そんなふうに思ってはみたもののしかし、まさか無事に済んだ本人の目の前でそんな例え話をするわけにもいかず、なので田上は安藤からの返事を黙って待つしかない。
 のだが、
「んん?」
 安藤は首を傾げていた。口に出さなかった例え話は当然ながら関係ないとして、ならばそれ以外で何か変なことを言ってしまっただろうか。そんな心配に見舞われる田上だったが、
「あ、分かりましたよ安藤さん」
 と、華道。ここでその発言が出てくるということはつまり、彼女も安藤と同様、田上の話に首を傾げさせられるところがあったのだろう。となると、田上としては益々不安が募るばかりである。
 華道が続ける。
「田上さん、元々シルヴィアさん達とはお知り合いだったみたいですし、あっちのやり方が基準になってるんじゃないですか?」
「おお、成程」
 はて何の話だろうか、と今度は田上が首を傾げる番だった。知り合いと言うほどの仲ではない、というのはまあいいとして、あっちのやり方、というのは……?
「知り合いだというならそれこそもう知っているかもしれんが、金剛達の地区は他とちょっと違っていてな。……えーと、何さんだったか」
「紫村のことか」
「そうだ紫村さん。まあ、俺は会ったことないんだが」
 ――初めて聞く名前……だよな。ってことは前に会った鬼さん達ではないから、つまり……
「隠の人ですか?」
「そうだ。なんだ、あいつとも会っていたのか?」
「あ、そういうわけじゃないんですけど」
 板梨を追って愛坂と共にあの地区へ赴き、そこで取り調べという形で六人の夜行全員に会ったことがある以上、それ以外で鬼に関わる人物といえばもう、隠くらいしか思い当たらない、というだけの話ではあった。が、それだけで終わる話というわけでもなく、
「あそこの隠の人は凄い優秀だって話は、まあ、聞いてましたんで……」
 それを伝える田上の歯切れは悪い。修羅という立場上、それは優れた仕事人への感心や尊敬といった性質の話ではなく、気に留めるべき情報、要注意とすべき人物についての話として聞き及んでいたからだ。
 悪事を働くわけではないにしても、関わり合いにならずに済むのであればそれに越したことはないのだ――今の状況を考えれば、手遅れどころの話ではなくなってしまったが。
 というわけで、その優秀な隠の話。通常ならば事件が起こった後に隠がそれを調査し、情報が固まってから夜行に対処を求める筈であるところ、しかし金剛達の地区に限っては、事件が起こる前から夜行が動き始めているという。
 何がどうなってそんなことを可能にしているかは不明だが……。
「詳しいところは企業秘密ということにさせてもらうが」
「あ、はい。それはもう」
 そこをなんとか教えてほしい、などと厚かましいことを言える立場でないのは明白であろう。それどころか、こうして普通に会話していること自体、彼等の職業を考えれば、本来なら考え難いことである。
 ――って割に、その考え難いスタンスの人の方が多いような気もするけど……。
 敵ではないが味方というわけでもない。きっぱりとそう言い切ったナース服の女性を思い浮かべた田上は、次いでそのパートナーであるところの灰ノ原のニヤけ面も思い浮かべたところで、「苦労してるんだろうなあ」と。
 そして、それはともかく。
「その優秀な隠のおかげで、俺達はかなり早い段階から動くことができる。が、普通はそうではないから――」
 とまで説明を続けた金剛は、そこで安藤へと目配せをした。
 安藤が頷く。
「俺達が動ける頃には、事件はもう終わっているんだよ少年。『助けられる人』なんてものは、いないことが殆どだ」
 口元に浮かべた笑みは、先程までの豪快なものとは違い、弱々しいものだった。
 そんな彼を一瞥してから、華道が言う。
「あー、そういうわけなので田上さん、今回の件は鬼も羨む大手柄なんですよ? それこそ助けられる人を助けちゃったわけですしね」
「あ、ありがとうございました」
 華道の言葉に合わせ、緑川という名であるらしい少女が、改めて頭を下げてきた。
「あ、いえいえ、どう致しまして……」
 ――考えてみりゃ、そりゃそうだよな。事件はもう終わってる……うう、随分気安いこと言っちゃったなあ、俺。


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