木曜日。
「これがサーズデイさんですか」
「ああ。小っせえけどな」
「計ったところ、全長約六センチってところでしたねえ。んっふっふっふ」
 顔を寄せ合って水槽の底を覗き込む男三人。多分このマリモことサーズデイさんからしたら相当暑苦しい絵面なんだろうな。
「なんで水槽こんなに大きいの? 他には何も入ってないのに」
「ウェンズデーが寝る前にこれに入るからな」
「床で寝ちゃったら翌朝サーズデイさんが干からびる事になりますからねえ」
 そっか。シンデレラが鐘の鳴る前に慌てて帰るみたいなそんな感じか。なんか違うな。
「で、今サーズデイさんはどういう状態なの? 目とか口とか見当たらないけど」
「下向いてんだろ。今は寝てるな」
「起きたらちゃんと顔が見えますよ」
 植物が寝るって。いや、サタデーの事を考えればそんなに変な話でもないか。まあ変な話でもないと思う事が変なんだろうけどね。
 ……にしてももう昼なんですけど。
 とその時、
「んにゅ」
 今まで変哲も無いただのマリモだったサーズデイさんから不意に気の抜けるような音、もしくは声が。
「起きた?」
「起きたな」
「起きましたねぇ」
 ぴくっと震えた後、縦方向にころりと転がる緑の球体。その回転に合わせて緑色でない何かがせり上がって来た。
 それが何かと言われれば、サーズデイさんの目。いやはや小さい事も手伝ってなんとも愛くるしい。
 もう少し転がると、目の下辺りに今度は何やら横線が。これは……
「にこっ」
 サーズデイさんがこちらを確認してそう言う(言う?)と、目とその横線で笑顔を形作る。要するにその横線は閉じられた口でした。でも今「にこっ」って言ったのに口開かなかったよね? 緩やかな曲線を描いただけで。
「えーと、初めまして」
「にこにこっ」
「じゃあ瓶持ってくるな」
 僕とサーズデイさんの短いやり取りを確認し、大吾がお仕事に取り掛かろうと立ち上がる。じゃあって事は今ので挨拶は済んだって事なんだろうか。再度微笑み返されただけなんだけど。
 と訊こうとするも大吾はすでに台所でカチャカチャやってるので、清さんに訊いてみた。
「ええ。前に怒橋君が言ってたと思いますけど、サーズデイさんはこんなふうにしか喋らないんですよ。それでも言いたいことはだいたい分かるんですけどね」
「じゃああの、僕がここに来た日に一緒に来るかどうか訊けなかったっていうのは?」
「んー、それがその、サーズデイさんはしょっちゅう寝てましてね。その日一緒に行くかどうか訊こうとした時も爆睡中だったんですよ」
「てれてれ」
 清さんの話に、サーズデイさんが照れた表情になる。口で言ってるんだから本当に照れてるんだろうな。いつの間にか若干そっぽ向いてるし。
 そして清さんは少し間を置くと、
「それに私達だけでもあんなに怖がられてたわけですし、ねえ? んっふっふっふ」
 このように話を続けた。その話を持ち出されるとぐうの音も出せないんですがね。成美さんに猫の話された時もそうだったし。
「にこにこ」
 大袈裟には笑わないんですねサーズデイさん。ありがとう。
「よーし移動だ。ちょっと我慢しろよ」
 ずかずかと水が入った瓶片手に戻ってきた大吾は、その勢いのまま水槽に手を突っ込んでサーズデイさんを引き上げ、
「きゃー」
 瓶に投下。そしてゆっくりゆっくり瓶の底に沈み、サーズデイさん地に立つ。地って言ってもガラスだけどね。
 大吾の一連の動作は乱暴にも見えたけど、移動をできるだけ素早く行うと考えるなら悪いことでもないのかもしれない。まあ僕はマリモの世話の仕方知らないけどさ。
「で、なんでわざわざその瓶に移すの?」
 僕のその質問に大吾は瓶をちょっとだけ持ち上げて、
「持ち運びが便利だからだよ。こんなでかい水槽、水が入ったまま運ぼうとしたらかなり重いぞ?」
「なるほど」
 やっぱりいろいろ考えてるんだなあ、と改めて感心しているとサーズデイさんが一言。
「ぷくぷく」
「ん? 何だ?」
 ふむふむ、「ぷくぷく」は呼びかけの意、と。
「ぺこっ」
「あ、ああ。もう分かったっての」
 全身を使ってころりとお辞儀をするサーズデイさんにうろたえる大吾。それ以上はもう言うまい。
 さて、そんな恒例の流れが済んだところでジョンの世話。月曜日に僕も手伝ったブラッシングです。サーズデイさんが入った瓶を日の当たる窓際に置き、ジョンを連れてくる大吾。
「ワンッ」
「にこっ」
 僕とサーズデイさんの時より更に短い挨拶を交わし、その傍にお座りするジョン。室内側から見たその眺めは、自分に絵心があれば絵にしてみたいくらいになんともほのぼの。
 ……そうだ。絵と言えば、昨日清さんは山に絵を描きに行ったんだっけ。
「清さん、昨日は結局絵は描けたんですか?」
 すると同じく窓際のジョンとサーズデイさんを眺めていた清さんは、
「ん、聞いてましたか。ええ描けましたよ。お天気にも恵まれましたからねえ。んっふっふっふ」
「その絵って今あります? よければ見せてもらいたいんですけど」
「ちょっと恥ずかしいですが、そうですねえ」
 笑った顔のまま顎に手を当て、しばし考える。そして顎から手を離し、
「分かりました、今持ってきますよ」
 そう言って立ち上がると、ふすまを開けて隣の部屋へ。いろいろ趣味がある割にはすっきりしているこの部屋を見るに、あっちの部屋にはいろいろ置いてあるんだろうな。最低限しか開けられてないふすまに阻まれてよく見えないけど。
「孝一、言っとくけど清サンはメチャクチャ上手いぞ。絵ぇ描くの」
「そうなの?」
 清さんがふすまの向こうでごそごそしている間に、ジョンの体をごそごそしている大吾が話し掛けてきた。
「ああ。オレも前に見せてもらったんだ」
「へえ」
 それは楽しみ。と思ったら背後からふすまの閉まる音が。
「これですよ。山で描いたものですが全然山じゃないですねえ。んっふっふっふ」
「うわ……」
 清さんから受け取ったそのスケッチブックには、高い所から見下ろす視点での街並が描かれていた。色は何で付けたんだろう、色鉛筆? かな?
 色付けがこうでなかったとしたら写真と思ってしまったかもしれない。
 その絵はそれくらいに鮮明に、しかも細部まで描きこまれていた。工場の煙突からの煙、建物の窓、そこから干されている布団、信号で並ぶ車。更によく見れば、その傍を歩く人まで。
 画用紙の上から三分の一は雲一つない空だったが、この紙に描かれた全てを見ようとすると時間が掛かりそうだ。それくらいに紙全体の三分の二でしかない街の絵は、細かく描きこまれていた。この絵のそんな見事さに、思わず言葉に詰まってしまう。
 率直に言うと、とんでもなく上手い。これは趣味の域越えてないですか?
「ああ、人が描いてあるのは何となく想像で描き足しただけですよ。私の視力ではそこまで見えなかったので」
 そんな注釈も耳には入るが頭に入らず、
「す、凄い上手いじゃないですか」
 語呂の貧困さを露呈してしまう。
 上手いものを上手いといって何が悪い! それだけしか言えないけどね!
「そうですか? いや、これは嬉しいですねえ。んっふっふっふ」
 照れたように頭を掻く清さん。でもやっぱり表情は変わらず。
「ぷく……」
 するとサーズデイさんが絵に興味を示したらしく、こちらを見ながら「ぷっくぷっく」と顔を横に何度か振った。絵をこっちに向けろって事だろうか。
「はい」
 サーズデイさんのサイズ的に、近くに置くと見上げたり何だりで辛そうなので、少し距離を取った場所にスケッチブックを立てる。するとサーズデイさんは僕と同じように視線をあちこちに動かし、時には体ごと動かしたりして、
「にこっ」
 笑顔。その反応を見た清さんは、
「やっぱり分かりましたか?」
「こくこく」
 サーズデイさん可愛らしく肯定。分かったって何がだろう? ともう一度絵を覗き込むも、僕にはよく分からない。
 すると依然、ジョンのお世話を続けている大吾が清さんに、
「その絵って、この辺の景色ですよね?」
「え、そうなんですか?」
 それに釣られて僕も清さんのほうを向くと、清さんはゆっくり頷いた。
「ええ、そうです。これがあまくに荘ですね」
 そう言って指が指した先には確かに二階建ての安そうなアパートが。絵の隅っこのほうだったけどね。サーズデイが分かったっていうのも、この事なのかな?
 すると清さんは窓から外を眺めながら、
「見れば分かる通り昨日行ったのはあの山なんですけど、実は私がサーズデイ達を見つけたのもあの山なんです」
 あ、本当だ。描かれてるこの建物の向きからするに、清さんがこれを描いたのはあの山でって事になるな。情けないですが言われるまで気付きませんでした。
 ……こんなんだから方向音痴なんだろうな。はぁ。
「にこっ」
 そんな僕を笑ってる―――んじゃないか。絵のほう見てるし。あの山で見つかったって事は、懐かしい風景だったりするのかな?
 でもなんで山の中なんかにいたんだろう。ペンギンとかマリモとか、どう考えても生息地は山じゃないし。どこか別の場所からたまたま通りかかっただけ?
「ここからでは見えませんがあの山の向こう側にはですね―――と言っても、大きな山なので相当歩かなくてはならないんですけど」
 清さんは微笑んだサーズデイさんをチラッと見た後、話をし始めた。その瞬間大吾が苦い顔になったのを僕は見逃さなかったが、時既に遅し。
「今はもう誰も住んでいませんが大きなお屋敷がありましてねえ同類の方がいたりするかもと思って入ってみたんですけど誰もいませんでしたんっふっふっふそれで」
「ぷくぷく」
「ん、何でしょうか? サーズデイさん」
 不意に始まってしまったノンストップ清さん。今回彼を早々に止めたのはサーズデイさんでした。
 そうやって清さんに呼びかけると、「ふるふる」と体を左右にゆすって否定の意。
「止めたほうがいいですか? ふむ、残念ですねえ」
 清さんがそう言いながら腕を組み、残念そうに首をちょっとだけ前かがみにさせると、サーズデイさんに変化が。
 口の右下辺りから緑色の繊維状のものを、その体から剥がれるようにして伸ばす。そしてその繊維らしきものの先端を、まるで人が自分を指差すように「くいくい」と自分に向けた。
「自分達で話すという事ですか?」
「こくこく」
「なら明日までこの話はお預けですね。フライデーさんにお任せしましょう」
「にこっ」
 清さんとサーズデイさんのやり取りを纏めると、明日僕はフライデーさんから今の話の続きを聞く事になるらしい。フライデーさんから聞くという事は、その山の向こう側の屋敷は彼等に関係があるってことだろうか。まあ明日話すと言っておられる以上、ここで質問するのは控えておこう。
 それよりも。
「大吾、さっきサーズデイさんからしゅるって出てきたのって何?」
 さあ教えて大吾くんのお時間です。掃除機掛けに取り掛かろうとしてるところすいませんね。
「あれがマリモの本体だよ。あの細っちいのがすげえ数集まって丸く固まって、コイツみてーになんの。だからもし上手く丸くならなくてもマリモって言うんだぜ」
「へえ、なら集まる前のあの細いのからもうマリモって名前なの?」
「そうだ。その細いやつの集まりだから、二つに割れちまっても全く大丈夫だぞ。それぞれが成長してまた丸くなるなりなんなりするからよ」
「こくこく」
「前にサーズデイも割れちまったんだが、こいつの場合は意識がある上に自分で動けるからくっついて元に戻っちまったんだよ。割れたときは焦ったけどな」
「それは確かに……え、でも二つになっちゃったらどっちがサーズデイさんなの?」
「割れた瞬間にもう片方からも顔が出たから、どっちもって事なんだろうな。他の奴が困るから元に戻らなきゃしゃーねえんだろうけど」
「こくこく」
 ありがとうございました。
 大吾が掃除機を掛け、清さんが絵を片付ける。その間窓際で「ニコニコ」「ワンワン」と会話らしき事をしているジョンとサーズデイさんを眺めていると、
「ぷかー」
 とサーズデイさんが浮き始めた。これは一体何が起こってるんだろう? のん気なサーズデイさんを見る限り大変な事態ってわけでもなさそうだけど、もしかして自力で浮いてるのかな?
「大吾ー。サーズデイさんが浮いちゃったんだけど」
 丁度掃除が終わったのか大吾は掃除機を止めると、それを部屋の隅に立てかけながらよくある事と言わんばかりの口調で、
「ああそれな、光合成でできた酸素が体にくっついてんだよ。それで浮いちまうんだ。別段どって事ねーから心配すんな」
 おお、さすが詳しい。そっかそっか光合成か。植物だもんね。
「やっぱりさ、ちゃんと調べるの? そういう事って」
「あたりめーだろ。調べねーと何をどう世話すりゃいいかなんて分かんねーんだからよ」
「にこっ」
「ワフッ」
「んっふっふっふ」
「なな、何だよオマエら。清サンまで」
 ここは僕も!
「ふふふふあいてっ!」
 殴られました。しかもグーで。
「気色悪いんだよ」
「なんで僕だけ……」
「にこにこ」


「しぃちゃんこーちゃん! 晩ご飯作る前に聞いて欲しい事がありまーす!」
『何ですか?』
「今日からアタシは、禁煙します!」
「おぉ」
「え、でもその口に咥えてるのは?」
「ふっふっふ、これは一見タバコだけどタバコじゃなくて」
「禁煙補助製品ってやつですね」
「ありゃ、先に言われちゃった」
「へー、ガムみたいなのは知ってたけどそんなのもあるんだ」
「まあしぃちゃんは吸わないから知らなくてもいいんだけどね」
「え? 栞さんって二十歳過ぎてるんですか?」
「過ぎてない過ぎてない!」
「でもお酒は飲むよね、しぃちゃん」
「あらあら?」
「うー。……えへへ、それに関しては二十歳越えてるって事で」
「それってつまり」
「ま、幽霊に年齢問うだけ無駄って事。その上女の子だもんねー」
「ですもんねー」
「はぁ。で、禁煙に踏み切ったのは何か理由が?」
「ん。まあほら、料理教えてもらってるのもダンナのためだしさ、それ考えたらこっちもそろそろどうにかしないとなーって」
「あの人タバコ吸わないですもんね」
「それもあるけど、やっぱり将来赤ちゃんができたりするとねぇ」
『なるほど』


 金曜日。
「来たか。お疲れ様、私で最後だよ日向孝一君」
「え? えっと」
 最終日だけども今日も滞りなく大吾とともに清さんの部屋に到着。時間もいつも通りのお昼過ぎ。でもいつも通りでない事態が発生。
 ドアを開けて出迎えてくれたのは明らかに清さんだ。にっこりしてるし眼鏡だし。でも聞こえてきた声も、その口調も、清さんのそれとは全く別物で。フライデーさんは清さんもどきなんですか?
「こっちだよ、こっち」
「え?」
 清さんである筈の顔を清さんの顔であると信じたいがためにじっと注意深く見詰めていると、その下方からさっきの声が聞こえた。そちらへ視線を落とすと、季節外れのセミの抜け殻が清さんの服に引っかかって―――って、もしかしてこれ、フライデーさん?
「ま、気持ちも分からんではないよ。『幽霊以前に生き物じゃないじゃーん』なんて思われても仕方が無いさ。よよよ。実体がある頃から既に死んでいた! そうです私がフライデーです」
「は、はあ」
 サーズデイさん並みの小ささに思わず顔を近づけてしまう。そしてよく見ると、サーズデイさんのように人と同じ目が付いていた。気だるそうに半分閉じてたけど。
「では、中へどうぞ」
 今度こそ清さんの声で誘われ、室内へ。
 僕と大吾と清さんの三人がテーブルにつくと、清さんは胸のフライデーさんを剥がしてテーブルの上にちょこんと置いた。って、「剥がす」とか「置いた」とか自分でも気付かないうちにすんなり物扱いしてるし。ダメダメ。
「忘れる前に約束を果たしておこうか。今まで本当にありがとう大吾君。他の皆ともども、これからもよろしく頼む」
「ん。ほんじゃ次、さっさとコイツに自己紹介しちまえ」
 結局最後も素直になることはなく、素っ気無い返事だけ返して話題を逸らそうとする大吾。どうせ記憶は七匹で共有してるんだから一回くらいまともに返事してもバチは当たらないのにね。
 それはともかくフライデーさんの自己紹介が始まる。それはもちろん僕に対してだけど、フライデーさんは視線を動かすという事をしなかった。それどころか、テーブルに置かれてから身動き一つしていない。さすがにあの体じゃあ動けないんだろうか。
「では改めてご挨拶を。私が金曜担当、フライデーだ。見ての通り、私は死から生まれた者だ。ちなみに中身は行方知れず」
 なんて言うかこう、掴み辛いキャラですな。真面目なんだかお気楽なんだか。
「初めまして」
「うむ。それで私の基本スペックだが」
 スペックって。
「体を動かす事はできない。だがまあこういう事なら可能だよ」
 そう言うと、別に「ふんっ」とか「はっ」とか力を込めるような事もなく、眠たそうな目のままで無感動にふわりと宙に浮くフライデーさん。でもその腕と足はだらんとする事もなく、重力に反して曲がったまま。やっぱり固まっちゃってて動かないらしい。
「あまり驚かないね。さすがにここで一週間も生活すればこういう事にも慣れるか」
 僕の顔と同じ高さでふよふよと滞空しつつも、やっぱりその目には力が無い。浮いてますが何か問題でも? とでも言ってきそうな佇まいだ。
「それもありますけど、あまりにあっけなく浮いちゃうもんだからこちらもあっけなく受け入れられたと言いますか」
「ふぅむ、なるほどね。では今度からはもっとパフォーマンス性を出してみるとするか。と言っても、私にできる事なんて声を出してみる、くらいなのだが」
 そう言ってロープを伝うかのようにするすると下降し、もといたテーブルの上に胴体着陸を完了させると、
「かーーっ!!」
 ふわり。
 うーん、やっぱり声だけ出しても動きがないと迫力ないなあ。
「うむ。その反応、やはり無駄なようだね。抜け殻は抜け殻らしくつつしまやかに飛ぶ事にしよう」
 いや、抜け殻ってそもそも飛ぶもんじゃないですから。つつしまやかなのは何となく分かりますけど。
「ま、飛ぶたんびに叫ばれたんじゃやかましいからな。オレとしてもそっちのほうがいい」
「うるさいのは羽の生えたセミだけで沢山ですからねえ。んっふっふっふ」
 結局「浮き上がる際にそれっぽく声を発してみる」という試みはその本人以外の三人から漏れなく不評でした。僕は何も言ってないけど不評にカウントしてもらって結構です。そういう顔してたみたいですし。
「さて、無駄話も悪くはないがそろそろ本題に入るとしようか」
 最初からそういう反応が返ってくると踏んでいたのかはたまたそんな事どうでもいいのか、無駄話と切り捨ててテーブルに着地。
「本題ですか?」
 何でしょう?
「ああ。昨日清一郎君の絵から山の向こうにある屋敷の話になっただろう?」
「あ、そうでしたね」
「おほん。という事で、孝一君以外の二人はもう知っている事だが、どうかご清聴いただきたい」
「あいよ」
「分かりました」
 二人が首を縦に振ると、フライデーさんは一拍間を置いてから、話し始めた。
「その屋敷にはもともと、ある老夫婦が住んでいた。いきさつは知らないが資産家だったようだな。そして二人は、生き物がとても好きだった。ここまで言えば想像がつくだろうが、私達七匹は生きている頃、その二人にあの屋敷で飼われていたのさ。無論、飼われていた動物達の一部に過ぎないがね」
 それを聞いて楽しそう、だとかペンギンは一般人でも飼えるんだろうか、とかマリモって天然記念物じゃなかったっけ、とかいろいろ思う事はあったけど、フライデーさんの話が続いたので今は口を閉じておく事にした。フライデーさんの口ぶりからするに、真面目な話みたいだし。
「とてもいい人達だったよ。毎日毎日あの大きな屋敷を隅々までまわって、動物にも植物にも声をかけていたんだからね。それどころか、中身を失った私ですら動物として扱ってくれたよ。そのおかげか、こんな生まれついての死体ですらこうして魂を持ち、今に至るってわけさ。おっと、もちろんその二人だけじゃなくて使用人さんも結構いたがね。年寄り二人にあの広さじゃ不便なところもあっただろうからね」
 それから暫らく、「類は友を呼ぶのか使用人さん達もみんないい人だったよ」とか「じい様ばあ様が来るのは嬉しかったが、体調がよくない日ぐらいはじっとしていて欲しかったものさ」とか「後から聞くに、設備が一番豪華だったのはウェンズデーだ」とか「ちなみに一番設備が安上がりだったのは私だ」とかいろいろな話をしてくれた。聞く側としても面白い話だったけど、それが終わるとちょっとだけフライデーさんのトーンが下がる。
「その時私はとっくに体が朽ち果てて今の状態だったわけだが……じい様ばあ様が相次いで亡くなってね。飼われていた動物達は皆、どこぞへと引き取られていったよ」
 その屋敷が今はもう無人って辺りでだいたい想像はついてたけど、改めてはっきり言われるとやっぱり居た堪れない気分になる。そりゃあ僕には全く関係のない人達だし、大きなお世話かもしれないけどさ。
 しかしフライデーさんは口調を元に戻して、
「だがまあ、じい様もばあ様も安らかそうだったから気にしちゃいかんな。それに他の皆についても、あのじい様ばあ様が探した引き取り先だ。皆その引き取られた先で元気にしてるんだろうさ」
 フライデーさんの様子から思うに、そのお爺さんとお婆さんの事をかなり信頼してたんだろうな。……いい人達だったんだろうなあ。
「そして屋敷には誰もいなくなった。私達七匹の幽霊を除いてね。それがどういうわけかくっついてしまい、更に山をうろうろしていたところを清一郎君に発見され、今こうしてテーブルの上で長話をしているってわけさ」
 その長話もこれで終わりだがね、と最後に付け足して、フライデーさんの話は締め括られた。
「へえ、そんな事が」
 すると大吾がテーブルに肘をつき、「はぁ」と溜息を一つついて、
「そのおかげでオレの仕事が大幅に増えたんだがな。まったくよ」
 憎まれ口。ああ、ここからはもういつものパターンだね。そういうのを「やぶをつついて蛇を出す」って言うんだよ大吾くん。
「いいじゃないですか。怒橋君だってその老夫婦に負けず劣らず動物好きでしょ? んっふっふっふ」
 こういう事言われると照れ隠しに入るんだよね。いつものパターンだと。
「そそ、そんなことは」
 でもこの質問じゃあはっきりとは否定できないよね。否定したら動物嫌いって事になっちゃうしねぇ。目の前にフライデーさんがいるこの状況でそんな事言えっこないよねえ?
「いいのだよ大吾君、いいのだよ。君がひねくれ者だって事は今更言うまでもなくみーんな分かってるさ。だから君が今ここで我々に対しどんな暴言を吐こうとも―――我々にはそれを愛情の裏返しとして受け止めるだけの覚悟があるっ! さあ来たまえ!」
 言ってる事は分かりますけど、なんか言い方が怖いです。あの、何て言うか、叩かれて喜ぶ人とかじゃないですよねフライデーさん? 叩かれたら粉々になっちゃいますよ?
 その余りの希薄に大吾がうろたえていると、なぜかフライデーさん本人もうろたえだす。
「うぬぬ……」
「どうかしました?」 
「私は今、他の六匹から大ブーイングを受けている。纏めると『自分達はそんな変態じゃない!』というところか。私だって冗談のつもりだったのだが」
 やっぱりちょっと言い過ぎでしたよね。中には女性だっているんだし。
 すると反省したフライデーさんは改めて、
「というわけで大吾君! 裏返さない愛情を思いっきりぶちまけてくれたまえ! マンデーやチューズデー辺りへの愛の告白でもおじさんはオッケーだぞ!」
 おじさん、それはそれでまた言い過ぎじゃあ。
「ぐぬぬ、これでもまだ文句が出るか」
 やっぱり。
「ならばもはや何も言うまい。煮るなり焼くなり愛でるなり貶すなり大吾君の好きにしてくれたまへ」
「何もしねーよアホ。さって、そろそろジョンにブラシかけっかな」
 せっかく清さんがお膳立てしてくれたのにすっかり冷めちゃった大吾は、すたすたと裏から出て行ってしまいました。あらもったいない。
「しかし面白いものだな。じい様ばあ様も大吾君も大事にしてくれるのは同じなのに、ここまで対応が違うのだから」
「怒橋君は若いですからねえ。素直になるのが難しいんでしょう。あなた達にも、哀沢さんにも。んっふっふっふ」
「それを考えるとやはり、成美君も若いのだねえ。ふふふふ」
 そんなおじさん二人の下世話な話。僕はあえて口を出さなかったけど、お二人に全面同意しますよ。本人はどうかな?
 ねぇ、大吾。
「んな、何だよ気色悪い目つきしやがって」
「ワウ?」
「別にぃ?」
「ま、何はともあれこれからもよろしくな。大吾君」
「何はともあれって、何があったんだよ」
「何もないですよ。強いて言うならいつも通りの事、ですか」
「あー、じゃあ言わなくて結構です。想像つきますから」
「あそうだ。ところで大吾、さっきちょっと思ったんだけど」
「何だよ」
「ペンギンとかマリモって個人で飼ってもいいものなの?」
「ああ。ペンギンもマリモも一部を除けば飼ってもいいんだぜ」
「へえ」
「いじらしいじゃないか。世話をするに当たって、そういう事をきちんと調べてくれてるんだから」
「一日中私のパソコンにかじりついてましたからねえ。んっふっふっふ」
「だからそれは仕事で仕方なく……だーっ! 孝一テメエ余計な事言わすんじゃねえ!」
 そういうつもりじゃなかったのに、殴られてしまいました。グーで。


「今日でやっと、ここの住人全員に会った事になるんだよね。おめでとー」
「変なやつばっかだったでしょ? その世話係も含めて」
「変って言ったら変なんでしょうけど、みんな良い方達でしたよ。その世話係も含めて」
「その世話係も含めるよね、やっぱり」
「そう言えば今更ですけど、なんでみんなは清さんの部屋にいるんですか? 大吾の部屋にいたほうがその世話だっていろいろ楽だと思うんですけど」
「そこがだいちゃんの最後の砦よ。『好きで世話してるんじゃなくて仕事なんだー』っていうね」
「何回か言ってみたんだけどね、毎回嫌がられちゃって。『清サンが拾ってきたんだから飼い主は清サンだろー』とかそんな感じで」
「何がそんなに恥ずかしいんでしょうね? 毎日ちゃんと世話してるのは事実なのに」
「栞だったらこっちから呼びたいくらいなんだけどなぁ」
「いいんじゃない? べったりしてるだいちゃんってのも気味悪いもんがあるし」
「それもそうですね。すんごく無礼な纏め方ではありますけど」
「それでは本日のスペシャルゲスト! 大吾くんどうぞ!」
『いい!?』
「うそうそ。あはは」
「あーびっくりした。また殴られるかと思いましたよ……」
「ん? こーちゃんぶたれた事あるの? ふーん」
「ええ、グーで思いっきり。それが何か?」
「いやあ、今までだいちゃん、手は出さなかったからさ」
「そう言えばそうですよねー。いっつも口だけで怒ってたけど」
「そりゃあ僕以外はメンツ的に無理でしょうよ。女性に、目上の人に、動物達ですから」
「そういうところもやっぱり優しい、っていったら叩かれちゃった孝一くんに悪いかな。あはは」
「でもまあなんてーの? それって接しやすいって事だろうから悪い事じゃあないんじゃない?」
「前向きに考えれば、ですがね。はあ」
 だからって後ろ向きに考えた事もないですけどね。その前向きな考えってのが正解なんだろうし。多分。
「……ところで、何か焦げ臭いような」
「え? っと、わーっ! お肉忘れてたー!」
「あれ、楓さんが失敗って珍しいね」
「いっつも何かしでかすのは栞さんでしたからねえ」
「最近減ってきたから大丈夫だもーん」
「焦げたとこだけ切り取れば大丈夫だよね。うぅ……」


 ――これで、彼等との初遭遇プラスお料理教室の思い出の旅は終幕です。
 振り返ってみれば、最後の金曜日にフライデーさんから頂いた話についてちょっと思うところ有り。飼い主というのは飼われている動物達にとってどういう存在なのだろうか、と。
 動物の視点から考えると、自分が「飼われる」っていうのはどうにも宜しくないイメージが沸いてくる。だけどあの日のフライデーさんの口ぶりは、そんなイメージを全く感じさせないものだった。信頼していると言うか、敬愛していると言うか。
 人同士の関係で言うなら――やっぱり、家族って事になるのかな?
「どうしたの? 孝一くん。さっきから目が死んでるよ? ねえ大吾、喉渇いたなぁぼく」
「あー、はいはい。おい孝一、コップ借りんぞ」
「あ、うん。どうぞどうぞ」
 はっと我に帰り、慌て混じりの返事を返す。
 一週間を振り返りながらぼんやりと時間を過ごしている間に訪ねてきていた大吾は、そう言ってやれやれと台所へ向かう。頭の上にニワトリを乗せて。
 心ここにあらずというのは、今のこんな状態を指すのだろう。


「喜坂がしょぼくれてると思ったら、孝一もかよ。なんなんだろな一体」
「なんだろねー。昨日喧嘩したってわけでもなかったしねー。ねえ、お散歩行かない?」
「二人とも落ち込んでるからってなんで喧嘩って事になるんだよ」
「そんな気がするだけだよ。みんなでお散歩すれば、仲直りだってできるって。お散歩楽しいしね」
「もし本当に喧嘩だとして、そんな単純にいくかっての」
「でも大吾と成美さんの喧嘩は、いっつも簡単に無かった事になってるよ?」
「あー、いやあれは……」
「お水溢れちゃうよー」
「ぬおっ!」


 栞さん、なんで機嫌悪いんだろうなぁ。
 はぁ。話に出てきたお爺さんお婆さんなんて、言葉が通じなくてもみんなと仲良くなれたっていうのに……

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