「!」
 いつもとは違う展開に、今神の目が大きく見開かれた。
 待ってくれる、と彼の立場からすればそういう表現になるのだろうか。これまで田上は、今神が鬼道を発動するまで待っていた。しかし当然、それは手加減などというものではなく、「見てから対応するため」――今神の鬼道は、相手にそれを強いることができるものだった。
 勿論それは、相手が今神の鬼道の性質を知っている場合に限る。が、知らなければそれはそれで手を出すのに慎重にならざるを得ないのが鬼道というものでもあるので、「知られても尚相手を後手に回らせられる」というのは、今神の戦闘において重要なファクターであった。
 ……が、それを今回は崩した、ということになる。
 ――さあ、こっからどうする詠吉!
 真っ直ぐ突っ込んでの真っ直ぐな突き。さすがにそれをそのまま喰らってくれる今神ではなく、後ろに飛び退いてその突きを躱してみせたのだが――しかし、不意を突かれたから、ということなのだろう。後ろに飛び退き「過ぎて」しまった彼は、床から足が完全に離れてしまっていた。
 相手に向かっているならともかく、これは明確なまでの隙でしかない。
 田上は地に足を付ける前の今神との距離を詰め、二度目の突きを放つために拳を引き――。
「――『どこから取り出したそんなもん!』」
 今神が叫んだ。
 田上は今神の右手を見た。そこには付箋が貼られたページで開かれた本が。
 次に左手を見た。そこには何も握られていない。
 最後に視界全体に影が差したことに気付き、田上はそこで今神から距離を取った。
 自分目掛けて落下してきた何か――それは、槌の部分が人ほどはあろうかという、冗談のような巨大さの木槌だった。
 そのままであれば間違いなく道場の床をぶち抜いてしまっていたであろうその大槌の柄を、しかしそうなる直前で今神が左手で掴む。が、
 ――そんだけデカくてそんな持ち方じゃあ振れねえだろ!
 左手だけ、しかも柄を上にした逆手の形でその木槌を手にしてしまった今神を見て、田上は再度、彼との距離を詰めに掛かる。巨大な獲物の陰に隠れて今神自身の動きはほぼ見えなかったが、一度きちんと構え直さない限り、如何に修羅が怪力とはいえ、あれが振るわれるようなことはないだろう――。
「ぬおっ!?」
 と思っていたのだが、そんな予想に反して自分目掛けて突っ込んできたその大木槌に、田上はまたも今神から距離を離すことになってしまった。
「……ふう」
 田上を襲った勢いに乗せ、手首を返して木槌を肩に担ぐようにした今神は、すると大きく息を吐いてみせた。
 その際に突き出されていた足を見る限り、どうやら彼は木槌を「振った」のではなく、「蹴った」らしい。
「やっと止まってくれましたね、田上さん」
「……あ、しまった」
 考える前に動く、という指針を立ててはいても、急場ではやはり身体に染みついた動きをしてしまう、ということなのだろう。気が付けばいつものように足を止め、今神の動きを窺ってしまっている田上なのだった。
 そして今の言い方からして、田上がいつもと違う動きを取ろうとしていることには、今神も気付いているのだろう。
「うーん、やっぱ一発目から上手くいくってもんでもねえか」
「いえいえ、危うく何もできないまま一本取られるところでしたよ」
「そうだよな……上手くいけばそれも狙えるってことだよなあ」
 動きを止めてしまったついでに、今の攻防を振り返る田上。本来ならばせめて組み手に決着がついてからにすべきなのだろうし、相手が愛坂である場合はそうしてもいるのだが、しかし今神が相手の場合には、こうして組み手を中断してまで会話が始まってしまうことがしばしばあった。
 そして振り返りの内容であるが、これまではいつも相手の出方を窺ってから動いていた田上にとって、「相手に何もさせないまま勝つ」というのは、実に新鮮な響きのある話であった。無論、実際にそれが為せるかどうかは、また別の話なのだが。
 といったところで、今神が怪訝そうに眉を顰める。
「ん? じゃあ田上さん、自分で思い付いたんじゃなくて誰かに言われてそうしたってことですか?」
「え? ああ、えーと」
 ――今のだけで気付くのかよそんなこと。そりゃあ、人から言われたふうな言い回しではあったけど。
「……俺が直接言われたってわけじゃねえんだけど、今日会った鬼さん達が、『技術どうこうより直接ぶん殴ったほうが早い』的な話をしててな。それが俺にも当て嵌まるかどうかは分かんねえけど、ちょっとやってみっかっていう」
 まさか荒田とのことを話すわけにもいかないが、しかし今回の外出にはそこにいる浮草が同行してもいたので、適当なことを言うわけにもいかない。なので鬼達との話をこじつけてみた田上だったが、かなり苦しい、というのが正直なところだった。なにせ、「考えるより先に動く」という話には重なるところがあるようで、実は全くないのだ。
 が、
「ははあ、田上さんらしいですね」
 で済ませてくれる今神。
 ――馬鹿だと思われてて助かった……いや、詠吉の場合は多分、本気で褒め言葉として言ってるんだろうけど。


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