まだ話の内容を明かしていないとはいえ、ここまで声色や顔色で平静さを取り繕っていたというわけでもない。ならば田上が抱えている事情の深刻さに気付かない愛坂ではないのだろうが、しかし彼女はいつも通り――本当にいつも通りに、気楽な調子で話し掛けてくる。
 そのことを有り難く思いはしつつ、しかし田上は、話を始める前に改めて姿勢を正してみせた。
「俺が今日会ったのは、荒田です」
 前置きを抜きにして、最初から名前を出す。
 それを受けて愛坂は、少し考えるように腕を組んでみせた――が、即座にその名が誰を指すのか思い浮かばなかった、というわけではないだろう。
 敵として現れ、実際に戦いもした相手の名前をそう簡単に忘れるわけもない。
 し、そうでなくとも愛坂は、「名前」、いや人名に限らない「名称」というものに人並み以上の関心を持っていた。それが彼女の持つ「人物名から人相、鬼道の名称からその鬼道そのものを自分に丸写しする」という鬼道故のものなのか、それとも逆に彼女のその性質がそんな鬼道を発現させたのかは、田上の把握していないところではあるのだが。
 故に荒田の名前を忘れていた訳がない愛坂は、ならばここで考えたのだろう。田上のこの告白を、どういう態度で受けたものだろうか、と。
「荒田っていうと、あの?」
 そう返した愛坂は、口元の笑みを失せさせていた。
「はい。真意さんを捕まえに来た二人のうちの片方、あの白い仮面の女です」
「そっか。そりゃあたしがご指名を受けるわけだ」
 もしかしたら、荒田の名前だけでは愛坂は笑みを浮かべたままだったかもしれない。田上はそう考えた。では荒田以外にどんな要素があるのかというと、彼女の向こうには愛坂を捕らえようとする依頼者――「愛坂真意」という名前に釣られた人物が居る。
「それ」を求めて名前と姿を偽り続ける生活をしている以上、流石の愛坂もここで笑ってはいられないだろう。
 ……荒田の、いや享楽亭の向こう側には、そこに依頼を持ち掛けた者達の存在がある。しかしそれは、今回この場で田上が話したいことにも関わってくるのだった。
 とはいえ、そこへ至る前にしなければならない話がいくつかあるのだが。
「えー、まず、そもそもなんで今までこのことを隠してたか、なんですけど」
「大体察せられるような気もするけどねえ」
 本題に入ろうとしたところ、ここで愛坂、再び笑みを浮かべ直しながらそんなふうに。
 しかし田上としては、彼女のそんな反応に首を傾げざるを得ない。
「浮草が一緒だったから……なんですけど、察せられてました?」
「あら、全然想像と違った」
 どうやら愛坂、何か別なことを想像したらしかった。まあそうでなくとも、浮草が田上と――いや、今神以外の誰かと出掛けるなんて、誰であれ想像など仕様もないだろうが。
「ああそうそう、ちなみに二人だけですよ。詠吉は留守番でした。もう一人の俺と一緒に、ですけど」
「天変地異の前触れか何か?」
「かもしれませんね……」
 そんなわけないじゃないですか、と言えないのが恐ろしいところである。が、今はそんな話をしている訳ではなく。
「まあ、そうだねえ。遊ちゃんと享楽亭を合わせちゃったら、辺り一帯が更地になりかねないし。……ってことは、なんとか鉢合わせないように頑張ってたってこと?」
「いや、それは無理そうだったんで、荒田に仮面取ってもらいました。素顔なら誰だか分からないでしょうし」
「ああそっか、遊ちゃんは『仮面女』の話を聞いてただけだもんね。仮面無しじゃあ分かりっこないか」
 と納得してみせた愛坂は、しかしすぐに訝しげな顔にも。
「……外してって言ったら外してくれたの? 仮面」
「ええ。そりゃもう、あっさりと。どうも話を聞いてる感じ、顔を隠したい相手は定道だったらしくて」
「っていうと、あたしとやり合ったぽっちゃり系さんか……なんでまた」
 ここまでの話だけ聞けば、そんな疑問を持つのは当然なのだろう。が、果たしてそれを説明したものかどうか、田上は迷う。
 そして迷っている間に、「まあそれはともかく」と愛坂。見れば、その顔には意地の悪そうな笑みが貼り付けられていた。
「どうだった? 素顔を見た田上くん。実は案外可愛かったとか?」
 ――…………。
「顔が半分、焼けてました」
 荒田はあの時、「隠したい相手は貴方ではない」と言った。そして、「隠したいものはこれではない」とも言った。
 半分が火傷に覆われたその顔は、彼女が仮面を被る理由ではない。であれば、ここでそのことに言及する必要は本来ないのだが……。
 しかし、それでも田上は言及した。
「目も、焼けてる側は駄目になってるみたいでした」
「…………」
 愛坂は黙りこくった。
「何とも思うな、ってわけにゃいかねえでしょ。やっぱ」
 それに対して愛坂が返事をするまで、やや間があった。
「……ま、そうだね。片方見えてるならまだいいじゃん、なんて言えっこないか」
 言って、愛坂は部屋のドアを振り返る。ドアを見て、その外側、彼女らの部屋にいるであろう彼を想う。
「再人は……んなこと言われて喜ぶような奴じゃないしね」


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