
「はい、終わりです」
「へぁ?」
「もう結構です」
 完全に虚を突いたタイミングで告げられた「喧嘩の終わり」に、かなり間抜けな声を発してしまう田上だった。
 すぐに済ませてあげます、なんて言っていた荒田だったが、すぐどころかまだ何もしていない。困惑極まる田上は、声だけでなく顔まで相当に間の抜けた装いになってしまっていたのだが、そのことにすら気が回らず構えだけは取ったままという、輪を掛けて間抜けな格好を晒してしまっているのだった。


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