荒田のことを考えている間、どんな顔をしているか分かったものではなかった。ので、今神と浮草より前方の位置を保ったまま、住居に隣接している道場に移動したのち。
「で、どうします? ハンデ」
道場の中に足を踏み入れるや否や、今神が尋ねてきた。その手には、道場への移動に際して自室から持ち出してきていた鞄が下げられている。
「俺が決めていいのか?」
「誘ったのはこっちからですしね、今回」
――って言うけど、じゃあ俺から声掛けたら逆なのかっつったら、毎回そうだってわけじゃねえんだけどな。
つまりは毎回適当に決めているのだが、譲られる側に立つと「今神らしい」ということになってしまうのだから不思議なものである……と、それはともかく。
「じゃあハンデBで」
「分かりました」
どちらがハンデの内容を決めるかは適当だが、その内容は既定の二種類、すなわちハンデAとハンデBのどちらかである。
ハンデAは、田上対今神、浮草の一対二。ただし鬼道の使用は不可。
ハンデBは、田上対今神、もしくは浮草のどちらかとの一対一。ただし今神と浮草は鬼道を使える。
……というもの。要は、普段から鍛えている田上とそうでない今神、浮草の二人とでは、同じ条件で組み手をしても鍛錬にならない、という話である。
ちなみに、特に悩む素振りも見せずあっさりとハンデBに決定してみせた田上だったが、とはいえそれは適当に決めたというわけではなく、前もって「Bのほうがいいな」と考えていてのことだった。もちろん、決定権が自分に回ってきたのはたまたま、というか今神の厚意によるものだったのだが。
考えるよりも先に動く。
相手に考える暇を与えない。
今田上の胸の内にある「やる気」の出所を考えると、AよりもBのほうが適切だと考えたのである。
――二対一だと、どうしたって狙ってない方の一人は「考える暇もない」ってわけにはいかねえだろうから、アイツのアドバイスの有効性を確認するってんならAよりBだよな。それに、鬼道のことだってあるし……。
「というわけで遊、今回はBだけど」
「わかってるよぉ。よっしーがボコボコにされても怒るなってんでしょ? 無茶言うよね毎回」
「まあ、頑張れ。俺もボコボコにされないように頑張ってくるから」
そう言って今神は、手に提げた鞄からその中身を――付箋が挟まれた小さな本を一冊、取り出した。
「あ、よっしーが先に行く?」
「今回は俺もちょっとやる気でな。早くコレを試してみたい」
言って、たった今取り出した小さな本を、浮草に見せ付けるようにする今神。
「よし行けよっしー! 田上さんなんてペシャンコに叩き潰してやれー!」
――すげえ物騒なこと言ってんなおい……。
顔をしかめる田上だったが、一方で今神もまた、苦笑いを浮かべてみせた。
「まあもちろん、途中で他のに切り替えることもあるかもしれないけどな。それに今回は魂蔵さんがいないからあんまり無茶なことは――ああ、あと、駄目だぞネタバレは」
そう言って、それまで手に提げていた鞄を、今度は肩掛けにして身に着ける今神。そして、
「じゃあ、はい」
とだけ言って、これまでずっと巻いたままだったマフラーを浮草に渡す。それらは、準備完了の合図でもあった。
「ん」
相槌だけ返してマフラーを受け取る浮草は、しかしどことなく嬉しそうにも。とはいえその僅かに緩んだ口元は、数瞬前までの今神と同じ理由で隠れてしまうことになるのだが。
ともあれ準備ができたということで、田上、今神ともに移動。場外などのルールを設けているわけではないが、それでも一応は道場の中央へと、向かい合う形になるよう足を運ぶ。
『宜しくお願いします』
と互いに礼をしたところで、今回は見学兼審判役ということになる浮草による、
「これ言うのいっつもちょっと恥ずかしいんだけどなあ……んじゃあ、始め!」
という余計な前置きを挟んだ合図を受けて、
「うらあああああああああああっ!」
田上は即座に今神へ攻撃を仕掛けた。
「あっズルい! よっしーまだ準備中なのに! しかもうっさい!」
浮草から批判が飛んだ。「始め」の合図が出た後なのに準備中も何もないだろう、という話ではあるのだが、しかし逆に言えばそれは、今までの田上はこの場面で「待っていた」ということでもあった。……まあ浮草なら、これが毎度のことであったとしても、毎度きっちり批判してきたことだろうが。
ちなみに、「うるさい」という批判についても同様であり、いつもはここまで声を上げたりはしなかった。ならばどうして今回は、ということになるのだが、
相手に考える暇を与えない。
――うるさいってのも考え事の邪魔にはなんだろ。
……という判断によるものだった。
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