溜息なのか、笑みなのか。ドアを向いたまま小さく息を吐いた愛坂は、しかしそれを区切りとしたのだろう。田上を向き直るころにはもう、いつもの笑みを浮かべていた。
「話聞いた時は驚いたけど、恋人同士だとかって話だもんねあの二人。顔隠したくもなるか、そりゃ」
「あ、いや……」
「ん?」
 話す順序を間違えた、と田上はそう思った。
 次いで、そもそも話すべきではなかったのでは、とも。
 ――すまん。
「『それ』は……顔の火傷は、仮面付けてる理由じゃないらしいです。じゃあ何なんだってのは、まあ、聞けてないんですけど……」
 聞けてはいないが、機嫌を損ねた時の表情がそれなのだろうと、彼女の荒々しい気性に中てられた田上はそう予想していた。そしてその予想はほぼ確信と言っていいものでもあった。
 のだが、田上はそれを口にはしなかった。
 できなかった。
「ほほう、つまり見た目のことに負い目を感じてるわけじゃないと。いやあお強いことで」
「……なんか、棘ある感じですか?」
「だって敵だもの。なんだったら、棘どころか刃物くらい持ち出してもいいくらいじゃない?」
「そりゃまあ……そうなんですかね」
 愛坂にしては珍しい、とそう思った田上だったが、しかしその尤もな言い分には素直に納得させられた。
 繰り返しになるが、荒田はその背後に「愛坂真意の名に釣られた人物」を抱える相手なのだ。
 ――そう。背後に、なんだよな。
 などと田上が頭によぎらせたところ、
「逆に田上くんはつるっつるだよね。抜かれちゃったかな? 棘」
 的確にそこを突いてくる愛坂なのだった。もちろん、意図してのことなのかは定かではないのだが。
「……今日ですね」
 定かではないのだが、否定はしない。
「公園の掃除してたんですよ、あいつ」
「公園の掃除。っていうのは、『仕事』で?」
「はい」
「はは、そりゃ平和なことで」
「その後、通りかかった二人組が車に引かれそうになったんですよ」
「……ふん?」
「俺が先に気付いて、鬼道で自分で自分をぶん投げて助けようとしたんですけど、片方だけ間に合いそうになくて、逆に一緒に轢かれそうになったんです」
「うん」
「もちろん俺だけなら車すり抜けりゃいいだけだったんですけど、そうもいかないからむしろクッション代わりにでもなってやろうとしたんですけど」
「うん」
「そこを荒田に助けられたんです。あの水の鬼道で掴み上げられて」
「そっか」
 それで話が終わりだと思ったのだろう。愛坂は続けて何か言おうとしたが、
「組み手の時の『自分から先に動くようにした』ってのは、そこで荒田に言われたことが切っ掛けなんです。『車に気付いた瞬間に鬼道を使える程の反応速度があるんだったら相手の出方を窺う必要ないだろ』っていう」
「…………」
「その時、何も意識しない様子でこうも言ってたんです。『ただ走り出すだけだったら自分もそうしてただろうけど』って」
「…………」
「頭ん中であいつ、当たり前のように助けてるんですよ。見ず知らずの赤の他人二人を」
「……そっか」
「はい」
 ――…………。
 そこで、少々の間。ののち、愛坂は大きく溜息を吐いた。
「田上くんが組み手の話を『ついで』にしちゃうとは、こりゃマジだわねぇ」
「宜しくないですよね、やっぱり」
「いんやなくない。なくなくなくない。なくなくなくなくなくない」
「……あ、え、ええと、どっちですかねそれ?」
「宜しい」
 分かり辛いとはいえ否定の意思は明確にあった以上、愛坂の言わんとすること自体は分かっていた筈だった。
 しかしそれでも、きっぱりとそう言われてしまうと、目を点にしてしまう田上なのだった。

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