「あの」
 自分に非はない、などと言うつもりはないが、だからといって頭を下げてみせるような場面ではないよなあ。と、今の話にどう対応したものか田上が決めかねていたところ、ここで動いたのは荒田だった。
「私はもういいでしょうか」
 もういい、とはどういう意味かと一瞬考える田上だったが、しかし理解はすぐに追いついた。もう帰ってもいいだろうかと、そういう話なのだろう。というか、この状況で彼女が自分から振る話題はむしろそれしかない、とも。
 であればなるほど、ここでそれを口にするのは、良いタイミングなのだろう。事情聴取という名目でこの場に留まらせられていて、しかも隠してこそいるものの享楽亭の関係者であるという立場から、変に目立つような言動は避けていた荒田。しかし今であれば、「空気を読んで立ち去ろうとする部外者」というふうに捉えてもらえることだろう。
 もしかしたら、本当にそういった意味での行動なのかもしれないが――。
 ――いや、ないよなコイツなら。って言い切れるほどコイツのこと知ってるわけじゃないけど。
「ああ、そうだな。……二人のことは、俺達からも礼を言わせてくれ」
「ありガとネー」
 思った通り、金剛達はそのまま荒田を帰そうとする。助けた二人も、揃って頭を下げてみせていた。
「では、これで」
 ということになれば、荒田はさっさと帰り始めるわけだが、
「……何してるんですか?」
「え?」
「貴方一人だけ残ってどうするんですか。行きますよ」
 ――…………。
「あ、ああ、そりゃそうか」
 何も一緒に行動する必要はないだろうに。
 ……とはいえしかし、コイツからすれば俺をここに残してはいけないか、とも。荒田が去った後で彼女の素性を鬼達に告げてしまうことも考えられるだろう。ここまで何もしていないことを考えればそれは杞憂でしかないもかもしれないが、注意してし過ぎるというようなことでもないだろう。
 田上としてはここに残って金剛と安藤の手合わせを見学させてもらいたいところではあったが、とはいえそもそも、それを望める雰囲気ではなくなってしまっている以上、ここは諦める他ないだろう。
「……それじゃあ、俺もこれで。今日はお世話になりました、色々と」
「うん、またネ」
「いや、そう何度も鬼に会いたいとは思わんだろう。普通は」
「あはは、そレもソうか」
 去り際のシルヴィアと金剛のそんな遣り取りには苦笑いだけを返し、その場を後にする田上だった。


 先程の苦笑いは、彼自身としては「そんなことないですよ」という意味を込めたつもりのものだった。が、「金剛さん達からすれば真逆の意味にしか見えないのでは?」と気になった頃にはもう、戻って訂正するようなタイミングは逃してしまっていた。
「……もう付けていいぞ、その仮面」
 なので田上は、今すべき話をし始めることに。
 浮草は先に帰り、鬼達とも既に離れている。であれば素性を隠すために仮面を外している必要はもうない――仮面という物の機能を考えれば、普通は逆なのだろうが――ので、荒田にそう告げた田上だったのだが、
「は? 何故いまここで付ける必要が?」
「ええ……」
 気のない、どころか不快感を露わにした返事を頂くことになってしまう。
 ――いやそりゃあ、付けてた理由を考えりゃあ、そういうことにもなるんだろうけどよ……。
『隠したいものはこれではありませんし、隠したい相手も貴方ではありませんしね』
 仮面を被る理由について、そんなことを言っていた荒田。その隠したい相手というのは以前彼女と行動を共にしていた小太りの女、こと定道であろうことは田上も察しており、なので荒田の今の言い分も納得できるところではあるのだが、それにしたってもうちょっとこう、とも思わずにはいられないのだった。
 もちろん、荒田とは別に友好的な間柄というわけではない。それどころか享楽亭の一員という点から明確に敵ですらあり、なので別に慣れ合いを望むというわけではないのだが……しかし、この後に続けざるを得ない話題を考えると、やはりというか何と言うか、である。
「えー、じゃあまあ、そのままで話させてもらうけどだな」
「さっき言ってた『礼』とかいうやつですか? 結構ですよ、別に」
「いや、それは流石にそういうわけには」
「そんなことより、こっらからも話があるんですけど」
「いやいやそう言わずに……」
 ――ん? こいつから俺に話?
 と、予想外の展開に多少ながら戸惑ってしまったところ、
「あ、あのう……」
 視界外から、記憶に新しい弱々しさの声が。そちらを向いてみれば想像通りの顔が、同じく想像通りに二つ並んでいた。
 つまりは先程助けたあの二人。であればこれは、改めて助けてもらった礼を言いに来たってことか? と見当を付けてみる田上だったが、しかしそういうことであれば今まさに、ということで荒田の顔色を窺ってみたところ。
 鬼が居なくなったからということなのか、先程までは見せていなかった鬱陶しそうな顔をしている彼女なのだった。


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