「ん? いや、急かしたつもりはなかったんだが」
 と金剛は言う。急かすつもりがあるのならこれまでにいくらでも言う機会はあったわけで、ならば逆説的にその言葉に偽りはないのだろう。が。とはいえ田上としても、一度口にしたことを易々とひっくり返すわけにもいかない。そもそも、あちらがどう思っているかに関係なく、邪魔になっているのは間違いないのだから。
「いやあ、そろそろこいつの彼氏が心配し始める頃なんで……」
 浮草については何か話す度に周囲の皆からどんな顔をされるか心配になる田上だったが、とはいえ他にそれらしい理由も思い付かなかったのでそう言ってみたところ、
「そりゃ大変! 急いで帰らないと!」
 誰よりも先にリアクションを取ってみせたのは浮草だった。ので、少なくとも周囲から「また何か変な事言い始めたぞ」というような目を向けられることはなかった――いや、これまでだって一度としてそんな目を向けられてはいないのだが。そして向けられていようがいなかろうが、今の浮草のリアクションそれ自体がとても恥ずかしいものだったのだが。
「そりゃあ彼女が自分以外の男と出掛けてたら心配にもなるよね! 待っててねよっしー今行くよー!」
 ――誰がお前に対してそんな心配の仕方するもんか――って、危害を加えかねないって意味だとそうなるか……。
 物凄い勢いで飛び去る浮草を見送りながら、田上はそんなことを考えながらげんなりとさせられていた。飛び去りながらの台詞なので後半が殆ど聞こえなかったこと、そして彼女がここへ合流する際と同様の問題が発生していたことなど、最早意識に上りすらしなかった。
 しかし、見送り終えてから更にもう少々の間が空いてから、
 ――いや、お前だけ帰ってどうすんだよ。
 とも。
 この場を離れたいという意思を伝えていたわけではなく、ならなこうなるのも仕方のないところではあるのだが……つまるところ、こっからどうすんだよ、という話である。
「ふむ」
 とここで、困り果てた田上に近寄ってきたのは安藤。
「田上少年。どうも君は、その子を助けようとして上手くいかなかったことを恥じているようだが……」
 そう言って彼が視線を向けるのは、もちろん緑川という名であるらしい少女。
 ――ここで俺が帰ろうとしてるのって、それが理由でってふうに見えるのか? いやまあ、確かに気にしてないってことはないんだけど。
 文字通り人の命が掛かった一幕であったことを考えれば、恥じている、などという言葉が出てくるような場面ではないような気もするのだが、とはいえ自分が修羅であること、そしてもう一人彼女を助けようとした人物が敵である荒田であること、そして思い出す限り彼女が動き始めたのは自分より後だったことなどを加味すると……と、いったところであった。
 ここはあの僕っ子が無事だってことを喜ぶべきで、そんなふうに思ってちゃ駄目なんだろうけどなあ。と、ここでもまた恥じ入っていたところ、そんな田上の頭に安藤がぽん、と自分の手を乗せた。
 ――デカいし重い。
 ので、やられた側としては「ぽん」などという擬音で済ませられるものではなかったのだが。
 安藤は続ける。
「助けようとはしたのだろう? ならば、恥じることなど何もありはしないのだぞ。何もしなかったというならともかくな」
 とまで言われ、その声が今までよりも声量が抑えられていたこと、そしてその表情に神妙なものが見て取れたところで、田上は気付く。頭に乗せられた手は重いのではなく、力が入っているだけだということに。
 どうやら、安藤には何か思うところがあるらしい――と予想を立てるのは容易だが、しかしもちろん、その何かが何なのかまでは、というところでもある。
 田上は、そこに触れに行こうとはしなかった。
「んー……まあ、鬼さんはその人助けを仕事にしてるわけですから、そんなふうに捉えられるのかもしれませんけど……」
 と言い返してから、何だか嫌味っぽい言い方になってしまったかな、とも思わないでもない田上。しかし決して安藤の話に気分を悪くしたというわけではなく、言ってみれば結果よりも過程を重視したその言い分に、ただ違和感を持っただけだった。
 例えばもし、少女が無事で済んでいなかったとしても、同じようなことが言えるものなのだろうか……?


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